岩手県住田町の牧羊業

岩手県気仙郡住田町(すみたちょう)でおこなわれていた「牧羊業」に関する記事クリップ。

 

▽1998年(平成10年)3月発行の報告書『平成9年度めん羊振興対策事業 中山間地域におけるめん羊飼養と利用及び振興に関する調査報告書』(社団法人 日本緬羊協会)に、住田町の牧羊場(「未来開拓者共働会議」の経営する種山ヶ原の放牧場)の調査報告が含まれる。また翌平成10年度調査報告書では住田町に隣接する遠野市が調査地となっている。
▽※取材調査は1997年。住田町 種山ヶ原の牧場を調査地の一つとする。(なお、調査主体の日本緬羊協会は2003年、畜産技術協会に統合された。)

 

公益社団法人畜産技術協会:国内関連情報:報告書|平成9年度めん羊振興対策事業 中山間地域におけるめん羊飼養と利用及び振興に関する調査報告書〔1998年3月〕目次 http://jlta.lin.gr.jp/report/detail_project/h09_02y.html
▽「平成9年度めん羊振興対策事業/ 中山間地域におけるめん羊飼養と利用及び振興に関する調査報告書」「平成10年〔1998年〕3月/ 社団法人 日本緬羊協会 会長 豊田 晋」

 →▼公益社団法人畜産技術協会:国内関連情報:報告書|平成9年度 中山間地域におけるめん羊飼養と利用及び振興に関する調査報告書(本文a) http://jlta.lin.gr.jp/report/detail_project/h09_02y_01.html
▽「I.調査の目的/ めん羊〔緬羊〕は、山野草や、野菜くずなどの囲場副産物、林地・果樹園下草など現今においては十分に活用されていない資源の有効利用が可能で、親しみ易いなどの特性を有し、地域振興や生きがい対策、或いはふれあい牧場などで多目的に利用されている。/ 特に、中山間地域においても放牧が可能であり、林地その他の未利用資源の活用が図れるめん羊は、蹄耕法による草地造成に利用することが出来、飼養開始に当たって初期投下資本が比較的少額で済むなどの特徴があり、また、ラム肉などの生産物は比較的地場消費が容易なほか、羊毛も手芸品などに加工出来るなどの特徴があることに加え、めん羊飼養に伴って産出される堆厩肥は畑作の貴重な肥料として施用されているなど、中山間地域にとって今後も重要な1作目〔さくもく〕として考えられている。/ 我が国土におけるめん羊飼養の可能な中山間地域は極めて大きな面積を占め、めん羊を利用したこの中山間地域の有効活用は、地域振興に役立つばかりでなく国土保全にも有効で、めん羊の振興が期待されているところである。/ このようなことから、平成9年度〔1997年度〕においては、本州の中山間地域に属する地域でめん羊を飼養している地域を選定して、これらの地域が置かれている特殊性、めん羊飼養・利用の状況、めん羊振興の取り組み、めん羊飼養の今後等についてその実態を調査し、その結果を今後のめん羊の生産振興に資することを目的に実施した。」

▽「II.調査の方法/ 専門部会において本州の中山間地域で、めん羊飼養及び生産物などの利用並びに振興等に特徴があると思われる4地域(岩手県山形村住田町、東京都奥多摩町、長野県信州新町)を選定し、現地に赴き関係者から聞き取りなどを実施した。」

▽「III.調査の結果/ 1.中山間地域とは/〔※略〕/ 2.調査地の選定/ 中央協議会及び専門部会において、今年度〔1997年度〕の調査地の選定等について協議した。北海道地域については「複合経営におけるめん羊生産」や「北海道におけるラムの生産流通と枝肉規格に関する調」等々、既に多くの実態調査を行っているので、今回は本州地域の中山間地について調査を実施することとした。また、めん羊の品種についてはサフォーク種だけではなく、他の品種を導入している地域があれば、なるべく調査対象とする方向で調査地の選定を行った。/ その結果、次の地域におけるめん羊飼養の実感を調査することとした。/ (1)岩手県九戸郡山形村 下舘義平氏(ドーセットホーン種を主体に飼育)/ (2)岩手県気仙郡住田町 杉山 徹氏(チェビオット、コリデール種などの牧場で飼育管理等を担当)/ (3)長野県 上水内郡 信州新町町営牧場及びめん羊研究会員の農家(サフォーク種)/ (4)東京都西多摩郡奥多摩町 奥多摩緬羊研究会員の農家(サフォーク種)/ 以上の地区について、予め資料を収集し、〔1997年〕9~10月に現地に赴き、その実態を調査した。/各地域の立地条件、産業の概況は次のようである。/ なお、次の図に調査地を示した。」

 →▼公益社団法人畜産技術協会:国内関連情報:報告書|平成9年度 中山間地域におけるめん羊飼養と利用及び振興に関する調査報告書(本文b) http://jlta.lin.gr.jp/report/detail_project/h09_02y_02.html

▽「〔III.調査の結果〕/〔※略〕/3.調査地の概要
▽「2) 岩手県 気仙郡住田町/ 平成9年〔1997年〕の町の面積は335.95km^2 、世帯数は2,236世帯、人口は7,718人であり、県の南部は北上山地の南部に位置し、標高は80~1,351mである。東北新幹線水沢江刺駅奥州市〕から約50km、大船渡線盛駅大船渡市〕から約16kmのところにある町である。町の96.2%が山林原野であるが、種山高原から流れる大股川と五葉山に源を発する有住川、この両川が合流して気仙川に注ぐ川沿いに平野が展開し耕地や集落が営まれている。種山高原は放牧地として優れており、古くから牧場が設営されている。〔住田町は?〕豊富な山林資源に恵まれ、石灰岩も多く、鍾乳洞(29m)〔※29mの鍾乳洞、不詳。滝観洞の誤認か〕も存在する。鉄道はない〔※誤認。JR釜石線上有住駅がある〕が3本の国道が交差し〔※国道397号線大船渡市-住田町-奥州市、国道340号線遠野市-住田町-陸前高田市国道107号線大船渡-住田町-遠野市〕、古くから交通の要所となっている。/ 気候は太平洋を北上する日本海流黒潮)の影響もあって、県下は冬季でも比較的温暖である。気温は2月の平均気温が-1.7℃、最高気温は3.1℃、降水量は82mm、最大積雪量68cmである。8月の平均気温は23.4℃、最高気温は28.7℃、降水景〔降水量〕は165mmである。/ 古くは砂金等で販わったが、明治期以降は養蚕地帯として栄えた。また、総面積の9割以上が森林であるため、昭和53年〔1978年〕には林業振興計画が策定された〔※昭和52年3月策定とする記事もある〕。さらに、最近は酪農振興地帯となり、複合経営による住田型農林業が推進され、近代化による所得の向上と農民の定着化が進んでいる。/ 四季折々の景観が美しく、県立自然公園があり、種山高原は「スター・ウォッチング」の場所として有名であり〔※2005年までイベント「すたーうぉっちんぐ種山ヶ原」を開催〕、宮沢賢治の「風の又三郎」の舞台にもなっている。また、気仙川は「アユの川」としても全国的に有名である。/ 種山ヶ原で飼育されているめん羊の一部がアメリカのオレゴン州クース郡から輪入された経緯もあって気仙郡とクース郡の間で人的交流が行われている。/ 町の主要課題としては次の対策を掲げている。/ (1) 人口の高齢化対策/ (2) 農林業従事者の後継者対策/ (3) リゾート地域としての開発」

