住田町の「山」(その4):北東部〜東部地域
▽岩手県気仙郡住田町(すみたちょう)の「山」「山岳」について(その4)。
▽住田町の山について、ブログ「あかりんの岩手低山奇行」さんの山行記録をキーにWeb上の情報をクリップする。
▽この(その4)エントリーには、住田町域の北東部〜東部に位置する以下の山々を収める; 羽越山(はねごえやま)、母衣下山(ほろしやま)、高清水山(たかすずやま)、箱根山(はこねやま)、愛染山(あいぜんさん)、五葉山(ごようざん)、黒岩、高森山(たかもりやま)。
→▼住田町の「山」(その0):もくじ - atimus's blog http://atimus.hatenablog.jp/entry/2016/09/13/000000
→▼住田町の「山」(その1):西部〜南部地域 http://atimus.hatenablog.jp/entry/2016/09/13/010000
→▼住田町の「山」(その2):中央部地域 http://atimus.hatenablog.jp/entry/2016/09/13/020000
→▼住田町の「山」(その3):北西部〜北部地域 http://atimus.hatenablog.jp/entry/2016/09/13/030000
▼あかりんの岩手低山奇行|山一覧のページ:住田町 http://akarin-yama.at.webry.info/201307/article_25.html
▽羽越山(地理院地図 標高611.8m)。山頂に三等三角点「羽越山(はごえやま)」611.83mがある*2。住田町の北域。南東に母衣下山。南西に、新切川、下有住字奥新切(おくにいぎり)地区および岩手県道238号遠野住田線を挟んで鷹取山(たかっとやま)。北西に荒川、北には曲川が流れる。北東に上有住字新田山開拓地がある。
▼〔地図:〕羽越山 - 気仙郡住田町上有住/山:マピオン電話帳 http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07003/03441/L0570034/
▼〔航空写真:〕Googleマップ:航空写真|羽越山(住田町) https://goo.gl/maps/CK72zttUGxj
▼〔地形図:〕地理院地図|羽越山 611.8m(住田町) http://maps.gsi.go.jp/#15/39.226286/141.558387/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
▼〔五万分一地形図「遠野」(明治期?):〕1:50,000 chikeizu | Stanford Digital Repository https://purl.stanford.edu/yj955pw5941
▼羽越山 612.6m 2012年6月3日|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201206/article_5.html
▽「〔羽越山は〕「うえつ」でなく「はねごえ」と読むようです。羽越地方ではないのにという疑問は解決です。/ 母衣下山山麓を経て、〔住田町上有住〕新田山開拓地〔しんでんやまかいたくち〕*3から〔山頂〕北側の林道に入りました。山頂の西側に破線の道があり、かなり荒れていましたが、何とか山頂北西の鞍部〔あんぶ〕付近まで到達できました。/ そこからは、膝までの笹藪で、10分で山頂に着きました。三角点(三等三角点、点名:羽越山)はなく、細い標石がありました。プレートもなく、展望もありませんでした。/ 〔※略〕」
▼羽越山〔2015/01/03〕|やっちゃん日記・山行記録集 http://suuko.at.webry.info/201501/article_1.html
▽「■羽越山/ ・山行日 2014年12月28日(日)曇り/ ・所在地 岩手県住田町/ ・標高 612.6m/ 今年〔2014年〕最後の山行は、標石探しを兼ねて羽越山へ出かけてみる。住田町の国道340号線から〔北上する〕県道238号へ進む。1.6km地点から右〔上有住平沢地区〕へ進み、300m先のT字路は左へ進み新田〔しんでん〕方面へ向かう。新田集落*4を過ぎてさらに進み、新田山開拓地手前の峠付近から左に折り返す林道がある*5。先人の記録によれば、車の進入が可能だという。しかし十数センチの積雪で乗用車では進入できそうにない。林道入口に車を止めて歩くことにする。/〔※略〕/ 10:30分 羽越山山頂到着/ ここまでうるさい笹薮はなかった。なだらかな山頂、プレートはなし。20cmほどの積雪、三角点は見えない。白杭なし。足で探ってみても見つからない。GPSで三角点座標ポイントを探してみると、山頂から西へ15mほどずれた場所に導かれる。なだらかな山頂の斜面に三角点*6・・これはおかしい?/先人の記録によると山頂には三角点がなかったという。不自然な場所に三角点?・・雪の下には短い笹が茂っている感じだから雪を掘っても見つからないだろう。ほかの標石探しも無理。ただ登っただけの山行になってしまった。/しかし羽越山周辺の地形と雑木林の様子から考えると、昔は放牧場だった可能性はありそう。雪のない時期に出直してくることにしよう。/ ・林道入口→22分→牧草地→20分→620mピーク→20分→羽越山山頂/ ・林道入口→1時間02分→羽越山山頂/ 〔※略〕」
▽参考:(羽越山)
▼【みちのく】☆魅惑の岩手路☆【徒然】3巡目 http://mimizun.com/log/2ch/bike/1128554235/425-
▽「425 :やまぬこ ◆Emjcf.lfLU :2005/11/17(木) 23:41:41 id:Dz8YILsD」「〔※略〕/ ■羽越山 http://bike2ch.web.infoseek.co.jp/cgi-bin/imgboardNoRes/img-box/img20051117233205.jpg 〔羽越山は〕母衣下山の〔北〕隣の山。ここよりしばらく〔岩手県道238号は〕2車線の快適な道が続きますがしばらく走ると1車線分しかない細道となり山の中へ。遠野に抜けて昼食かなと思ってたら、わらび峠〔蕨峠〕は工事中の時間帯通行止め。〔※略〕」
▽▽母衣下山/袰下山(ほろしやま) 586.5m
▽母衣下山(地理院地図 標高586.5m)。山頂に三等三角点「保呂志山(ほろしやま)」586.48mがある*7。住田町の北域。北西に羽越山。南麓に国道340号および気仙川、その南に東峰山(あずまねさん)。西に、新切川および岩手県道238号遠野住田線を挟んで鷹取山(たかっとやま)。また、山頂の北方約1.7kmに四等三角点「地嶽山(じだけやま)」563.10mがある*8。
▼〔地図:〕母衣下山 - 気仙郡住田町/山:マピオン電話帳 http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07003/03441/L0583728/
▼〔航空写真:〕Googleマップ:航空写真|母衣下山(住田町) https://goo.gl/maps/9mC18LVk1712
▼〔地形図:〕地理院地図|母衣下山 586.5m(住田町) http://maps.gsi.go.jp/#15/39.205339/141.579330/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
▼〔五万分一地形図「遠野」(明治期?):〕1:50,000 chikeizu | Stanford Digital Repository https://purl.stanford.edu/yj955pw5941
→▼袰下山/母衣下山(ほろしやま):住田町 - atimus's blog http://atimus.hatenablog.jp/entry/2013/09/20/120000
▽高清水山(地理院地図 標高1013m)。山頂に三等三角点「高鈴(たかすず)」1013.00mがある*10。住田町の北東域。気仙川の源流。遠野市、釜石市との3市町境界。南麓に大洞鉱山(閉山)*11、JR上有住駅(釜石線)、滝観洞(鍾乳洞)、滝観洞IC(仙人峠道路)を挟んでさらに南方に愛染山。北方に仙人峠(釜石市・遠野市境界)、山頂の東方には土倉峠を擁する。北東、土倉峠の向こうには釜石市の釜石鉱山(閉山)、JR陸中大橋駅(釜石線)がある。(なお、遠野市綾織町に同字で「たかしみずやま」と読む別の山がある*12。)
▼〔地図:〕高清水山 - 気仙郡住田町上有住/山:マピオン電話帳 http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07003/03441/L0574075/
▼〔航空写真:〕Googleマップ:航空写真|高清水山(住田町) https://goo.gl/maps/LC5RVkopd682
▼〔地形図:〕地理院地図|高清水山 1013m(住田町) http://maps.gsi.go.jp/#15/39.263809/141.688507/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
▼〔五万分一地形図「遠野」(明治期?):〕1:50,000 chikeizu | Stanford Digital Repository https://purl.stanford.edu/yj955pw5941
▼高清水山 1013.5m・仙人峠 2012年9月8日|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201209/article_10.html