▽「〔III.調査の結果〕/〔※略〕/ 5.考察/ 1) 中山間地域のおかれている特殊性/ 〔※略〕/」
▽「2) めん羊飼育の実態とその可能性/ 〔※略〕/ 住田町におけるめん羊飼育は、元は岩手鉱業〔岩手鉱業株式会社〕の故稲葉〔紀雄〕氏が始めたものであり、現在は「未来開拓者共働会議」が引き継ぎ、杉山氏が管理を担当している。この団体だけが「種山ヶ原」の放牧場でめん羊を管理しており他にはいない。放牧場は牧柵が完備し、生草、乾草も十分に用意されており、めん羊の飼育環境としては良好である。品種はサフォーク種チェビオット種コリデール種を飼育しているが特に品種による管理上の問題はなく、現在はこれらを交配してF1生産を試みている〔※F1は"first filial (generation)"の略。雑種第1代〕。今後のラム肉生産の方向として、F1生産はその産肉性と肉質の両面から大いに期待出来よう。/ ラム肉の流通については、この団体は「POD」〔株式会社ポラン オーガニックフーズ デリバリ〕と提携しており、そのルートは確立されているが、生産費が高くつき現在の販売価格では赤字経営であることが問題である。羊毛についても、手紡ぎのグループと交流があり、活発な行動を起こしている。/ 飼育環境がよく、羊毛、ラム肉の流通ルートも出来ている点では発展性が期待出来るが一つの団体ではなく、町ぐるみで産業として取り組み、めん羊飼育者のグループが誕生することが望ましいと思う。/ ここでも行政に望むこととして、大きな計画、立派な建物を建てないと補助金が出ない現状を憂い、日本緬羊協会として補助事業を受け、小さな企画、施設・設備に補助金を活用させて欲しいとの要望があった。」

▽参考:
▼ヒツジ|品種 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%84%E3%82%B8#.E5.93.81.E7.A8.AE
▼国内で飼養されている羊の品種|国産羊|羊の飼育|株式会社アサヒ・ファーム・フーズ http://www.asahifarm.co.jp/sheepsiiku.html
▼今では世界で1000種類(品種とその特徴)|畜産ZOO鑑(ちくさんずーかん) http://zookan.lin.gr.jp/kototen/menyou/m423.htm

▼オーガニック!POD 有機野菜<有機生産物>とオーガニック食品の総合流通販売 [宅配・通販・店(店舗)・卸] - ポラン オーガニックフーズ デリバリ https://www.e-pod.jp/

 

公益社団法人畜産技術協会:国内関連情報:報告書|平成10年度めん羊振興対策事業/中山間地域等におけるめん羊飼養と利用及び振興等に関する調査報告書〔1999年3月〕目次 http://jlta.lin.gr.jp/report/detail_project/h10_01y.html
▽「平成10年度めん羊振興対策事業 中山間地域等におけるめん羊飼養と利用及び振興等に関する調査報告書」「平成11年〔1999年〕3月)/ 社団法人日本緬羊協会 会長 豊田 晋」

 →▼公益社団法人畜産技術協会:国内関連情報:報告書|平成10年度 中山間地域等におけるめん羊飼養と利用及び振興等に関する調査報告書(本文a) http://jlta.lin.gr.jp/report/detail_project/h10_01y_01.html
▽「III.調査の結果/ 1.岩手県遠野市におけるめん羊の飼養/ 1) 調査地の概況/ 遠野市は民話のふるさととして有名である。遠野で語りつがれた民話が柳田国男氏により「遠野物語」として刊行され、遠野市の名が一躍全国に広がった。平成7年〔1995年〕における人ロは28,172人、世帯数は8,481世帯であるが、人口は昭和36年〔1961年〕をピークに年々減少をたどり最近は横ばいの状態である。/〔※略〕」
▽「2) めん羊飼養及びラム肉販売への経過/ 以前の遠野市ではどこの家でも2・3頭のめん羊を飼っており、昭和40年頃〔1965年頃〕までは遠野市めん羊のセリ市場があったり、剪毛の講習会も開かれたほどであった。現在はめん羊生産農家は1戸も存在しない。しかし、町の中では、「ジンギスカン」や「ラム肉」といった看板を良く目にする。また、スーパーや農協等の精肉売場や小売店でも必ずラム肉を置いている。岩手県、さらには東北地方の中でも、こんなに「ジンギスカン」や「ラム肉」の販売を行っている町はなく、岩手県の県庁所在地である盛岡市からも、1時間半から2時間かけて遠野市にまで買いにくるほど「ジンギスカン」や「ラム肉」で有名な町である。/ 遠野市で「ジンギスカン」や「ラム肉」の食文化だけが残っている背景として考えられるのは、遠野市民は昔からめん羊を飼養して羊肉を食べており、また10年ほど前〔1988年頃〕までは遠野に食肉処理場があり、羊の屠殺、解体も行っていた。そのため安くて新鮮なものが食べられ、羊肉のおいしさを良く知っており、抵抗なく食していた。ところが、約20年ほど前〔1978年頃〕からめん羊が減少し、羊肉販売店もニュージーランドやオーストラリアからの輪入肉を扱うようになった。しかし、以前と変わらず価格は安く、牛肉等に比べ、赤身が多いため、飽きずにたくさん食べられるということで、輸入肉に変わっても需要が減少しなかった。/さらに、近隣の町では食べたくても羊肉が売られていないため、遠野市までわざわざ買いにくるとのことである。遠くは仙台等からも注文があるそうである。/ 現在も羊肉は市内のどこの精肉店でも置いている。特に有名な羊肉販売店及びレストランは次の3店である。/ 〔※以下略〕」

 →▼公益社団法人畜産技術協会:国内関連情報:報告書|平成10年度 中山間地域等におけるめん羊飼養と利用及び振興等に関する調査報告書(本文c) http://jlta.lin.gr.jp/report/detail_project/h10_01y_03.html
IV.各調査地についての考察/ 1.岩手県遠野市/ 遠野市は人口28,000人余の市であり、広大な面積を有しているが、標高1,000m以上の山に囲まれ、平地は15%程度である。産業は農畜産業を中心に、商工業、観光が一体となった産業体系を目指している。稲作を中心に、工芸作物の葉タバコ、ホップなどが栽培され、肉牛、馬の育成調教を自指し田園都市「トオノピア」の建設を目指している。/ しかし、めん羊は現在1頭も飼われておらず、もっぱら、海外からの輸入肉に頼っている。かつては多くの農家がめん羊を飼育しており、羊肉のうまさは市民が良く知っており、市内の店舗にはどこでも羊肉が販売されている。また、羊肉を扱うレストランもあって需要は盛んである。国産羊肉については、安定供給がされることと、価格の条件が整えれば利用したい考えがあるという。ラム肉のおいしさを市民が知っているので価格にこだわることなく、国産の新鮮ラム肉のうまさをPRしその需要を伸ばしてほしいと考える。また、この地区の市民のように、羊肉のうまさを知った人々が、各地に増えてくれることを期待したい。/ 2.宮城県田尻町 〔※以下略〕」

▽「V.総合考察/ 平成9年度〔1997年度〕の調査地は、林野率80%以上の山間農業地域が主で、人口が3,701-8,366人と少なく、いわゆる「過疎地」であった。ここでは、林業など長期的展望に立って作業を進める産業に従事していた習慣からか、毎日欠かすことのできない給餌、清掃などの作業に拘束されることを嫌う風潮があり、日毎の動物の世話に喜びを見いだせず、動物に対する愛着心を見いだし得ないでいる様子が伺われた。/ 特に、信州新町奥多摩町はめん羊専用の牧場を設置し、繁殖センターを建設するなど行政機関は地域の活性化対策としてめん羊の導入・普及に努カしていたが、めん羊飼育者は町及び特定の管理者にめん羊の管理を一任している状況であった。一方、山形村、〔岩手県住田町は個人の管理にまかせ積極的な行政施策はなく、したがって、めん羊飼育者は、飼育管理及び運営管理に苦労している様子が伺われた。」
平成10年度〔1998年度〕の調査地は前年〔※住田町が調査地に含まれる〕とは異なり、中間農業地域としての村山市、松島町、東和町及び山間の盆地である遠野市であり、他は平地農業地域である大潟村田尻町及び河南町で、主に「稲作+α」の経営形態を取っている地域であった。/ 調査地の総人口については、特殊な環境条件であった大潟村の3,311人を除くと1~3万人の市町であり、人口は前年の調査地より多い。また、大潟村を含めて行政機関の指導体制が整っている地域も多く、新しい農業生産地域を育成し地域を活性化させようという意気込みを持っていた。/ めん羊の飼育管理においては、放牧管理または繋牧管理を行っている所が多く見られ、めん羊本来の管理方式が取り入れられていた。管理技術については。週去に経験を積んだ年配者が各地におり、直接に飼育管理し、または管理指導に当たっており、技術面の問題は少なかった。/ ただし、管理者の多くは60歳を起えている方が多く、したがって、その後継者対策が問題になっていた。そして、経験者が健康なうちに、めん羊の飼育管理技術を受け継ぐ若い後継者を養成することが急務であることを各調査地で訴えていた。/ 消費・流通については、どの地域においても苦慮しており、また、めん羊を導入してから日も浅い関係で具体的な施策が立っていない地区が見受けられた。一方、今回調査した速野市のように、現在めん羊は1頭もいないのにも係わらず羊肉の需要が多く、各店舗が羊肉を置き、他の地区からも購入にくるほど消費されている所もあった。しかし、その羊肉はすべて輪入肉であった。この地区の例から考察すると、羊肉のおいしさが一般に浸透すれば消費の拡大は可能となることが予測される。/ 飼育頭数については、各地区ともさらに頭数を増加する計画があり、置かれている自然環境を有効に活用して、めん羊をその地区の特産品にしようという意気込みが伺われた。/このことは、今後のめん羊振興対策には重要な視点であり、行政機関と緬羊組合など団体とが協カして活性化に努カしている地域に強カな指導を行い、重点的な施策を行う必要があると考えられる。」

▽参考:
公益社団法人 畜産技術協会:畜産技術協会について http://jlta.lin.gr.jp/association/index.html
「■沿革 昭和16年〔1941年〕、畜産技術者相互の技術情報の連絡及び親睦を図ることを目的として任意団体の畜産技術協会が発足しました。戦後の昭和21年〔1946年〕に、畜産技術者の連携強化、畜産に関する技術の向上発達を目指して、畜産技術協会は馬事技術協会を統合して、財団法人畜産技術連盟に、また、昭和40年〔1965年〕には社団法人に組織替えし、社団法人畜産技術連盟として活動を続けてきました。/ その後、畜産分野における先端技術の急速な進歩や国際化の進展等我が国の畜産を巡る情勢の変化に対応し、畜産技術の面で、更に活発な事業展開を図っていくことが必要となってまいりました。このために、平成2年〔1990年〕10月に従来の社団法人畜産技術連盟の大幅な組織替えを行うとともに業務面でも大きく拡充し、社団法人畜産技術協会として発足し、時代のニーズに即応した事業の展開を図っております。/ また、畜産関係団体の再編・統合の動きに即応し、平成15年〔2003年〕10月、社団法人日本緬羊協会及び社団法人全日本初生雛鑑別協会との組織統合を図り、これで両団体が実施してきた緬山羊及び初生雛鑑別関係の諸事業も継承し実施することとなりました。/ 平成25年〔2013年〕3月19日付けで内閣府の認定を受け、平成25年4月1日に公益社団法人畜産技術協会に名称変更になりました。/ ■設立目的 〔※以下略〕」

 

 

▽※「広報すみた」2003年(平成15年)5月号をweb上で閲覧できる。種山ヶ原「星降る羊牧場」への言及がある(杉山氏の名前が見える)。

▼広報すみた No.524(2003年5月号)|広報すみたバックナンバー - 町政 : 住田町 http://www.town.sumita.iwate.jp/chousei/koho/No524/ko524.htm#N05
▽「■羊さんが洋服を脱いだ!」「〔2003年〕5月13、14の両日、〔住田町〕世田米有住の各保育園羊の毛刈り見学会が行われました。/ 見学会は動植物とのふれあいを通して、感性豊かな子どもを育てることを目的としたもの。種山ヶ原「星降る羊牧場」で羊を飼育する杉山徹さん=中上=が協力しました。/ 園児は、杉山さんに手際よく刈られる羊の様子に興味津々。中には「羊さんは寒くないの?」と心配する声も。最後には毛を刈られた羊に触れ、楽しい時間を過ごしました。」「〔写真:〕毛を刈られる羊に興味津々の園児たち」

 →▼広報すみたバックナンバー - 町政 : 住田町 http://www.town.sumita.iwate.jp/chousei/koho/backnumber.html

 

▼ニューファーマー紹介:住田町|岩手県農業公社農業振興部就農支援課(新規就農相談センター) http://www.i-agri.or.jp/ninaite/2newfarmer/2-3engan/sumita/sumita.html
▽「羊を身近に感じてもらいたい/ 住田町:杉山 徹さん」「住田町から宮沢賢治で知られる種山ケ原の羊飼い杉山徹さんを紹介します。小さい頃から羊と共に生活するのが憧れだったという神奈川県出身の徹さん。小岩井農場の研修や遠野畜産公社での羊飼いの経験を生かし、昨年春〔2001年春?〕から自立の羊飼いに夢を膨らませています。」
▽「現在、以前やっていた農事組合法人種山ヶ原共働組合畜舎や草地を引き継ぎ、子羊も合わせ50頭飼育しています。計画頭数に達していないため、引き合いはあるものの、肉は販売していませんが、近所の方々の試食では好評であり、良いものをつくって消費者に提供することを目標に頑張っています。/ 「難しいことだけど、出来るだけオーガニックに近づけて飼育したい。今、個人で羊を飼っている所など見られない、子供たちに毛刈り体験などを通じ羊を身近に感じてもらいたい」等々、羊への熱い思いと羊に賭けるパワーが伝わってきます。夢に向かって進む子供二人のお父さんでもある徹さん、二人三脚でそれを支える奥さんにエールを送りたい。/ 作目:畜産(羊飼育)/ (大船渡農業改良普及センター 及川しげ子/2002.5)」

▽※前掲『平成9年度めん羊振興対策事業 中山間地域におけるめん羊飼養と利用及び振興に関する調査報告書』によれば、すでに1997年(平成9年)取材時点で種山ヶ原の牧羊場を種山ヶ原共働組合から未来開拓者共働会議が引き継いでおり、杉山氏がその管理を担当している。なお後掲 神奈川新聞2012年5月7日付記事によれば、1996年(平成8年)に「住田町に牧場を構えた」とあり、2005年以前に住田町を離れている(後掲足柄タウンニュース2012年4月28日付)。
▽※杉山氏は2001年(平成13年)に種山ヶ原牧羊場の所有者となった、と考えるのが妥当か。後掲 神奈川新聞2013年4月20日付記事に「かつて4年ほど岩手県住田町に移り住み、牧場で羊を飼育していた」)とあるのとも符合する。