▽「遠野市と住田町の境にある高清水(たかすず)山は、ルートをあれこれ悩み続けた山です。/ 〔高清水山北方の〕仙人峠(標高約890m)*13から稜線がつながっており、晩秋なら道がなくても何とかなるのではと思っていました。しかし仙人峠遠野口(標高約560m)からは結構距離があり、ほかのルートも検討していました。/ 北側の直登は、標高差550m、片岩などの断崖、早瀬川の渡渉があり非常に危険そうです。昔の地形図を見ると、滝観洞〔ろうかんどう〕の奥から、〔北の〕高清水山の山頂近くに至る道と、〔北東の〕土倉峠〔つちくらとうげ〕*14付近に至る道が書かれていました。「土倉峠」で検索すると釜石側は廃道で全く通行不可能、住田側は鉱山会社の私有地で立ち入り禁止とありました*15。山頂近くに至る道も廃鉱山〔大洞鉱山(日鉄鉱業株式会社 大洞鉱業所)〕*16の作業道だったのかもしれません。/ 〔この〕昭和45年〔1970年〕編集の地形図〔※5万分の1地形図。写真あり〕*17からは、いくつもの興味ある情報が得られます。仙人峠の遠野側は車が通行できた可能性があること(実線になっている)、仙人トンネル*18が有料道路だった*19こと、鉱山鉄道があった*20こと等々。鉱山跡は立ち入り禁止のようですが、探検したら楽しいことでしょう。/ 〔地形図の〕写真の範囲外ですが、愛染山近くの箱根峠*21は当時は842.1m三角点北側の鞍部(アンテナ山〔※箱根山〕まで行く道路)であり、現在の箱根峠〔の名称〕は枯松峠*22となっています。」
▽「半ばあきらめていましたが、仙人峠から南〔の高清水山山頂方面〕に向かう道があったという情報を得ました。仙人峠の南方で稜線を乗り越える送電線の管理道の可能性があり、そこまでかもしれませんが、もしかしたら遠野・釜石・住田の3市町境界までは道があるかもと期待しました。境界まで道があればその先(〔山頂までの〕稜線約1km)は何とかなるだろうと、可能性が開けました。晩秋まで待てないので挑戦することにしました。/〔※略〕/ 〔仙人〕峠から南に立派な道がありました。何の標識もないのにこんな立派な道…やはり送電線管理道だろうと思いながら進みました。朝日に輝く太平洋が見えました。6時48分に送電線の鉄塔広場に着きました。ここからは片羽山(雌岳)、岩倉山、大開山がよく見えました。/〔※略〕」
▽「〔高清水山山頂の東にある〕3市町境界(実際には少し西側の鞍部)には7時半に到着しました。〔そこから〕東と南には道がありましたが、肝心の西には道がはっきりしません。しかし少し進んでみると道がありました。〔※略〕山頂手前はふたたび笹薮でしたが、藪を抜けて8時5分に山頂広場に出ました。遠野口から2時間20分、仙人峠から1時間35分かかりました。/ 展望のないピークでしたが、2枚の〔山頂〕プレートがありました。この先も道はあるようでしたが、北西方向にも道がありました。この先に名前のある山はないので、関わらないことにしました。/ 同じ道を戻りましたが、1011mピークのすぐ西のピークで北側に下りてしまい引き返しました。3市町境界付近も道がはっきりしない部分と獣道が入り乱れた部分がありました。岩峰〔巨岩ピーク〕のまき道は気を付けないと西に下りて行ってしまいます。〔※略〕/ 全行程ほぼ道はあり、藪こぎ人にはやや物足りない山だったとも言えますが、ルートファインディングは必要であり、GPSが必須でした。一般的な登山コースでないことは間違いありません。/ 9時49分に仙人峠に戻り、北側のピークに行ってみると、地図にはない四等三角点がありました。昇格したのでしょうか。基準点成果等閲覧サービス*23では四等三角点「仙人峠」*24でした。/ 〔※略〕」
▼本日の偵察結果〔2012/06/10〕|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201206/article_18.html
▽「高清水山:昭和45年〔1970年〕の地図に、滝観洞から〔高清水山〕山頂および土倉峠に至る道が描かれていました(驚)。偵察を試みましたが、滝観洞の先は工事中で通行できませんでした。このルートが利用できれば、上有住〜土倉峠〜高清水山〜仙人峠〜陸中大橋〔〜JR釜石線〕〜上有住というルートが可能かも。」
▽ 〔※コメント欄:〕「峠データベース*25というサイトによると、〔土倉峠の〕上有住側は社有地(鉱山跡?)*26のため立ち入り禁止、釜石側は重機道があるもののひどい藪とのことです。/ あかりんだよ 2012/06/10 20:36」 ※地図写真あり。
▼高清水山(仙人峠)〔2013/03/23〕|やっちゃん日記・山行記録集 http://suuko.at.webry.info/201303/article_5.html
▽「■高清水山(仙人峠)/ ・山行日 2013年3月15日(金)晴れ/ ・所在地 岩手県遠野市、住田町境界/ ・標高 1013.9m/ 仙人峠の南に位置する高清水山〔たかすずやま〕には、整備された登山道は無いらしい。あかりんさんのブログによると踏み跡程度の道はあるという。藪が気にならない今のうちに、登って見ることにする。/ 遠野市街から国道283号を釜石市方面へ向かう。上郷町〔遠野市〕から旧道へ進み仙人トンネルへ向かう。仙人トンネル入口の駐車場に車を止めて〔南の高清水山へ〕出発する。/〔※略〕/ 9:13分 岩ピーク着/ 岩ピークの上からの展望は素晴らしい。北方に大開山から片羽山、岩倉山、そして仙磐山方面へ続く山並み。南方に五葉山、愛染山、そして高清水山山頂へ続く稜線が見えている。/〔※略〕/ 岩ピークの先は狭い尾根を進む。3市町境界のピークは、はっきりした踏み跡があったので、西側斜面を巻いて進む。下山の時3市町境界ピークを通ってみると、一四四七番山境界標石の他に圖根点〔図根点〕標石*27があった。/↓3市町境界の山標石〔※写真〕/〔※略〕/ 10:12分 高清水山山頂到着/ 雪に覆われた広場に到着。〔山頂〕プレートは二枚。ILPのプレートと、大きな厚板のプレートがある。展望はなし。三角点〔三等三角点・高鈴〕は深い雪の下だから諦める。/〔※略〕」
▼untitled : 釜石線:仙人峠〜箱根峠/尾根伝い俯瞰【14年02月】〔2014/02/25〕 http://blog.livedoor.jp/assagai/archives/51876936.html
▽「〔※略〕/ 遠野市内を抜け、R283の新道(仙人道路)には進まずに、左折して、旧道を行く。やがて、前方に仙人トンネルが。その手前、右手にある駐車スペースに車を停める。/ 仙人峠(旧街道)の遠野側の登り口です。遊歩道が整備されています。〔※略〕/ 7時出発。幸い、先人達が付けてくれた踏み跡のお陰で、比較的、楽に登っていくことが出来た。前半は、九十九折の道が続きます。/〔※略〕/ 峠〔仙人峠〕から、今度は尾根伝いに南(箱根峠)方向に。向って左が釜石市で、右が遠野市、です。つまり、この尾根が、〔両市の〕境界線になっている訳です。〔※略〕/ 〔仙人〕峠から〔南へ〕10分ほど進むと、鉄塔&架線が横切っています。木が伐採されているため、風の通り道になり、そのせいで、この部分だけ、雪は積もっていません。/ 左の写真は遠野市方向、右は釜石市方向、ん、ちょっと待てよ。あの建物、見覚えあるな。一眼レフを取り出し、ズームで。(道中の写真はコンデジ)/ やっぱりな、陸中大橋駅〔釜石市〕だ。〔※略〕/ 更に進み、上記の地図〔GPS地図画像〕にも記載のある、P924〔標高924m地点〕*28へ。ここから、その先の岩場(巨岩)ピークを望む。その間が急激に落ち込んでおり、巨岩越えを含めて、道中、最大の難所となっている。/〔※略〕/ 同じく巨岩ピークから、これから向う方向〔南方〕に目を。左の写真、左手前の低いピークが、遠野市、釜石市、住田町、3市町の境界ピーク、右手奥が高清水山〔たかすずやま〕*29。右の写真、境界ピークの左奥、手前のアンテナ群が建つ山が、通称:箱根山、そのちょっと右手、〔奥に〕頭だけちょこんと出しているのが愛染山、そして、左手奥に霞んで見える、なだらかな稜線が、五葉山です。/ 〔3市町〕境界ピークに到着。ここから釜石市と住田町の境界である尾根伝いを〔東へ〕進まなければいけなかったのですが、間違って〔西の〕高清水山〔山頂〕に向う遠野市と住田町の境界線を一旦、進んでしまった。直ぐに間違いに気付いて引き返す。地図上〔GPS画像上〕の軌跡を見て貰えば分かると思います。ここで、先人の踏み跡は消えていた。引き返したのか・・・・・・。/ で、本来向うべき〔東への〕ルートに侵入。今までとは違い、「木の密度」が増してきた。〔※略〕/ ここだ。やっとこさ、視界が確保できる場所を発見。直ぐ側には営林局の境界:見出標が木に。No.69かな、これは? どうでもいいか。時計を見ると9時半。登り始めて2時間半の道程だった。(撮影ポイント(3))/〔※略〕/ まだSL登場までは時間があるので、カメラをセットした後、更〔に東へ〕、その先まで行ってみることにした。地図上のP917〔標高917m地点〕*30まで行きましたが、新たな〔撮影〕ポイントは見つからず。しかも、P917の先は、急激に落ち込んでいる/地図で言うところの、土倉峠だな、この凹みは。これでは、ちょっとこっち〔仙人峠側〕から箱根山まで行くのは、リスクが大きすぎるな。/〔※略〕」
▽参考:(高清水山)
→▼日鉄鉱業大洞鉱業所(大洞鉱山)とJR上有住駅 - atimus's blog http://atimus.hatenablog.jp/entry/2018/05/31/000000
▼点名〔2010-07-20〕 : 不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!- http://dostoev.exblog.jp/14231508/
▽「〔※略〕/ 遠野盆地は周囲を山々に囲まれているのだか〔だが〕、その山々一つ一つに名前が付けられている訳ではない。無名の山もいくつかある。ただ公では無い〔公定の名称ではない〕のだが、その地域によって古くから伝えられる山名というものも、存在する。また現代となり、新たに漢字が充てられてイメージが変わった山というのもある。/ 例えば、仙人峠の南方に鎮座する高清水山というのがあるのだが、これと同じ漢字表記の山は、遠野にもう一つある。一つは現在、遠野盆地を見渡せる展望台でも有名な高清水山*31であるが、これは「たかしみずやま」と読む。しかし仙人峠の高清水山は「たかすずやま」と読む為に、漢字だけ見ると紛らわしい山名だ。本来、仙人峠の高清水山は「たかすずやま」とも「すずがやま」とも呼ばれていたという*32。但し漢字表記ではなく、口伝だけで伝えられたようだが、漢字に表せば「鈴」の漢字を充てる*33のだと。つまり「高鈴山」もしくは「鈴ヶ山」という名前で表記されたのかもしれない。あくまで「鈴」に関する言い伝えから呼ばれた山名であるようだが、これは後に展開する事としよう。/〔※略〕」