 

▼脱サラし“羊飼い”、林業の男性が子どもにふれあいの場提供〔2012年5月7日〕/南足柄:ローカルニュース : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞社 http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1205060027/
▽「子どもたちに動物に親しんでほしいと、ヒツジとの触れ合いの場を提供している男性が〔神奈川県〕南足柄市にいる。同市矢倉沢〔やぐらざわ〕の杉山徹さん(44)。建築関係のサラリーマンから林業に転身、さらに“羊飼い”として地域にも出向いている。ともに4歳雄のヒツジ2頭は近くの園児らの人気者だ。/ 〔※略〕/ 杉山さんがヒツジの飼育を志したのは、29歳のころだった〔※27歳とする記事もある〕。「図面を書く仕事をしていたけれど、自然に近い形で生活したい」と脱サラ。ヒツジを選んだのは牛などに比べて飼育しやすいのが理由の一つだった。/ 〔神奈川〕県内や北海道の牧場で飼育方法を学び、1996年に岩手県住田町に牧場を構えた。一時は150頭ほどのヒツジを養い食用として出荷もしていたという。/ その後、生まれ育った矢倉沢に帰郷し林業に従事。〔※以下略〕」

▽参考:
▼矢倉沢に羊(ひつじ)〔2009年11月14日〕 | 足柄 | タウンニュース http://www.townnews.co.jp/0608/2009/11/14/22249.html
▽「■南足柄市/矢倉沢に羊(ひつじ)/ハイカーらに人気の2匹/ 掲載号:2009年11月14日号」 「矢倉沢自治会が主催し連日多くの人を呼んだ、初の「矢倉沢ざる菊まつり」。/ 会が制作した菊園を巡る散策マップのなかでも紹介されたのが「羊のお庭」。矢倉沢在住の杉山徹さん、美紀さん夫妻が〔2009年〕7月から羊をテスト飼育しており、現在は7カ月のオス2匹がいる。杉山さん夫妻はかつて岩手県2百匹の羊を飼ったことがある経験者。徹さんの地元矢倉沢での羊の畜産を目指し、羊毛フェルト等の可能性を探っている。」

▼杉山徹(てつ)さん〔2012年4月28日〕 | 足柄 | タウンニュース http://www.townnews.co.jp/0608/2012/04/28/143371.html
▽「羊の毛刈りを地域の子ども達に披露する/杉山徹(てつ)さん/南足柄市矢倉沢在住 44歳/ 掲載号:2012年4月28日号」 「北足柄の魅力の1つに/ 〔※略〕/ ○…「矢倉沢の自然の中で生まれ育った自分らしい生き方がしたい」と、畜産に興味を持ったのは27歳の頃〔※29歳とする記事もある〕。それまで勤めていた機械関係の会社を辞め、日本緬羊協会〔のち、畜産技術協会〕に電話をし、岩手県小岩井農場での研修に参加した。「大自然の中、初めて羊の群れを間近で見た時、大きさにびっくりしたのと同時に”本来の自分でいられるかもしれない”と思えた」と当時を振り返る。牛や豚を選ぶことが主流な畜産の世界で羊を選んだのは、羊と共に笑顔で暮らす自分の姿が常にイメージとして頭の中にあったからだという。/ ○…北海道岩手県の牧場10年ほど緬羊に携わり、故郷の矢倉沢に戻ってきたのは7年前〔2005年〕。現在は両親と妻、3人の子どもたちと暮らし、林業の仕事をしながら自宅で2頭の羊を育てている。〔※以下略〕」 ※杉山氏は少なくとも2005年(記事の7年前)以前に種山ヶ原を離れた。

▼ふわふわだよー!、園児ら羊毛刈り体験/南足柄〔2013年4月20日〕:ローカルニュース : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞社 http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1304190020/
▽「幼稚園児らによる羊の毛刈り体験が〔2013年4月〕19日、〔神奈川県〕南足柄市苅野の市立北幼稚園で行われ、約40人が上手にはさみを使い、“衣替え”を手伝った。/ 羊を飼育しているのは、同市矢倉沢で林業を営む杉山徹さん(45)と美紀さん(40)。地元の子どもに動物と触れ合ってもらおうと、4年前〔2009年〕から体験を行っている。/ 〔※略〕/ かつて4年ほど岩手県住田町に移り住み牧場で羊を飼育していたという杉山さん。「わたしたちの身の回りには羊が関わる物がたくさんある。子どもたちにも、そんなことを理解してもらえたら」と話していた。」

 →▼2013年4月20日(関係記事)|2013年4月中旬:住田町に関する記事 - atimus's blog http://atimus.hatenablog.jp/entry/2013/04/11/000000#yagurazawa

 

▼ルーラル電子図書館:記事概要 http://lib.ruralnet.or.jp/cgi-bin/ruraldetail2.php?DSP=GENDAI!1988!198804!198804_041.htm
▽「記事ID: 198804_041 / 作品種別: 月刊 現代農業」「連載タイトル: 運動ネットワーク 農業の新地平を拓く(4)/ 記事タイトル: 広がるシープトピア運動―共働(シナジー)の理念を掲げて」「年・月: 1988年04月号〔昭和63年〕」「執筆者: 楠本雅弘」
▽「見出し: ●壁乗り越える道を模索する「住田型農業」 ◎(1)岐路にたつ「住田型農業」 ◎(2)種山牧野をどう活かすか ○注目される種山牧野 ○観光開発を夢みる町当局/ ●地域の産業や文化の将来を考える広域共働会議 ◎地域の活性化の方途を探るシンポジウム企画書から ◎参加者全員が車座になって討論/ ●500頭になった種山のめん羊」「キャプション: 農事組合法人 種山ヶ原共働組合羊肉加工場岩手県住田町)」 ※1988年時点で種山ヶ原の緬羊が500頭に達し、羊肉加工場を擁していたことがわかる。

 

▼盛岡タイムス Web News|〈幸遊記〉46 照井顕 澤田博史の肥前大村耕し隊〔2011年11月21日〕 http://www.morioka-times.com/news/2011/1111/21/11112104.htm
▽「■〈幸遊記〉46 照井顕 澤田博史の肥前大村耕し隊」「山の展望台から海を眺めれば、なんとなく陸前高田の美しかったあの風景が思い出される長崎県大村市高田松原ならぬ、大村湾松原地区に住む友人・溝田博史(61)さんから、生そばが送られて来たのは昨年〔2010年〕の12月だった。/ 〔※略〕/ 彼はかつて、毎日新聞社が刊行していた「月刊・農業富民」〔富民協会 発行。のち「Fumin」と改題〕の編集長だった。彼が住田町へ来た時見せられた本をパラパラめくって、「農業雑誌とはいえ音楽のページが全然ないんじゃ総合誌とは言えないんじゃない」と言ったら「では音楽のページを作りますから担当してください」と言われ「音楽の種まき」というレコード紹介を毎月4枚。それに「日本ジャズの原風景」という「ジョニーの写真帖」を1枚見開き2ページに掲載させてくれた(平成元年〔1989年〕~4年〔1992年〕)。彼が5年勤めた編集長の後3年間だった。」
▽「彼〔溝田博史〕と初めて会ったのは、昭和の終り頃。当時、全国に知られた「住田型農業」を実践していた時の佐熊博・住田町長〔第8代町長、1981-85〕や佐々木繁吉助役、のちの町長できのこ博士の菅野剛氏〔第10-12代住田町長、1989-2001〕などと一緒に、〔アメリカ合衆国オレゴンへの農業視察団で行った時で、同行取材をしていたのが彼、溝田博史さんだった。/ 僕はその時、住田で羊の牧場を開いていた種山ケ原共働農事組合法人 種山ヶ原共働組合〕の故・稲葉紀雄氏に連れられてのお相伴旅行。オレゴン州知事室に掲げられていたジーンズ姿で2人の子供が立ち話をしている写真に添えられていた文字「長いこと農業やってんだってね」は今も鮮明だ。(開運橋のジョニー店主)」「2011年11月21日 (月)」

▼盛岡タイムス Web News|〈幸遊記〉62 照井顕 稲葉紀雄のチャールズ・ミンガス〔2012年3月13日〕 http://www.morioka-times.com/news/2012/1203/13/12031303.htm
▽「■〈幸遊記〉62 照井顕 稲葉紀雄のチャールズ・ミンガス」 「ジャズの巨人・チャールス・ミンガス(1922~79)の1500ページにも及ぶ私家版として友人知己に配ったという彼の自叙伝「ミンガス・負け犬の下で」を、彼と親しかったネル・キング婦人が縮小し、編集し直して刊行された本が、日本語訳で晶文社から発売されたのは73年〔1973年〕。その本の訳者は黒田晶子・稲葉紀雄氏。二人は国際基督教大学卒。/ 彼は1940年〔昭和15年〕6月14日、東京生まれ。1995年〔平成7年〕米国出張中にホテルで亡くなった。当時、岩手鉱業株式会社の社長。会社は住田町の鉱山〔※位置不詳〕から産出される岩手金剛砂〔こんごうしゃ〕と呼ばれるガーネットを原料とする網入ガラスや、テレビのブラウン管の研磨材(パウダー)を製造。かつて国内シェア90%。世界でも40%を誇った。/ 学生時代にはアマゾン川をいかだで下ったと聞いた。(株)種山ヶ原という会社を東京で立ち上げ、オーガニック輸入食品を扱い、それこそ種山ヶ原に近い蕨(わらび)峠にて緬羊の牧場も持った。/ 「羊は、どの家畜よりも多種の草を食べることから植林の下刈り役に適し、フンは分解が遅いため土壌に優しい。その上、肉はアルカリ性。毛は衣服や布団にもなり、羊は衣食住をまかない、理想の未来を開く」と言った彼。/ 時折、ジョニーに来店。多額の借金にあえいでいた僕を、本当に心配し「少しずつ返せばいい」と、その肩代わりもしてくれた。ミンガスの自伝本、ミンガス自身が自主制作した名盤レコード1964年の「モントレーのチャールス〓ミンガス」の復刻盤などをプレゼントしてくれた。亡き後には、ステレオや「開運橋のジョニー」にあるウッドベースさえも…。/ 〔※略〕/ (開運橋のジョニー店主)」「盛岡タイムス Web News 2012年 3月 13日 (火)」

▽参考:
▼盛岡のJazz(ジャズ)スポット 開運橋のジョニー | Home http://www.johnny-jazz.com/
▼オーガニック・自然食品の店 種山ヶ原 http://taneyama.co.jp/

▼金剛砂 とは - コトバンク http://kotobank.jp/word/%E9%87%91%E5%89%9B%E7%A0%82
「■デジタル大辞泉の解説: こんごう‐しゃ 〔コンガウ‐〕 【金剛砂】/ 不純物の多い砂質のコランダム、または、ざくろ石を粉末にしたもの。研磨剤に用いる。金剛鑽(さん)。金剛錠。/ ■大辞林 第三版の解説: こんごうしゃ【金剛砂】/ 石榴(ざくろ)石を粉末にしたもの。黒みをおびた粒状でダイヤモンドに次いで硬く,研磨剤に用いる。エメリー。あかずな。/ ■世界大百科事典内の金剛砂の言及: 〔※以下略〕」

▼砥石の知識|研磨材|株式会社 大和製砥所 http://www.yamatoseito.co.jp/01T-02.html

 

▼『羊は未来を拓く :記録集・羊シンポ'89・盛岡』(羊をめぐる未来開拓者共働会議 編集・発行、1990年)
▽書籍『羊は未来を拓く :記録集・羊シンポ'89・盛岡』巻頭の「基調講演 未来開拓者共働と夢(稲葉紀雄)」に次の一節がある。; 「二十年程前になりますけれども1970年に私は父の代からの家業である研磨材製造業というものを継ぎまして、その関係で岩手県の南部にあります気仙郡住田町というところの小さな鉱山と工場がその仕事場となりました。当時はまだ今よりも若く、世の中の移り変わりの激しい面に目が行くような時期でしたのでめざましい技術革新の変化のなかで事業がどこまで続くか不安を持っておりまして、さらに自分自身にあった新しい仕事も始めたいと思っていました。」(p.8)

 

公益社団法人 畜産技術協会:出版物|「シープジャパン」総目次(平成21年7月号~平成23年19月号(No71~80)) http://jlta.lin.gr.jp/publish/sheep/back08.html
▽「〔「シープジャパン」誌〕平成22年7月号(No.75)〔2010年〕」 「〔区分:〕 古今羊界/ 〔タイトル:〕 農事組合法人種山ヶ原共働組合 種山ヶ原緬羊牧場を回想して I / 〔著者名:〕 殿岡 洋司」
▽「〔「シープジャパン」〕平成22年10月号(No.76)〔2010年〕」 「古今羊界/ 農事組合法人種山ヶ原共働組合 種山ヶ原緬羊牧場を回想して II / 殿岡 洋司」
▽「〔「シープジャパン」〕平成23年1月号(No.77)〔2011年〕」 「古今羊界/ 農事組合法人種山ヶ原共働組合 種山ヶ原緬羊牧場を回想して III / 殿岡 洋司」

 

住田第二牧場

▼施工実績|佐藤建設株式会社のホームページ http://www.tono-satoken.com/page003.html
▽「〔※略〕/ ■〜建築・その他〜/ 〔※略〕/ ・住田第2牧場施設解体/ 〔※略〕」

Facebook:住田第2牧場跡 https://www.facebook.com/pages/%E4%BD%8F%E7%94%B0%E7%AC%AC2%E7%89%A7%E5%A0%B4%E8%B7%A1/334901986602277