▼峠データベース・詳細表示:土倉峠(岩手県気仙郡住田町上有住/釜石市甲子町) http://pdb.the-orj.org/view.php?no=2760
▽「峠No.: 2760/ 峠名: 土倉峠/ 読み: つちくらとうげ/ 行政区: 岩手県気仙郡住田町上有住/釜石市甲子町/〔※略〕」
▽「■峠の概略: 〔土倉峠の〕上有住側は社有地で立入禁止。大橋〔陸中大橋〕側からのピストンコースになる。峠に向かってブル道〔ブルドーザー用道路〕がジグザグに延びているが、最後の標高差200mは強烈なヤブ漕ぎに泣くと思う。(吉永さん)」
▼仙人峠 (岩手県) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E4%BA%BA%E5%B3%A0_(%E5%B2%A9%E6%89%8B%E7%9C%8C)
▼釜石鉱山 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%9C%E7%9F%B3%E9%89%B1%E5%B1%B1
▽箱根山。おそらく、山頂に三等三角点「土倉(つちくら)」989.36m*35を持つ989.4m山をいう。住田町の北東域。南に愛染山、五葉山と連なり、北に土倉峠、南に箱根峠。北西には高清水山。西麓にJR上有住駅(釜石線)、滝観洞。新仙人トンネル(仙人峠道路)、土倉トンネル(JR釜石線)が山体を貫いている。山頂のすぐ南にはアンテナ塔群「上有住無線中継所」がある(“箱根山無線中継所”とも通称)。
▽箱根山の南方には、箱根峠(岩手県道167号釜石住田線)のすぐ北に位置する四等三角点「枯松峠(かれまつとうげ)」841.56m*36ピークがある。
▼〔地形図:〕地理院地図|箱根山(?)989.4m(住田町) http://maps.gsi.go.jp/#15/39.248423/141.705351/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
▼〔航空写真:〕Googleマップ:航空写真|上有住無線中継所(住田町) https://goo.gl/maps/bTQgkC8tySv
▼〔地形図:〕地理院地図|箱根峠(住田町) http://maps.gsi.go.jp/?ll=39.23180177444,141.70956621924&z=15#15/39.231804/141.709535/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
▼〔五万分一地形図「遠野」(明治期?):〕1:50,000 chikeizu | Stanford Digital Repository https://purl.stanford.edu/yj955pw5941
▼Facebook:すみっこの部屋〔2016/10/19〕 https://www.facebook.com/sumita.character/posts/627412767420017
▽「今日は箱根さ行ってきた。箱根!?どごの箱根だど思ったぃ? 住田にも箱根あんだぞ! 〔岩手〕県道167号線〔釜石住田線〕箱根峠*37は秋だ秋!山は紅葉が始まって今週末はいい感じでにゃあべが!? 赤い実っこ見つけだり、栗っこも山梨も拾っちまったずの♪ 山ん中はまず、まつりだ!まつり!まつりみでゃあなもんだ! みんな喰いだめして丸々肥えで、冬に備えっぺな〜! 正月だば炭っこのコタツで温だまって駅伝でも見るべしな!(笑)」
▼険道167号線〔2010年05月08日〕 : まっくの徒然日記 http://blog.livedoor.jp/macnodiary/archives/1020781309.html
▽「わざわざ滝観洞ICで降りた理由。それは、/ この峠〔箱根峠〕を攻める!! と言っても、走り屋的なバカな事をしようという訳ではありません。「山さいがねが」 http://yamaiga.com/index.html でお馴染み、えっ!これで現役!? という旧道を走ってみたかったのです。/ この道は、県道167号線。正式名称「一般県道 釜石住田線」。/ 仙人峠道路が開通するまでは、釜石から滝観洞へ行くには唯一この峠道しかなかったのです。滝観洞では、平日一日一組来ればよいという客足だったのが 新道〔仙人峠道路〕開通後は一日十組は来るようになったそうです。それだけ、立ちはだかる峠が凄すぎたと言うこと。新道開通は、にわかオブローダーにとってもアクセス楽々の入門編「険道」となったのであります。それでは、峠道に踏み入ってみます。/ 道路を塞ぐゲートと「この先4.3Km区間 巾員狭小につき 通行注意」の看板。2年前〔2008年?〕釜石に行った時は、落石&路肩崩壊で通行禁止になっていましたが 現在は注意看板もなく走行問題なし。それでは参りましょう。(ちなみに写真は、私がドライバーの為極端に少ないです・・・)/ 〔住田町側から入って〕前半戦の箱根峠までは、箱根沢に沿った森林道路。鬱蒼とした森の中を抜けて行くつづら折り。窓を全開にして初夏のさわやかな風を感じながらのドライブ。。。 は、/ この箱根峠までだった!。今までの緑に囲まれた、穏やかな森の雰囲気から一転。/ 車窓右側が、急に断崖絶壁に変化っ!!(>_<) それもそのはず、ここから、終点の甲子町までは/ 等高線をなぞるように/ 延々とぐねぐねの狭小道路が続くのです。しかも、右側は/ ゆうに高さ100メートルを超える谷。/ 左側は、/ 当たり前のように崩落が続く崖。何気なく走っているけど、実は結構命がけ・・・。かと言って、恐ろしい場所ばかりではありません。途中/ 沢が道路を横切っている場所があり、/ 壮観な三段滝と、/ 芸術的な落石防止柵を看ることが出来ます。見えにくいですが、延々山頂付近まで柵が取り付けられている。一体どんな工事現場だったんでしょう。ちなみに、この滝と瓦礫の上に釜石線が走っているって凄すぎ(^_^;)。/ つづら折りも少なくなり、直線で高度を下げると釜石側のゲートに到着。/ こちらの方が、赤く塗られていて いかにも封鎖ゲートって感じでイイですね〜。/ 順調に走って、30分程度で走り抜けられる峠道ですが、風景の変化を楽しむなら、住田→釜石と走る方をオススメします。森林道路から急激な断崖絶壁へ。その衝撃を、是非楽しんで頂きたいですね。」
▼箱根峠の電波塔〔2013年11月2日〕 | 釜石サテライトBlog http://sanriku.adm.iwate-u.ac.jp/blog/?p=5499
▽「釜石の西側には,北上山地の山々が立ちふさがり,昔から藩城下〔盛岡〕や〔岩手〕県中央部との行き来の障壁になっていました。/ 近世までは仙人峠が主な交通路で,釜石には最短のコースでしたが,峠は急坂で約4km3時間ほどかかり,徒歩や駕籠(かご)で峠越えしていました。〔※略〕/ 放送の時代になってもこれらの山々は障壁でした。/ 釜石でのテレビ放送は,昭和35年〔1960年〕9月1日からのようですが,そのための電波塔〔中継アンテナ塔〕が山の上に建てられました。場所は,仙人峠の南にある箱根峠の少し北側の通称「箱根山」の頂上で,新仙人トンネル〔仙人峠道路〕*38が真下を通っています*39。電波塔は,小学校の登校時によく目にしたものでした。くっきりと見える雲一つ無い冬の晴れた朝は,五葉おろしが吹き,釜石でも手袋や耳かけが必要でした。〔※略〕/ 電波塔が〔釜石〕市内から見ることができるので,電波塔からは市内が一望できます。/ 箱根峠は,釜石市大松から住田町上有住に通じる県道157号〔※「県道167号」の誤り〕(冬期通行止め)が通っている峠で,鞍部に愛染山登山口があります。昭和15年〔1940年〕に開通した「釜石-水沢間組合道路」の一部のようです。」
▼かまいし便り92 「箱根山」〔2013.02.06〕|さんりく観光情報:いわて三陸観光情報ポータルサイト http://www.iwatetabi-sanriku.jp/post/?p=4709
▽「〔釜石市甲子町の〕松倉から大松まで国道〔283号〕を西進する時、いつも正面に見えるどっしりと構えた山、それが「箱根山」です。/ 五葉・愛染・片羽〔かたば〕の釜石三山*40にはさまれて、少し肩身の狭い思いをしている様な山ですが、頂上にはテレビ塔や携帯電話の中継局〔上有住無線中継所〕があり、新仙人トンネル〔仙人峠道路〕もこの山の中腹を通っています。/ 五葉山系の雄大な自然が満喫できる「箱根峠」もこの山ひだを縫う様に走っていますが、残念な事に〔2011年3月の〕震災後からずっと通行止めとなったままです。/ 子供の頃、大町にあった門間製麺所の素一ちゃんに、弟さんの強ちゃんと共に車でどこか滝のある山奥に連れて行ってもらった事がありました。/ そこがどこか分からないままずっと記憶の中にだけありましたが、自分で車を運転するようになって、初めてそれが箱根峠だったことが分かりました。/ 周囲は山々に囲まれ、車道の脇には山から流れ落ちる滝、この光景こそ私が子供の頃見せてもらった風景なのでした。/ 大松にある箱根山、いつもこの山を見るたび、当時の事を思い出します。/ 藤枝 宏」
▼かまいし便り106 「箱根峠」〔2013.05.30〕|さんりく観光情報:いわて三陸観光情報ポータルサイト http://www.iwatetabi-sanriku.jp/post/?p=5668
▽「震災後〔東日本大震災、2011年3月〕からずっと通行止めだった箱根峠が、ようやく通れるようになりました。箱根峠は甲子町大松〔釜石市〕と住田町を結ぶ県道〔167号〕ですが、釜石一の秘境を楽しめる山岳道路です。深い森の中を通るので新緑や紅葉も素晴らしく、冬期間は通行止めになりますが雪景色も絶景です。枯松渓谷を俯瞰できる高低差のある眺めは圧巻で、五葉〔山〕・愛染〔山〕が間近にそびえる風景には本当に圧倒されます。道は所々狭くなっていますが、車からも見れるこの峠の絶景は釜石一です。/ 藤枝 宏」
▼かまいし便り122 「箱根山からの眺め」〔2013.10.10〕|さんりく観光情報:いわて三陸観光情報ポータルサイト http://www.iwatetabi-sanriku.jp/post/?p=6836
▽「〔2013年〕9月の秋晴れの日、箱根山頂上に行って来ました。/ 箱根山は、松倉〔釜石市甲子町〕以西に車を走らせると正面に見える山ですが、山の頂上にはテレビ塔〔中継アンテナ塔〕がいくつか見え、車で行く事もできます。/ 甲子町大松から五葉・愛染の絶景を左手に見ながら県道〔167号〕を進み、箱根峠を住田側に越えてすぐの〔北に向かう〕山道を走ります。/ テレビ塔のある〔箱根山の〕山頂まで道はあまり良くありませんが、ススキがなびく心地よい秋風も吹き、どこか懐かしい感じがします。/ 昔から見続けてきた西にそびえる山の頂は、私たちが住む釜石市街地を、東西に細長く見せてくれました。/ 藤枝 宏」
▼untitled : 釜石線:箱根山(峠)俯瞰【13年7月】〔2013/07/11〕 http://blog.livedoor.jp/assagai/archives/51851650.html
▽「〔※略〕/ ま、何はともあれ、初っ端は写真の方をば。青森に行きがてら、〔JR〕釜石線の撮影。去年〔2012年〕、SLを撮影したポイント(俯瞰場所)へ。/ 〔※写真。NTT docomoの「上有住無線局」の略地図入り看板を含む〕/ 住田町の上有住と、釜石市の大松を結ぶ、県道167号線〔釜石住田線〕。そのピーク部分、行政境に近いところ〔住田町側〕に、1本、枝道が〔北に分かれて〕山の上の方に続いています。箱根山の山頂近くに建つ、アンテナ群に続く道です。ただ、地上デジタル放送に切り替わってから、現在、実際に稼動しているのは、NTT(ドコモ)のそれだけのようです。で、去年〔2012年〕、2回訪れたときは、2回とも〔枝道の〕入口にロープが張られ、車で進入出来ないようになっていました。〔※略〕/ 〔箱根山山頂近くのアンテナ塔群までは〕舗装された部分と砂利道の部分が、交互に続きます。轍が出来ていたり、崩れかけている部分も多数。道も狭く、離合出来る場所も限られています。対向車が来ないことを祈るのみです。結構な距離があります。車で10分くらいかかったんじゃないかな? よく歩いたよな、自分(笑)。/ 一番手前〔のアンテナ塔〕がNTT〔docomo〕、その次がNHK、更に奥に民放のものが2本、計4本のアンテナが建っています*41。NHKと民放の間に車を停める。/〔※略〕/ 〔※写真:滝観洞IC写真〕/ また別な意味でも、撮影環境が激変しています。カメラをちょっと左に振ると・・・ そう、仙人峠道路の開通〔2007年3月〕です。本当に直ぐ脇に、上有住のIC〔滝観洞インターチェンジ〕があります。〔※略〕」 ※上有住無線中継所アンテナ塔の現地写真、多数。
▼untitled : 釜石線:箱根山(峠)俯瞰【13年10月】〔2013/10/27〕 http://blog.livedoor.jp/assagai/archives/51864519.html
▼untitled : 釜石線:仙人峠〜箱根峠/尾根伝い俯瞰【14年02月】〔2014/02/25〕 http://blog.livedoor.jp/assagai/archives/51876936.html
▽「〔※略〕/ 仙人峠(旧街道)の遠野側の登り口です。遊歩道が整備されています。〔※略〕/ 〔仙人峠の南方、〕同じく〔924mピークの南にある〕巨岩ピークから、これから向う方向〔南方〕に目を。左の写真、左手前の低いピークが、遠野市、釜石市、住田町、3市町の境界ピーク、右手奥が高清水山。右の写真、境界ピークの左奥、手前のアンテナ群が建つ山が、通称:箱根山*42、そのちょっと右手、〔奥に〕頭だけちょこんと出しているのが愛染山、そして、左手奥に霞んで見える、なだらかな稜線が、五葉山です。/〔※略〕/ で、〔3市町境界から〕本来向うべき〔東への〕ルートに侵入。〔※略〕/ まだSL登場までは時間があるので、カメラをセットした後、更〔に〕、その先まで行ってみることにした。地図上のP917〔標高917m地点〕*43まで行きましたが、新たな〔撮影〕ポイントは見つからず。しかも、P917の先は、急激に落ち込んでいる/地図で言うところの、土倉峠だな、この凹みは。これでは、ちょっとこっち〔北の仙人峠側〕から箱根山まで行くのは、リスクが大きすぎるな。やはり〔岩手〕県道〔167号〕が冬季の通行止め解除になってから行こうか。予定では〔2014年〕3月20日(⇒3月31日に変更)になっているけど、先日の大雪で、どうなるか分からないな。/ 〔※略〕」
▼untitled : 釜石線:箱根山(峠)俯瞰【14年04月】〔2014/04/09〕 http://blog.livedoor.jp/assagai/archives/51880932.html
▽「〜〔2014年〕4月8日の模様です〜/ 〔※画像:箱根峠周辺の地形図〕/ ようやく県道167号(釜石住田線)の冬季閉鎖が解除になった。あ〜やっぱりな・・・・・・。県道は走れるようになったものの、〔箱根山山頂近くの〕電波塔群に続く道は、のっけからこの有様。車を置いて、歩いて登ることに。ま、これは想定内だが。/ 〔※略〕」 ※地形図画像あり。
▽参考:(箱根山)
▼高清水山 1013.5m・仙人峠 2012年9月8日|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201209/article_10.html
▽「〔※略〕/ 昭和45年〔1970年〕編集の地形図〔※5万分の1地形図。写真あり〕*44からは、いくつもの興味ある情報が得られます。〔※略〕/ 〔地形図の〕写真の範囲外ですが、愛染山近くの箱根峠は〔1970年〕当時は842.1m三角点北側の鞍部(アンテナ山〔※箱根山〕まで行く道路)であり*45、現在の箱根峠〔を指す名称〕は枯松峠*46*47となっています。/〔※略〕」
▼箱根峠〔2006年10月03日〕 : 山猫を探す人II http://okenamay.exblog.jp/23093666/
▽「釜石から遠野へ抜けるメインストリームは仙人峠。もし、仙人峠が不通になった場合、我々は箱根峠を越えなければならない。えっ? 知らない? 由緒正しい気仙街道ですよ。/ 洞泉〔釜石市甲子町〕の先から山中に分け入り上有住〔住田町〕に至る山道〔岩手県道167号釜石住田線〕で、そのサミットにあたるのが「箱根峠」です。/ 全線舗装路なので物足りませんが(笑)、折からの豪雨で難易度は高いです。/ 道路端に落差30m級の滝があったりして、なかなかワイルドな道です。/ 〔※写真:道路案内標識「県道167/岩手/ 釜石住田線/↑住田町29km/上有住箱根峠」〕/ほっと一息。箱根峠到着です。/ 〔※写真:「愛染山/1228米/登山口」「保健保安林」の標柱〕/近くにあった愛染山登山口。〔北方の〕遠野から見ると五葉山の前面に立つ山ですね。/〔※略〕」
▽〔※コメント欄:〕「Commented by 笛吹童子 at 2006-10-03 23:06 x/ そこらか〔そこから〕、住田町〔上有住〕(八日町)方面へ入っていくと、土倉〔つちくら〕、金ノ倉〔かねのくら〕、寒倉〔さむくら〕*48など、「倉」の付く地名が続きます。この辺から遠野の平倉周辺に大工さんが沢山来ていて親戚筋の家が多いと聞きます。鍋倉、石倉、草倉、一の倉、小倉と「倉つながり」で、親しみを感じてます。」
▼〔動画:〕【岩手県道】167号釜石住田線〔2014/07/06公開〕 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=icpR4cY7dy4
▽「2014/07/06 に公開」「ルートhttps://goo.gl/maps/L6nLK / 岩手県道167号釜石住田線は、 釜石市と気仙郡住田町上有住字葉山の国道340号との交点と釜石市甲子町字大松の国道283号との交点を結ぶ延長約25kmの一般県道である。このルート は住田町と釜石市への最短ルートであり、平成20年〔2008年〕3月16日に仙人峠道路滝観洞インターチェンジ新設に伴い住田町側はアクセス路として重 要な役割を果たす。/しかし、滝感動〔滝観洞〕付近から釜石方面へ向かう箱根峠越えはは幅員狭小のため大型車通行禁止であり、普通車でもかなり走りづらい道であり注意が必要です。/ 2014年6月下旬撮影/ 再生速度:3~5倍速」
▼箱根峠(はこねとうげ)|峠コレクション http://tougeoyaji.ciao.jp/hakonetouge_iwate.htm
▽「■箱根峠(はこねとうげ) 646m (2012.6.8)/ 岩手県住田町(すみたちょう)上有住(かみありす)大洞-釜石市大松」
▽「岩手県住田町上有住大洞と釜石市大松の間にある〔岩手〕県道167号・釜石住田線の峠である。/ 蕨峠〔岩手県道238号遠野住田線〕を〔南に〕下り、上有住十文字で国道340号線に入る。国道を少し東進した山脈地交差点から県道167号線に入る。まずはと滝観洞(ろうかんどう)のある上有住駅〔JR釜石線〕を目指す。/ 県道167号線にはいると、旧有住小学校〔※「旧上有住小学校」の誤り〕がある。現在は廃校になって住田町民俗資料館*49になっている。展示物は似たり寄ったりのものだろうが、とりあえず昔のものは保管しておいた方が何もなくなるよりはましかもしれない。走っていくと気仙川の狭隘部になるためかセンターラインがなくなった。/ 〔写真:〕・山脈地交差点/・旧有住小学校跡〔旧上有住小学校跡〕の住田町民俗資料館/・「上有住小松」の看板/・センターラインなくなる/ 道ばたの看板には「この先、箱根峠幅員狭小のため」の看板が出ている。しかし。中埣(なかぞね)まで来ると、またセンターラインが復活。〔南の〕六郎峠*50へ行く県道180号線〔上有住日頃市線〕の分岐点が現れた。道は1車線になった。なった途端にゲートが現れた。箱根峠へはこのまま真っ直ぐである。/ 気仙川の谷をどんどん詰めると、仙人峠道路が現れた。〔北方の〕国道283号線 仙人峠トンネル〔※「仙人トンネル」の誤り〕のバイパスである。/ 〔※写真〕・「箱根峠幅員狭小」の看板/・県道180号線の分岐点/・「上有住大祝」の看板/・仙人峠道路をくぐる/ 仙人峠道路をくぐったところが大洞〔住田町上有住〕の集落である。直進するとJR釜石線の上有住駅と滝観洞(ろうかんどう)がある。〔大洞〕集落手前から右折すると峠道である。入った途端にゲートが現れた。「釜石方面 通り抜け出来ません」の看板がある〔※おそらく東日本大震災によるもの〕。いきなりの急坂に狭い道。これは前途多難である(ー_ー)/ 〔※写真〕・大洞の集落から右折して峠道に入る/・ゲート「釜石方面 通り抜け出来ません」/・「住田町、箱根峠」の標識/〔※略〕/ そして峠。前後にある県道の標識に「箱根峠」の文字がある。やはり「釜石方面 通り抜け出来ません」の看板がある。/ 〔※写真:〕・「住田町29km上有住箱根峠」の標識/・箱根峠(住田町側より)/・箱根峠(釜石市側より)/・「釜石27km、釜石市 箱根峠」の標識/ 念のため峠から少し下ってみたが。ご覧のように全面通行止めの看板が出ているのと、六郎峠にも行きたかったので住田町側へ戻った。」