▼平成18年1月19日 出資法人等改革調査特別委員会会議記録|岩手県議会 http://www2.pref.iwate.jp/~hp0731/iinkaikaigikiroku/1801heikai/180119shussi.html
▽「1 日時平成18年〔2006年〕1月19日(木曜日) 午前10時3分開会、午後0時1分散会/ 2 場所: 第1委員会室/ 3 出席委員: 吉田昭彦委員長、嵯峨壱朗副委員長、藤原良信委員、渡辺幸貫委員、 佐々木博委員、中平均委員、佐々木大和委員、千葉伝委員、伊沢昌弘委員、 柳村典秀委員、斉藤信委員/ 4 欠席委員: なし/ 〔※略〕/ 8 会議に付した事件: (1)  調査 (1)出資等法人改革に係る社団法人岩手県肉牛生産公社の取り組み状況について/(2)出資等法人改革に係る岩手県土地開発公社の取り組み状況について/ (2) その他/ (1)次回の委員会運営について」
▽「9 議事の内容/ ○吉田昭彦委員長: 〔※略〕/ それでは、はじめに社団法人岩手県肉牛生産公社の取り組み状況について、執行部に説明を求めます。」
▽「○樋澤畜産課総括課長: 〔※略〕/ それでは、肉牛生産公社の取り組み状況について説明させていただきます。まず、生産公社の概要、それからこれまで取り組んできた成果について簡単に触れさせていただきます。それから、現在解散に向けたいろいろなその取り組み状況について説明させていただきますので、よろしくお願いしたいと思います。/ それでは、1ページをお開き願います。まず、岩手県肉牛生産公社の概要でございますが、目的につきましては本県〔岩手県〕の広大な山林原野等の土地資源を活用しまして、放牧を主体とした大規模な肉牛の増殖事業を行う、そのことによりまして優良な肉用子牛の農家への供給によって肉用牛の生産基盤の拡大なり、農家の所得拡大に寄与するといったようなことでありまして、一方で国におきましては全国的に肥育牛頭数が減少したといったようなことがございまして、牛肉需要が逼迫する中で、国の施策としても肉牛振興を強く打ち出したといったようなことに沿って取り組んできたということでございます。昭和43年〔1968年〕5月に設立*1されてございます。/ 〔※略〕/ そうした中でございますけれども、御案内のとおり平成3年〔1991年〕の牛肉の輸入自由化、それから牧場での、これはサルモネラ病等でございますけれども、伝染病の発生あるいは日本短角種の大口取引先の中止といったようなことで、平成4年〔1992年〕以降収益が急速に悪化してきているところでございまして、以降牧場の再編あるいは人員整理、それから短角から黒毛和種への経営転換といったことでいろいろ経営改善計画を策定しながら取り組んできたといったようなことがございますけれども、平成16年度末〔2004年度末〕で14億5,500万円ほどの累積欠損金を抱える状況になったということでございます。/ それで、〔岩手〕県は平成15年〔2003年〕12月に出資法人の改革推進プランを策定、公表されたわけでありますけれども、このプランによりまして肉牛生産公社は牛肉の輸入自由化等の畜産情勢を取り巻く厳しい環境から多額の累積欠損金や借り入れを抱えており、経営改善が望めないことから、平成17年度末〔2005年度末〕を目途に解散するといったようなことで打ち出されたところでございまして、県委託の家畜改良事業等、真に必要な事業については類似団体に引き継ぐ方向で整理を進めるといったようなことで審議されたところでございます。/ 〔※略〕」
▽「それから、5の公社組織につきましては、ここにあるところでございまして、職員につきましては平成17年〔2005年〕4月1日現在で正職員が15名といったような状況でございます。/ 次に、3ページでございますが、公社牧場の概要でございますが、8牧場ございますけれども、滝沢、都南につきましてはそれぞれ繁殖牧場から肥育牧場ということで、現在利用しているといったような状況でございますし、それから玉山牧場につきましては平成12年10月から休止してございますけれども、現在葛巻町の畜産開発公社が利用していると。それから、釜石につきましては現在栗橋の牧野農協、地権者に返還してございます。/ それから、住田〔住田牧場(貞任山の南斜面)〕、それから住田第2〔住田第二牧場〕につきましては、それぞれ平成9年〔1997年〕、平成14年〔2002年〕から休止した状態になってございます。/ 〔※略〕」
▽「○樋澤畜産課総括課長: 委員おっしゃるとおり、平成18年〔2006年〕の3月、ことし〔2006年〕の3月末をもって公社としては解散決議をするといったことで今取り組んでいるところでありまして、それから平成18年度中〔2006年度中〕に清算事務に入るといったようなことで考えてございます。/ それで、先ほどから話ございますけれども、施設関係でありますけれども、その処分の関係についてはいずれ見通しを〔2006年〕3月末までにつけながら解散手続をしていただくというふうな方向で考えてございます。/ 〔※略〕/ ○樋澤畜産課総括課長: 市町村有、それから共有地ございますけれども、それぞれ委員おっしゃるとおり、できるだけ地元で使っていただけるものは使っていただくというような方向で動いてはございますけれども、個別に申し上げますと玉山の牧場につきましては共有地でございます。〔※略〕/ あとは住田〔住田牧場〕、それから住田第二牧場については、これは共有地も一部ございますけれども、町有地でございまして、これについては今、町の方と、これから町がどういう方向で牧場を使っていったらいいかといったようなことで話し合いをしているところであります。県内あるいは市町村、農協、農業団体と一緒になって、これからせっかくの施設を有効に使うための手だてを考えていかなければといったようなところでありますので、現在〔2006年1月現在〕方向がまだ定まっていないのが現状です。/ 〔※略〕」

岩手県議会会議録 全文表示|平成18年6月定例会 第19回岩手県議会定例会会議録 http://www3.pref.iwate.jp/gikai/user/www/Zenbun/page/conferenceId/13/pageStart/392219/pageEnd/392227/
▽「〇13番(柳村典秀君)/ 〔※略〕/ 次に、岩手県肉牛生産公社清算問題についてお伺いします。/ 岩手県肉牛生産公社は、平成15年〔2003年〕12月に策定された岩手県出資等法人改革推進プランで、多額の累積欠損金や借入金を抱えており、経営改善が望めないことから、平成17年度末〔2006年3月末〕をめどに解散することとされました。この解散に向けた処理スキームは、本年〔2006年〕1月に開催された出資法人等改革調査特別委員会で明らかにされ、その主なものは、県の出資金7億4,100万円と短期貸付金16億5,200万円をすべて放棄、滝沢村にある施設は村に無償譲渡し、全農が牛を初めとする資産を簿価で譲り受け、委託事業として継承するという内容でありました。その解散処理の一環として、16億5,200万円の債権放棄に向けた手続を進める平成17年度〔2005年度〕補正予算案が本年〔2006年〕2月定例会に提案されました。付託された総務委員会は、農林水産委員会との連合審査会を設置して審査しましたが、公社理事長の竹内副知事が出席し、みずからの責任を認め陳謝する場面などがあり、審議は8時間以上に及びました。最終的に、附帯意見として、今後予定されている同公社の清算においては、その方法等について十分精査し、改めて出資者間で協議するなど、県民負担が最も少ない方法で行われるよう最大限の努力をせられたいとの内容をつけることで可決しました。岩手県肉牛生産公社は、本年〔2006年〕3月31日をもって解散し、現在、清算業務に入っています。/ そこでお伺いしますが、出資団体の出資金以外の負担、継承団体への資産譲渡の評価方法、解体が必要な施設の解体費用の負担方法、短期貸付金債権放棄の最終的な見込み額、以上について、現在どういう状況になっているか、お尋ねいたします。/ 〔※略〕」

大船渡農業改良普及センター|【大船渡】種山のいんげんまめ・大豆の収穫が終わる〔2008年10月31日〕 http://i-agri.net/agri/?itemid=215
大船渡】種山のいんげんまめ・大豆の収穫が終わる/2008年10月31日 発行/ 住田町種山において、〔2008年〕9月18日~10月3日にいんげんまめ、10月16日に大豆の収穫を行いました。/ これらの豆類は気仙地方の建設業者(株)佐々木組と食品会社のさいとう製菓(株)(株)八木澤商店で組織する「食品原料契約栽培システム構築研究会」が、種山の〔岩手〕県肉牛生産公社牧場跡地〔住田第二牧場跡地〕において、菓子や味噌・醤油の原料として実証栽培していたものです。/ 昨年度〔2007年度〕の作付け面積は1haでしたが、今年は新たに造成した圃場にも作付けし、いんげんまめ約4ha、大豆約2haとなりました。/ 今年は土づくりと雑草対策を指導した結果、収量は昨年〔2007年〕を大きく上回る見込みです。/ 今秋〔2008年秋〕、さらに約4haを造成し、来年度は計10haに拡大することになりました。/ 今後、研究会では、来年度〔2009年度〕からの本格的な大規模豆類生産に向け、関係機関の協力のもと、農業生産法人の設立を目指しています。/ 〔写真:〕大豆の収穫」