▼南三陸滝見隊|箱根峠の滝〔2015/09/02〕 http://takimitai.blog.fc2.com/blog-entry-810.html
▽「〔※略〕/ しょうがないので、画像倉庫にあった〔箱根峠の〕 首折れの滝 を持ち出すことにしました。何で今まで放っておいたかといえば、画像が2枚しかなかったから。/ 箱根峠。〔※略〕岩手県沿岸南部。/ 住田町にある滝観洞近くから釜石市甲子町に至る、細い細い峠道〔岩手県道167号〕です。某箱根峠のような名所・旧跡はないと思います。急峻な山の斜面を縫うように走る道路。一応完全舗装路ではありますが、対向車が来るとおたおたしてしまうような狭い道。ほとんど交通量のない道路のため、冬季は閉鎖されてしまいます。それでも麓には釜石自動車道〔仙人峠道路〕があるので全然困りません。峠の端から端まで人家はありません。日中でも道路上をクマが歩いてたりします。/ その峠の頂上から少しだけ釜石側に下りたところに 見上げるばかりの高さから流れ落ちている滝があります。〔※略〕」
▼道路の下見〔2012/9/17〕 ( 散歩 ) - いわてDS94/JG7NIF http://blogs.yahoo.co.jp/nif_0302/7035229.html
▽「〔※略〕 午後時間があるのでどうしようかと思って11m掲示板*51見たら、AA169局が種山に移動しているみたい。それではということで道路の下見を兼ねて釜石・住田の境目 『箱根山無線中継所〔上有住無線中継所〕』 へバイクでトレッキング。707とデジ簡ディバックに入れて、愛車TLR200でいざ林道へ/ 数日前(ちなみに平日)峠を抜けるルートは工事中で通行止めでしたが、その時警備員に日曜は通れるって聞いていた*52のですが、今日〔2012年9月17日〕は祭日。とりあえず行ってみたら休工で通行できました。〔箱根〕峠を抜けるルート頂上付近から中継局取付ルートへ。未舗装の部分は少し水の流れた跡がありましたが、走れないほどではなく昨日の物見山〔遠野市遠野町〕へのルート状態よりは走りやすいかな…/〔※略〕」
▼SV2014〔2014/7/27〕 - いわてDS94/JG7NIF http://blogs.yahoo.co.jp/nif_0302/11945796.html
▽「〔※略〕 2日目。思い切ってとんぼ返りの〔アマチュア無線の〕移動運用を決意。最近みちのくRCで移動運用する気仙郡住田町の上有住無線中継所(通称 箱根山無線中継所)に向かいました。〔※略〕」
▼特小レピーター〔2016/5/15〕 ( おもちゃ ) - いわてDS94/JG7NIF http://blogs.yahoo.co.jp/nif_0302/14141550.html
▽「昨日〔2016年5月14日〕は、バイクのメンテと軽のタイヤ交換、バイク倉庫の整理時間を費やし今日の休みももう一台のバイクをって思っていましたが中止し、特小レピーターの様子を見に住田町箱根山無線中継所〔上有住無線中継所〕に。/ 〔写真の〕真ん中に見えるのが箱根山*53。道路がどうなっているのか心配でしたが、問題なく登れました。〔※略〕」
▼ゴールデンウィークオンエアデイ〔2017/5/4〕 ( おもちゃ ) - いわてDS94/JG7NIF https://blogs.yahoo.co.jp/nif_0302/14894932.html
▽「ゴーオンがてら〔箱根山・上有住無線中継所の〕住田レピータのチェックに行ってきました。〔※略〕」 ※現地からの眺望パノラマ写真あり*54。
▼蒸気機関車 SOUL TRAIN’s|釜石線・新緑と水田(2)〔2014-05-28〕 http://soultrainsd51241.blog.fc2.com/blog-entry-73.html
▽「2014.5.24 2014年の“秘境駅”ランキング58位の上有住駅。駅の周辺には“滝観洞”しかない。1993年3月31日までは、上有住から日鉄鉱業・大洞鉱山専用線が分岐しており石灰石を釜石まで発送していた。/ 2014.5.24 地元のファン曰く、NTTドコモ上有住無線局電波塔からの俯瞰は〔釜石線の〕線路がたぶん見えない。と言っていた。とにかく久しぶりに“仙人峠大俯瞰”に挑戦した。下り込み25‰。第二大洞トンネル42mを抜け、第三大洞トンネル49mに差し掛かる。/ 〔※略〕」
▼きままなツーリング日記:気になっていた林道!調査隊出動!(笑)〔2014年11月22日〕|気まぐれ写真館/ツーリング記録 http://oga-007.com/tuurepo/2014.11.22/1122.html
▼無線施設見学会を実施しました。〔2012年09月28日〕 - JARL岩手県支部(アマチュア無線連盟岩手県支部) http://jarl-iwate.com/2012/09/28/60/
▽「2012年7月22日(日)、釜石漁業用海岸局、岩手県漁業指導調査船の無線施設、および〔箱根山の〕IBC岩手放送 旧釜石テレビ(アナログ)中継局で無線施設見学会を実施しました。/ ・釜石水産技術センター(釜石市平田)駐車場集合/ ・岩手県漁業指導調査船「岩手丸」「北上丸」とセンター見学/ ・JFT釜石漁業用海岸局(釜石市大平町)見学/ ・IBC 旧釜石テレビ中継局(住田町)見学/ 〔※略〕/ ■釜石(箱根山)テレビ中継局見学/ IBC旧アナログテレビ釜石中継局舎/ テレビ岩手〔TVI〕+めんこいテレビ〔MIT〕+岩手朝日テレビ〔IAT〕+FM岩手の4局」」 ※写真3葉。
▼岩手県・釜石市・箱根山のテレビ塔〔2013/7/9〕 - ゆきとのブログ http://blogs.yahoo.co.jp/tsuneo7244/9796210.html
▽「■釜石・箱根山のテレビ塔/ 釜石市の西側に箱根山があります。/ 昭和28年(1953年・小学5年・上中島社宅)ごろ、テレビが普及し始め、箱根山の頂上に、テレビ塔〔中継アンテナ塔〕がにょきにょきと立ち始めました。どの塔がどのテレビ局の塔なのか関心はあったのですが、分からずじまいでした。2013年5月の「釜石便り」*55に、箱根山のテレビ塔の写真が掲載されました。/〔※略〕/ 2013年5月の「釜石便り」によると、次のようになります*56。/ 〔釜石側から撮影した箱根山写真の〕右側(北側):テレビ岩手〔TVI〕・めんこい〔MIT〕・岩手朝日〔IAT〕の共同アンテナのテレビ塔/ 中央:NHKのテレビ塔/ 左側(南側):IBC〔岩手放送〕のテレビ塔/ 左端の4本目の塔は、不明です〔※おそらくNTT docomoの中継アンテナ〕。/ 箱根山(峠)/〔※地図画像〕」 ※箱根山を釜石側から撮影した写真多数あり。
▼釜石テレビ・FM中継局 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%9C%E7%9F%B3%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%BBFM%E4%B8%AD%E7%B6%99%E5%B1%80
▽「釜石テレビ・FM中継局(かまいしテレビ・エフエムちゅうけいきょく)は、岩手県釜石市及び気仙郡住田町に置かれているテレビ放送とFMラジオ放送の中継局。ここでは、釜石デジタルテレビ中継局と同所に置かれている釜石鈴子テレビ・FM中継局、臨時災害放送局の釜石災害FMについても記載する。/ ■釜石テレビ・FM中継局/ ■デジタルテレビ放送/ 〔※略〕/ ■アナログテレビ放送/ 〔※表、略〕/ ・所在地: 気仙郡住田町上有住字土倉(箱根峠)/ ・2011年7月24日をもってすべて廃止される予定だったが、〔同年〕3月11日に発生した東日本大震災の影響により、2012年3月31日まで延期された。/ ・当中継局にはIBCのラジオ放送を本社から岩泉・田野畑・宮古・釜石・大船渡の各中継局へ伝送するためのマイクロ波中継設備がある[5](沿岸北部の久慈ラジオ中継局へは折爪岳経由で伝送)。/ 〔※略〕」
▼土倉峠無線中継所 | マップ | 塔マップ http://tower.30maps.com/map/172196
▽「■土倉峠無線中継所*57/ 〔投稿者:〕匿名 | 2012/10/25 17:27/ 計5基のアンテナ群*58。携帯電話は全事業者エリア外のため、テレビ・ラジオ関係と推定。/岩手県 気仙郡住田町 上有住土倉 298-81」 ※「上有住無線中継所」を指す。
▼IBC岩手放送 釜石テレビサテライト〔2010年8月撮影〕|岩手県テレビ放送鉄塔(D)|テレビ送信所|広域大阪無線保全課 http://www.kouiki.com/housou2/iwate/kamaishi-tv100815/ibc-kamaishi-tv.html
▼岩手県内放送局 TVI MIT IAT FM岩手 釜石テレビサテライト〔2010年8月撮影〕|岩手県テレビ放送鉄塔(D)|テレビ送信所|広域大阪無線保全課 http://www.kouiki.com/housou2/iwate/kamaishi-tv100815/kamaishi-tv.html
▼NHK盛岡放送局 釜石テレビサテライト〔2010年8月撮影〕|岩手県テレビ放送鉄塔(D)|テレビ送信所|広域大阪無線保全課 http://www.kouiki.com/housou2/iwate/kamaishi-tv100815/nhk-kamaishi-tv.html
▼日鉄鉱業株式会社|釜石鉱山 枯松沢隧道 利用アイディア募集|枯松沢隧道の概要 https://www.nittetsukou.co.jp/karematuzawa/
▽「■枯松沢隧道の概要/ 釜石鉱山で発生するズリ(尾鉱)を枯松沢堆積場まで運搬するため、選鉱場側(大橋)と堆積場側(枯松沢)を結んだ隧道で、1973年11月に掘削が開始され、1975年5月に完工、1977年に供用開始されたものです。この隧道は南北に5,178m の長さを誇り、隧道の架背(内径)は最高部で約9m、最低部は約3m、横幅は最大約9mで平均約3mです。 なお、2014年8月、隧道内に残置していたベルトコンベア等の機械類の撤去が完了いたしましたため、隧道の有効活用の幅はさらに広がることとなりました。」
▼〔地図:〕愛染山 - 気仙郡住田町/山:マピオン電話帳 http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07003/03441/L0569419/
▼〔航空写真:〕Googleマップ:航空写真|愛染山(住田町) https://goo.gl/maps/HGipEbLfxAL2
▼〔地形図:〕地理院地図|愛染山 1227.6m(住田町) http://maps.gsi.go.jp/#15/39.218407/141.703098/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
▼〔五万分一地形図「遠野」(明治期?):〕1:50,000 chikeizu | Stanford Digital Repository https://purl.stanford.edu/yj955pw5941
▼愛染山 1228.5m 2011年10月16日|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201111/article_39.html
▽▽五葉山(ごようざん) 1340.4m
▽五葉山。住田町の東南端。大船渡市、釜石市との境界。「霊峰 五葉山」とも呼ばれる。
▼〔地図:〕五葉山 - 釜石市・大船渡市・住田町/山:マピオン電話帳 http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07003/03211/L0573170/
▼〔航空写真:〕Googleマップ:航空写真|五葉山(住田町) https://goo.gl/maps/AbWmwGfGoC32
▼〔地形図:〕地理院地図|五葉山 1340.4m(住田町) http://maps.gsi.go.jp/#15/39.203876/141.729019/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
▼〔五万分一地形図「遠野」(明治期?):〕1:50,000 chikeizu | Stanford Digital Repository https://purl.stanford.edu/yj955pw5941
▼五葉山 1341.3m 2011年10月16日|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201111/article_40.html
▼五葉山・しゃくなげ荘 2015年12月12-13日|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201512/article_17.html
▼あすなろ山荘・五葉山・黒岩 2016年8月10-11日 その1|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201608/article_26.html
▼あすなろ山荘・五葉山・黒岩 2016年8月10-11日 その2|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201608/article_27.html
▽▽黒岩(くろいわ) 1320.8m
▼〔地図:〕黒岩 - 気仙郡住田町/峠・渓谷・その他自然地名:マピオン電話帳 http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07008/03441/L0640478/
▼〔航空写真:〕Googleマップ:航空写真|黒岩(住田町) https://goo.gl/maps/rKZzyD2VrGu
▼〔地形図:〕地理院地図|黒岩 1320.8m(住田町) http://maps.gsi.go.jp/#15/39.191903/141.711423/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
▼〔五万分一地形図「遠野」(明治期?):〕1:50,000 chikeizu | Stanford Digital Repository https://purl.stanford.edu/yj955pw5941
▼黒岩 1321.7m・五葉山 1341.3m 2012年7月22日|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201207/article_41.html
▼あすなろ山荘・五葉山・黒岩 2016年8月10-11日 その1|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201608/article_26.html
▼あすなろ山荘・五葉山・黒岩 2016年8月10-11日 その2|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201608/article_27.html
▽高森山(地理院地図 標高717m)。山頂に二等三角点「高森山(たかもりやま)」716.78mがある*61。住田町の南東域。大船渡市との境界。東方に黒岩、五葉山と連なる。北麓を、高清水山から南流した気仙川が西へ向かう。山頂の南東に六郎峠(岩手県道180号上有住日頃市線)、南西には小松峠を擁する。南には太平洋セメント長岩鉱山(大船渡市)、および白石トンネル(国道107号)*62がある。西方に東峰山(あずまねさん)。南東方面に毛無森山(大船渡市)。
▼〔地図:〕高森山 [岩手県気仙郡住田町上有住]の詳細情報 - Yahoo!ロコ http://loco.yahoo.co.jp/place/g-yYH12oZ8otc/
▼〔航空写真:〕Googleマップ:航空写真|高森山(住田町) https://goo.gl/maps/JeQ6CcioF7u
▼〔地形図:〕地理院地図|高森山 717m(住田町) http://maps.gsi.go.jp/#15/39.180427/141.647651/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
▼〔五万分一地形図「遠野」(明治期?):〕1:50,000 chikeizu | Stanford Digital Repository https://purl.stanford.edu/yj955pw5941
▼高森山(住田) 717.6m 2012年9月17日|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201209/article_18.html
▽「高森山という名前の山もたくさんあるようです。今回登った高森山は住田町にあります。/〔※略〕/ 六郎峠*63から大船渡市との境界の稜線をたどるのがわかりやすそうです。晩秋以降であれば比較的容易と思われますが、約2kmと結構距離があります。冬の六郎峠は通行できるのかどうかも不明です。東斜面を直登できないかとも考えましたが、容易ではなさそうです。〔山頂〕西側の破線の峠越え〔小松峠越え〕も果たして道があるのかどうかわかりません。/ 「点の記」*64で六郎峠から〔西へ〕稜線伝いに歩いたとなっていました*65。かなり古い記録であてになるかどうかわからないのですが、高清水山〔たかすずやま〕に道があったからここにもあるかもしれないと期待しました。全行程藪こぎならこの暑さでは無理でしょう。しかし今の時期に挑戦してこそ、奇人です。/ 六郎峠を観察すると、ガードレールのわきに踏み跡があり、少し入ってみると標石がありました。車に戻り、登山準備を整えて出発しました。/ 〔※略〕/ この先は登り一方です。途中荒れて道が途絶えた斜面がありましたが、藪をこぐわけでもなく、すぐに歩きやすい林間に戻りました。振り返ると〔東方の〕愛染山や高清水山方面がよく見えました。五葉山は雲の中のようでした。/ 〔住田町と大船渡市の〕市町境界のピークに到達し、ここで北に方向を変え、膝までの笹原を歩いて、三角点山頂に到達しました。六郎峠から57分でした。山頂からの展望はありません。/ これだけ楽勝の山でしたので、〔山頂〕プレートはきっとあるだろうと思いましたが、1枚もありませんでした。最近青白プレートもあまり見かけないような気がします。/〔※略〕」
▼案じすぎた高森山〔2012/09/17〕|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201209/article_17.html
▽参考:(高森山)
▼小松峠礫岩〔2009/07/02〕|追憶の南部北上|mkawa の地質ブログ(川村信人) http://www.sci.hokudai.ac.jp/grp/mkawa/mkawa_web/kawamura/geol_blog/kitakami/86619426df5a275ad558325ae1cee7f7eb7f5ae7.html