▼Dr.Carrasco: さいとう製菓と八木澤商店 農業参入へ協定締結〔東海新報2009/05/13〕〔2009年5月16日〕 http://doctoralcarrasco.blogspot.jp/2009/05/blog-post_8110.html
「■さいとう製菓と八木澤商店/農業参入へ協定締結東海新報 〔2009年〕5月13日)」 「自社用加工原料の地元調達を目指し、住田町の種山ケ原白いんげんや大豆の栽培実証事業に取り組んできた、大船渡市・さいとう製菓(株)(齊藤俊明社長)と陸前高田市のみそ、しょう油製造販売、(株)八木澤商店(河野和義社長)は、農業参入のための協定を同町と締結。/ 賃貸方式で直営農場を確保することとなり、本格生産への第一歩を踏み出した。/ 両社と町〔住田町〕が同日締結したのは、農業生産法人以外の企業が対象農地所在市町村との協定を交わすことで、リース方式により農地を確保できるようになる「特定法人貸付事業協定」。/ 担い手不足対策や遊休農地解消を目的に、平成15年〔2003年〕の農業経営基盤強化法改正を機に設けられたもの。/ 全国規模で商品展開する両社は一昨年〔2007年〕、菓子やみそ、しょう油の原料を地元で調達しようと、大船渡市の建設業、(株)佐々木組(佐藤政夫社長)との3社で、食品原料契約栽培システム構築研究会(会長・佐藤社長)を結成。/ 〔岩手〕県の後押しのもと、県肉牛生産公社 住田第二牧場跡地で「種山豆類プロジェクト」と銘打った栽培実証事業に取り組み、一定の成果を出してきた。/ 本格スタートを前に開かれた協定締結式では、各社や県、農業公社、町などの関係者約30人が出席。さいとう製菓の齊藤賢治専務、八木澤商店の河野社長、多田欣一住田町の三人が協定書に押印。/ さいとう製菓では、主力商品「かもめの玉子」など和菓子あん用の白いんげん、八木澤商店はみそ、しょう油の材料となる大豆を栽培する計画。町農業委員会で認定を得られれば、〔2009年〕6月にも種まきを行い、さいとう製菓が6ヘクタール、八木澤商店が4ヘクタールの作付けを予定。作業は、佐々木組に委託。/ 齊藤専務は、「白いんげんの多くは北海道産を使ってきたが、地元調達によって地元や県内が元気になるよう、『豊かな国いわて』を合言葉に皆さんと研究。収量を安定させ、将来的には県外にも発信できれば」/ 河野社長は、「各方面の指導と協力をいただきながら挑戦していきたい。われわれを例として、ほかにもチャレンジする企業が出てくればうれしい」/ 県大船渡地方振興局によると、この協定による農業参入は気仙で2例目、新しい農業生産のモデルとして各方面の関心を集めそう。/ http://www.tohkaishimpo.com/

▼種山調印式 その2〔2009年05月13日〕|いわてピュアモールのブログ http://www.pureiwate.com/blog/index.php?ID=563
▽※写真に「特定法人貸付事業協定に係る調印式」とある。

▼種山豆プロいよいよ始動〔2009年06月08日〕|いわてピュアモールのブログ http://www.pureiwate.com/blog/index.php?ID=584
▽「他から調達している白いんげんや大豆をこの際、地元でつくってしまえ~! ある関係者は「男のロマン」と呼ぶ『種山豆類プロジェクト』/ 今日はいよいよ種まき初日 マスコミの皆様にもご案内し圃場見学会を企画しました が、週末大雨警報がでるほどの雨で畑は 田んぼのようなぬかるみ 本格的な作業は明日に順延になりました/ 〔※略〕」

▼春到来!種山が始まります〔2010年04月21日〕|いわてピュアモールのブログ http://www.pureiwate.com/blog/index.php?ID=862&cID=8
「今年〔2010年〕初めての種山入り! 所々雪が残っていましたが、種山にもいよいよ春が来た感じです。/ 〔※略〕/ こちらはアスパラ畑/奥に続く放牧地や山々との風景の重なりが素敵でした♪/ 近くの畑の真ん中には、大きな木がでんと根を下ろし、ここがかつては牧場だったことを示していました。牛達にさぞかし気持ちいい木陰を提供していたことでしょうね。/ いよいよ種山が始まりましたよ~」

 

 

稲葉紀雄(いなば・のりお)

▼POD ポラン オーガニックフーズ デリバリ | 記録保存 なつかしい青いむかし風の幻燈のように|稲葉紀雄(いなば・のりお)氏 https://www.e-pod.jp/kivaonline/inaba.html
▽「■稲葉紀雄 (いなば・のりお)氏/ ・1940年6月14日、東京に生まれる/ ・1964年、国際基督教大学卒業/ ・1977年6月15日、(株)種山ヶ原設立/ ■本社: 東京都台東区/ ■工房: 埼玉県北埼玉郡大利根町/ ■牧場岩手県気仙郡住田町/ ■事業内容: 1. 牧羊業関係 : 緬羊の飼育生産販売、緬羊精肉の販売、緬羊飼育管理器具の輸入販売/ 2. ホームスパン :種山ヶ原産羊毛・輸入羊毛の販売、羊毛ふとん・フェルトの販売、手紡ぎニット類の製作販売、紡ぎ・織り道具の輸入販売/ 3. 図書類販売 : 上記関連の図書類及び農林学関係、Whole Earth Catalog関係の洋書等/ 4. 認定有機栽培食品及び自然食品の輸入販売」
▽「■(株)種山ヶ原が考えること/ 1. 自然と人間との共生。私たちの原点がそこにあります/ 種山ヶ原は、岩手県北上山系の南、標高約800mに広がる平原。数千ヘクタールにもおよぶなだらかな起伏をもつ森と草原は、「風の又三郎」に代表される宮沢賢治の多くの作品の舞台となる、彼の愛した美しい環境の中にあります。私たちはこの地で、1973年〔昭和48年〕より地域の人々と共に牧羊を中心とした事業に取り組んできました。私たちがめざすのは、森と草原と羊たちがもつ自然の力の調和的な共生と、農業・林業・工芸その他さまざまな分野の人々との開かれた試行・交流基地の建設です/ 2. 地球的発想、地域的実践。/ 認定有機農産物、つまり「オーガニック」の輸入販売は、志を共有するアメリカの人々やその組織との交流から生まれた新しい事業です。品物の輸入に加え、その情報・技術・思想の国際的交流とネットワークづくりも、私たちの仕事の一環と考えています。私たちはIFOAM(国際有機農業運動連盟)のメンバーでもあります。すべてが関連し合う私たちの世界で、有機農業は、私たちの体と心と自然と地球がひとつの力で結ばれるもの。有機農業が一部の人々と限られた地域のものでなく、どこでも、誰でも生産・流通・消費できるようになることが、私たちの願いです」