▽「〔※略〕/ この〔写真の〕礫岩サンプルは,私が採取したものではありません.以前穂別町立博物館に勤務されていて現在旭川市在住の地徳力さん(そのスジでは有名人)が,彼の卒業論文のときに採ったものです.〔論文〕北上古生層研究グループ(1982)*66ではこれを“小松峠礫岩”と呼んでいますが,もしかするとその地名は不正確かも?*67/ 正確に言うと,岩手県住田町中埣(なかぞね)から大船渡市〔日頃市町〕石橋に抜ける林道の峠付近で採取したものです.この峠は国土地理院の地形図では『六郎峠』と表記されています.そういう意味では,“六郎峠礫岩”とすべきかも?/〔※略〕」
▼氷上小岩体研究グループ〔2010/01/25〕|追憶の南部北上|mkawa の地質ブログ(川村信人) http://www.sci.hokudai.ac.jp/grp/mkawa/mkawa_web/kawamura/geol_blog/kitakami/66f23e449fde9a6fd84db22f8efe2e104d8920d2.html
▼八日町宿〔住田町上有住八日町〕 | みちのく悠々漂雲の記/岩手県 http://mitinoku.biz/hist_walk/hist_iwate/?p=1016
▽「〔上有住八日町宿は、〕元亀年間(1570年頃)にはすでに集落をなしていたと伝えられる。葛西領の最北端の位置にあり、上有住城*68がこの地に置かれた。軍事的にも重要な地で、城下町として整備された。/ 慶長6年(1601)3月、遠野の領主だった阿曾沼広長が南部氏の謀略により遠野を追われ、伊達領の世田米に逃れていた。広長は、伊達氏の後ろ盾を得て遠野奪還の準備を進めていたが、遠野勢は機先を制すべくこの地に進出し、八日町は兵火にさらされ焼き尽くされた。/江戸時代には内陸部と沿岸部の産物の交換地となり、内陸部よりは米、麻布など、沿岸部よりは塩、乾魚、海草と、全て馬の背に積み、大船渡よりは、日頃市の田代屋敷から小松峠*69を通り八日町〔住田町上有住〕へ、八日町からは赤羽根峠*70を経て〔遠野の〕南部城下まで運んだ。/ 毎月、8日、18日、28日に市が立てられたことから八日町となったと伝えられる。」
▼盛街道|高倉淳の宮城郷土史 http://takakura.fd531.com/sakarikaidou.htm
▽「〔※略〕/ 上有住宿からは和田野〔住田町上有住〕で世田米から〔朴峠(東峰山)を越えて〕来る遠野街道の交点にある追分け碑を見て東へ進みますと、縄文早期の小松洞窟跡〔小松洞穴遺跡〕*71があり、気仙川の北に小松集落が見下ろされます。洞窟の手前に小松峠への上り口があります。小松峠は住田町と大船渡市の境になっており、峠を下ると田代屋敷〔大船渡市日頃市町〕で、世田米から白石峠*72を越えてくる盛街道〔国道107号〕に出合います。/〔※写真〕《世田米からの遠野道の交点和田野/小松洞窟/小松峠への道》/〔※略〕」
▼ケセン歴史の道(街道):2.遠野街道|黄金の国・ケセン http://www.nnet.ne.jp/~tatuyosi/kesen/ziten/rekisinomiti1.html#anchor873078
▽「■けせんの街道/ 2.遠野街道/ 上下有住は古来から隣国遠野との国境の町であった。平時には、陸と海辺との心温まる交易の道であった。〔※略〕/ 〔大船渡市の〕盛町から田代屋敷までは、盛街道と垂複し、右に分岐し日頃市上石橋から「小松峠林道」の標柱の道を登ると、頂上が小松峠であり住田町との境である。そこから下った辺りに小松一里塚がある。塚は双方とも残っているが、松は枯れていて今はない。ここ、繋ぎ沢を下ると小松洞窟〔小松洞穴遺跡〕がある。〔縄文時代の〕先住民の住居跡であり重要な遺跡である。川をはさんだ対岸の大絶壁を「鏡岩〔かがみいわ〕」と言い名勝である。川を渡れば〔上有住の〕小松集落で、深渡〔ふかわたり〕ー天岳〔※「天嶽(あまたけ)」の誤りか〕〜和田野〔わだの〕に至ると、そこに一里塚がある。ここが〔世田米から東峰山(朴峠)を越えてくる〕高田遼野街道〔高田遠野街道〕との合流点である。〔※略〕」
▼180 上有住日頃市線(その2 六郎峠〜大船渡市日頃市町)|県道生活@いわて http://f48.aaacafe.ne.jp/~iwalife/180kamiarisu-hikoroichi/kami-hiko2.html
▽「〔※略〕/ 宇洞沢橋〔大船渡市〕まで来れば大丈夫だろう。終わったようなもの。ちなみに橋からまっすぐな方面が小松峠といって、昔の遠野方面への本線ルートだったとのこと。/ 石橋地区には太平洋セメント系列会社の鉱山がある。岩手の隠れた私鉄・岩手開発鉄道*73はここまで来ていて、終着駅・岩手石橋駅も楽しめる。/〔※略〕」
▼numako日記05年|numakoのhome[directory]page@放置中 http://numako22.web.fc2.com/nikki05.html#D100505
▽「■10月05日(水) 2005年/小松峠/ 遠野からは盛街道、大船渡からは遠野街道と呼ばれた道に小松峠と言う旧峠があります。気仙郡住田町上有住と大船渡日頃市を結ぶ最短の峠でした。/古くは元禄期の絵図にも記載されたりしていますが、特に大正4年〔1915年〕に花巻遠野間に岩手軽便鉄道*74が開通すると大船渡から盛岡方面への要衝路となり峠には茶店などもあったようです。小松〔住田町上有住〕の集落の県道〔167号〕から入っていきます。/暫く行くと分れ道に標柱が。《歴史の道遠野街道小松峠》と書かれています。小松峠に至るには旧道と新道が有ったようで、右が旧道と思われます。そちらに行くと暫く林道が続き、伐採現場で終点でした。左の方、戦前には馬車も通っていたという新道を行きます。〔※略〕」
▼活動報告(18)2016年3月:第3回「気仙三十三観音徒歩巡礼」(期間:2016年3月26日(土)〜3月31日(木)5泊6日)|祈りの道 気仙三十三観音再興プロジェクト https://kesenkannon.jimdo.com/%E6%B4%BB%E5%8B%95%E5%A0%B1%E5%91%8A/%E6%B4%BB%E5%8B%95%E5%A0%B1%E5%91%8A-18-2016%E5%B9%B43%E6%9C%88/
▽「■〔2016年3月〕29日/ 山脈地バス停(8:03)…小松峠入口(8:51)…小松峠(10:46) (10:55)…16.0km…国道〔107号〕合流点(11:53)…まるよし(13:20 )(13:58)…舘下観音堂(14:14) (14:48)…0.6km…稲子沢観音(14:56) (15:18)…2.3km…長谷寺(15:51) (16:35)…2.4km…洞雲寺(17:22) (17:30)…2.3km…盛駅/ 計25.8km/ 〔※略〕/ 〔住田町上有住小松の〕小松峠入口から林道に入りしばらく行くと、小広く開け畑があったと思われる場所がある。ここで山仕事に来ていた菅野正義さんと出会った。千葉〔修悦〕さんともちろん顔なじみだ。/ 「どこへ行くの?」「小松峠へ」「旧道の方が距離も短く早いよ。一緒に行ってあげるよ」「じゃお願いします」。この何気ないやりとりが後の試練をもたらした。/ いつもは突き当たりの「旧盛街道」の標柱を左に林道をうねうねと上っていく。以前から右に伸びる道に興味はあったが、あえて突っ込むことはしなかった。こちら〔右に伸びる道〕が旧小松峠道なのだと初めて知る。/ 菅野さんが子供の頃はすぐの所に木の杭があったそうだ。峠越えをしてきた人がここで亡くなったという標である。お会いした所に以前は小屋があり、薪などがあったという。そこを目指して峠から下り、あと100メートルというところで息が絶えたそうだ。さらに進むともう一人はこの辺りかな、と言った。伝える人がいないと歴史はすぐに風化してしまう。/ 右手の山は牛がはむ牧草が育てられていたことや、地名にまつわるお話しなど興味深く聞かせていただいた。道幅は広く通るのに問題はない。やがて杉の倒木が道をふさぐようになる。春の湿雪により山が荒れたそうだ。菅野さんは腰に差す鉈やのこぎりで枝を払いながら進む。/ 道が二手に分かれた。右の道は倒木が多かろうということで、左の小沢沿いに斜面を登ることにする。〔※略〕/ さてここから道なき急斜面を立木の根本に足場を確保し、その上の立木へ手を伸ばし「エイ」と腕で全身をずりあげる、という行為を繰り返す。足場がよくないためいろいろな筋肉に力を入れ体勢を整えなくてはならず、息が上がる。まさに全身運動。登山の経験がある私は、沢登りをした際の詰めの藪漕ぎを思い起こし、岳人スイッチがカチリと入ったのを耳にする。なんだか楽しくなってくる。/ 尾根にようやくあがり休憩。しかしそこには踏み跡がない。みなさん疲労困憊の様子。果たして小松峠にたどり着けるのか…。/ 菅野さんは、向かいの尾根と自分たちの行く尾根の合流点が小松峠であることを伝える。小刻みなアップダウンを繰り返し進んでいく。やがて旧道らしきところに出る。左の急斜面を上がらず右の道をまっすぐ進めば良かったようだ。そこにあった土盛りは一里塚の跡だという。/〔※略〕/ ほどなく、観音さまシールを発見。やった、いつもの〔小松峠越えの〕道に戻った。シールはとても役に立った。新川さんの法螺貝の音が聞こえてきた。山本さんも法螺で応答する。木々の中で法螺の音が交響する。小松峠小屋跡に到着。/ 結局旧道はどうだったのか。2キロ近く短く、時間も大してロスではなかった。でもだいぶ疲れた。菅野さんは25年ぶりの小松峠越えだそうだ。下りもだいぶ杉が倒れ歩きにくい。/ ずんずん下って〔大船渡市日頃市町側の〕一番上の家に到着すると、佐藤忠清さんの奥様が差し入れの大福を持って待っていてくれる。〔※略〕/ ここから車道歩き。田代〔田代屋敷?〕というこの地は稲子沢家が出たところだという。のどかな道を歩く。国道〔107号〕に出るとただひたすら進むのみ。〔※略〕」
▼館報まっさき 2015年2月号|デジタル公民館まっさき(大船渡市末崎町ふるさとセンター) http://www.massaki.jp/?p=5232