 

▼スピンハウス日記 | あなたは「羊は未来を拓く-羊シンポ89’」というビッグムーヴメントがあった事を知っていますか?〔2008.02.21〕 http://spinnuts.kyoto.jp/sb/log/eid209.html
▽「1989年、今から20年前。岩手大学であった羊のイベントに、日本全国から500人余りが集まりました〔「総合シンポジウム 羊をめぐる未来開拓者のつどい :森と土と羊の新しい共働を求めて」(日時: 1989年11月10日(金)~12日(日)。会場: 岩手大学農学部付属農業教育資料館。主催: 羊をめぐる未来開拓者共働会議)〕。当時羊の頭数は3万余り(2008年現在、8000頭を切ります)。/ 羊飼い、畜産関係/スピナー、紡績関係者。/農林業、有機農業者。/ポランの広場〔POD〕など農産物の流通関係。/農林水産省など役所関係、畜産試験場関係・・・・・/皆、自発的に(出張旅費の出ていないと言う意味)集まった人々。/ その時すでに有機農産物の基準作りを急がなくてはならない。というテーマでアメリカからパネラーを呼んでフォーラムをし、激論をを交わしたのであります。/ この時のことが「今」に生かされていたら、昨今のギョーザ騒ぎ、ミートホープ騒ぎは無かったかもしれません。」
▽「20年前の1989年11月、盛岡に集まった500人の熱い熱い羊と有機農業にかける思い。/ あの岩手大学の会場では、過去100年近くの日本の羊を支えてきた先輩羊飼いたちのノウハウと、新しい時代の息吹「アグロフォレストリー」というスピリットが合体したイベント。種蒔き人は稲葉紀雄さん〔※基調講演も務めた〕。/ あの時、有機農業のネットワーク作りを、羊飼いとスピナーから始めようと言う種が蒔かれました。そしてそれを、それぞれに活動してきた20年があります。」
▽「山形大学の楠本雅弘先生は「農林漁村の地域活性」をテーマに全国を講演等で回っておられる現場の生の顔を知っておられます。/ 秋山豊寛さんは福島の農村で有機農業を実践。同じ志の若者が集まるカリスマ的魅力の持ち主です。/ そして、この羊シンポ89の呼びかけ人、今は無き稲葉紀雄さん(1995年没)のパートナー公子さんは今は屋久島に移り住み蜂を飼いはじめたとのこと。/ また、愛媛大学で若者、親子に雑草防除の紙マルチシートによる田植えなど、農業体験を実践する鶴見武道さん。/ 岩手県で、国産羊毛を使ってサフォーク靴下を作り続けて15年以上の山本実紀さんこそは、まさに実践者としてトップランナーであります。/ そして、北海道の武藤浩史さんは300頭の羊の生産牧場として頑張っています。/ かくゆうポンタも原毛屋として、羊飼いとスピナーをつなげるため、ワークショップで日本全国を回ったり、情報誌スピナッツで気持ちを繋ぐ努力を、微力ながらも続けてきました。/ このように、羊と有機農業に関する先駆者の集まる「未来開拓者共同会議」〔未来開拓者共働会議〕は、これからの日本の農業の未来を切り開く知恵袋をたくさん持っている人の頭脳集団といえます。/ 是非、多くの人と交流して、知恵を皆で共有し、また若い世代にバトンタッチをしていかなくてはいけない。/ そう!羊界の御大は、引退なんて言ってないで、どんどん露出しよう!/ 今、その蓄積をしっかり現場に生かし、次世代につないでいかなくてはいけない時だと思います。」

▽参考:
▼スピナッツ出版 | SPINNUTS http://spinnuts.kyoto.jp/publish/

 

▼KIVA Online ご利用案内 | POD ポラン オーガニックフーズ デリバリ https://www.e-pod.jp/kivaonline/guide.html
▽「「ポラン広場の通販」は、1998年5月に、NTT関連プロジェクト「暮らしメディアMMCI」の実験ウェブショップモール内で「地球の元気」としてスタートし、試行後の2001年10月からは当社が運営を行い、2009年10月に、屋号を「地球の元気」から「KIVA Online」に、2012年1月「ポラン広場の通販」に変更しました/ 私たちは自然を大切にした認証有機野菜、自然食品と生活雑貨を広めたいという想いで志を同じくする全国の農家や製造者とネットワークをつくってきました。ここで培った本物の有機食品・自然食品や厳選した暮らしまわりのエコロジーグッズをお届けしているのがこのオーガニックウェブショップ(通信販売・通販サービス)です」
▽「プロジェクト「暮らしメディアMMCI (MultiMedia Consumer and Industry system)」とは、家庭と生産者を結ぶマルチメディア通信システムの普及を目指した、パソコン通信による生鮮食品のオンライン・ショッピング・サービスでした。利用者は、 32ビットゲーム機に専用の通信モデムと通信ソフトを付けてテレビに接続し、ゲーム機のコントロール・パッドを使って、テレビの画面上で商品を選択・発注。商品の受発注から代金決済もオンラインで実行でき、消費者と生産者を直接結び付けた双方向ネットワークのマルチメディア通信を家庭に行き届かせる電脳産直の1つとして注目されました。無農薬有機野菜、有機米、自然卵や無添加調味料などを宅配するMMCIサービスの会員(費用は会員契約料と電話代、品物代金)になると、年4回季節ごとにCD-ROMカタログが配布され、そのカタログを見て、パソコンかゲーム機を通じて24時間オンライン注文ができ、週1 回の宅配を受け取るというものでした/ プロジェクト「暮らしメディアMMCI」に尽力された、故稲葉紀雄氏(株式会社種山ヶ原元社長、未来開拓者共働会議創設メンバー)にこのWebshop「ポラン広場の通販」を捧げます」

 

▼歳時記365|執筆者一覧|あ行 http://saijiki365.com/writer/a.htm#inaba_norio
▽「稲葉 紀雄(いなば のりお)/ 故チャールズ・ミンガスの仲間達と、いつか「太陽系全体をジャミングせしめん」と願う大幻想を共有する一人。未来開拓者共働会議、?〔(株)?〕種山ヶ原に属す。/ ペンシルヴァニアのウォールナット・エーカーズ ('94年)/ 千年の森 シンポジウム('94年)」
 →▼はじめに〔歳時記365を一緒にはじめませんか〕 | Hacked by Krad Xin http://saijiki365.com/wp/start/

 

*1:「昭和43年〔1968年〕5月に設立」。それ以前の種山の牧場について、『続 住田風土記』(根来功範, 1971年)p.33-35に「種山牧場」立項、次の記述あり; 「明治34年〔1901年〕に、六原軍馬補充部の分場として種山軍馬補充部が発足し、大正14年〔1925年〕までの25年間、4千7百ヘクタールに軍馬4百頭を毎年飼育していました。/ 軍馬飼育地として、軍部に専用された25年間は、馬産地としての世田米、上下有住の民間馬放牧を禁じられていました。病馬伝染を防ぐため厳しい規定を設けられていたようです。補充部は大正14年〔1925年〕廃止され、その後は世田米町に建物等すべてが軍部より払下げられ、そのまま町営放牧場として畜産に大きな貢献を与えました。大股より出た優良馬として支那大陸に活躍した南沢号もこの種山牧場で育っています。/ 昭和15年〔1940年〕11月、国営となり種山牧野と変更されましたが、戦後は、岩手県に移管され今日を迎えています。〔※略〕」(『続 住田風土記』p.33)