▽「■末崎の風土散策(32)〜末崎の茶屋について〜/〔※略〕/ なお、気仙地方には次のような茶屋があった。/ ○遠野街道の日頃市石橋〔大船渡市〕から上有住〔住田町〕に〔高森山を〕越える小松峠があり、大正12年〔1923年〕2月17日郡立気仙農学校の生徒3名が正月休みに盛町から上有住の自宅に帰る途中大雪に難渋し凍死した峠である。頂近くに「峠茶屋」(宮田政吉夫婦と娘)があり、側〔そば〕には湧水高清水もあって大正時代までは重要な交易路でもあった。/〔※略〕」
▼気仙・辺辺の四季|69 九十九曲峠の泉 http://www.saitoseika.co.jp/adariHP/adariho69/adarihodori69.htm
▽「大船渡市三陸町の綾里〔りょうり〕、九十九曲(くじゅうくまがり)峠*75がある。九十九曲峠ちょうど野形のお滝さま((不動滝)*76付近から赤崎町大洞〔大船渡市〕に通じる旧街道だ。その昔、住田町上有住の商人が綾里で商用を済ませた帰り道、この峠であまりノドが渇くので、近くの泉の水を見つけて飲んでいたところ、これが何とも言えぬおいしい水。この商人は上有住にもどってからも、あの水の味をわすれることができない。幾月か経って、たまたま親父が重病になり、しきりに水をほしがるのであの九十九曲峠のおいしい水を飲ませたいと思った親孝行息子はさっそく綾里に出かけ、桶に水を汲んで急ぎ足で帰途についた。ところが、上有住に近い小松峠の頂上に差しかかった時使いのものに出会い、父が死んだ事を知る。ガックリ肩を落とした息子は、汲んできた水を力なく道端に捨てた。すると何と不思議な事に、そこからきれいな泉がコンコンわき出た。付近の村人は「これこそ親孝行が天に通じたもの」と後の世に伝えた。小松峠には今でもこの泉がわいており通行人のノドを潤しているという。それ以来、九十九曲峠の〔泉と〕小松峠の泉*77とは「兄弟分の水」とも言われている。この夏、赤崎町の老若男女が世代交流で綾里峠越えを行った。二百年前、伊能忠敬も歩いたという歴史の道にあの泉はなかったが、小松峠にはまだあるかもしれない。」
▼東北大学総合学術博物館 | IGPS no. 92045 - Columnaria gigantea Murata - 古生物標本データベース http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/IGPS/020628_.html
▽※この記事は、国土地理院Webサイトで公開されている測量成果及び測量記録を使用して作成しています。
→▼住田町の「山」(その0):もくじ - atimus's blog http://atimus.hatenablog.jp/entry/2016/09/13/000000
*1:「羽越山(はねごえやま)」。山名読みは、ブログ「あかりんの岩手低山奇行」の記述(後掲)に従う。また、またブログ「タラ福カタル」でも読みを「はねごえやま/羽越山」と載せる。 →▼岩手県住田町の地名 その2|タラ福カタル http://plaza.rakuten.co.jp/tarafukukataru/diary/201105190001/ ただし、山頂の三角点名の読みは「はごえやま(羽越山)」となっている。
*2:「三等三角点「羽越山(はごえやま)」611.83m」。羽越山の山頂にある。点の記では点名読みを「はごえやま」と記す。点の記; 「基準点コード TR35841647401/冠字選点番号 是8」「所在地:岩手県気仙郡住田町下有住字奥新切275番地」「順路:住田町上有住新田部落北東方に羽越山に通じる林道あり、同林道は約1.0kmで終点となる。本点は同地点より南西進約300m(約20分)の山頂中央部にある」(昭和43年造標、昭和53年更新) →▼基準点成果等閲覧サービス|三等三角点「羽越山」611.83m http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx?lat=39.22708054546483&lon=141.5585227357395&z=15&did=std
*3:「新田山開拓地」。住田町上有住字新田山開拓地(しんでんやま-かいたくち)。羽越山の北東、赤羽根峠の南西に位置する。国道340号線旧道の赤羽根峠(新道は赤羽根トンネル)から、新田山開拓地へ向かう道路がある; 「峠には峠〔赤羽根峠〕の看板があった。国道でも市町村境となると、縄張り意識かどうかわからないけれど、とたんに看板が目立つ。ここは旧道だが、〔赤羽根〕峠手前から右へ入る道は新田山開拓地への現役道のようで、峠の撮影をしている間に女性ドライバーを含めて3台ほど車が出入りしていたから、やはり看板の類も現役なのだろう(^^;)」 →▼赤羽根峠 540m(2010.10.29)|峠コレクション http://tougeoyaji.ciao.jp/akabanetouge.htm 新田山開拓記念館(新田地区開拓記念館)、(有)ありす畜産、(株)いわて清流ファーム、また「新田山I遺跡」等がある。 →▼新田山I遺跡:遺跡ウォーカー http://www.isekiwalker.com/iseki/88577/ また、集落には上有住小学校 新田山分校があった(1969年(昭和44年)閉校)。 →▼上有住小学校新田山分校〔2009年7月撮影〕|岩手の廃校 http://haikou.okunohosomichi.net/school/kamiarisu_nittayama.html Twitter上にアップされた写真「夢が輝く上有住(カミアリス)/史跡・景勝地案内板」で、絵地図の左手に「新田山」の山体と名称が描かれているのを確認できる。次のtweet。 →▼xalmoさんのツイート: "〔絵地図の〕右上の滝観洞ってとこ目指します/天嶽〔あまたけ〕って地名か/かっこいい https://t.co/zcAIxSZYXi"〔9:35 - 2017年2月11日〕 https://twitter.com/xalmo7/status/830213541525217281
*4:「新田集落」。住田町上有住の字(あざ)。上有住字新田にあるバス停「新田」(住田町コミュニティバス・川口上有住駅線)の位置をWeb上で確認できる。 →▼新田|バスマップ http://busmap.info/busstop/21905/
*5:「新田山開拓地手前の峠付近から左に折り返す林道」。地図上では次の地点。 →▼地理院地図|新田山開拓地 http://maps.gsi.go.jp/#15/39.233001/141.570833/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
*6:「GPSで三角点座標ポイントを探してみると、〔羽越山〕山頂から西へ15mほどずれた場所に導かれる。なだらかな山頂の斜面に三角点」。点の記には三等三角点・羽越山は、「山頂中央部にある」と記されている。前掲註参照。
*7:「三等三角点「保呂志山(ほろしやま)」586.48m」。母衣下山(ほろしやま)の山頂にある。点の記; 「基準点コード TR35841644601/冠字選点番号 徳5」「所在地:岩手県気仙郡住田町上有住字葉山64番地の1」「順路:住田町下有住根岸部落より新田に至る町道を北進すること約0.7kmに三叉路あり、同三叉路より北東進約0.9km(約60分)にて山頂に達する。本点は山頂南側にある。」(明治43年造標、昭和53年更新) →▼基準点成果等閲覧サービス|三等三角点「保呂志山」586.48m http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx?lat=39.205458210587615&lon=141.57941297163399&z=15&did=std
*8:「四等三角点「地嶽山(じだけやま)」563.10m」。母衣下山山頂の北方、直線距離 約1.7kmにある。点の記; 「基準点コード TR45841646601/冠字選点番号 K互10」「所在地:岩手県気仙郡住田町上有住字新田94番地の1」「順路:住田町下有住新田部落より林道を東進すること約0.5kmに木材入札場がある。同入札場より東進約700m(約30分)にて山頂に達する。本点は同山頂中央部にある。」(昭和53年造標) →▼基準点成果等閲覧サービス|四等三角点「地嶽山」563.10m http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx?lat=39.22062676289376&lon=141.58189490904735&z=15&did=std
*9:「高清水山(たかすずやま)」。山名読み、岩手県ホームページの「気仙川の概要」項に「高清水山(たかすずやま)」とあった。「■流域の概要/ 気仙川は、岩手県南端の太平洋岸に位置し、その源を高清水山(たかすずやま:標高1,013.9m)に発し、南西に流下しながら桧山(ひやま)川を合流した後西流し、坂本川、新切(にぎり)川を合わせて南に向きをかえ、火の土(ひのつち)川、大股(おおまた)川を合わせて住田町を南流し、河口付近で矢作(やはぎ)川を合流して陸前高田市を経て、広田湾に注ぐ流域面積520km2、流路延長44kmの二級河川です。」 →▼(Internet Archive:2015/08/27記録)岩手県|気仙川の概要 https://web.archive.org/web/20150827092924/http://www.pref.iwate.jp/engan/sumita/26802/26827/index.html また、古くは「すずがやま」とも呼ばれていたとの記述もある(後掲)。 →▼点名|不思議空間「遠野」 http://dostoev.exblog.jp/14231508/
*10:「三等三角点「高鈴(たかすず)」1013.00m」。高清水山(たかすずやま)の山頂にある。点の記; 「基準点コード TR35841751501/冠字選点番号 徳7」「住所:岩手県気仙郡住田町上有住土倉国有林3林班ろ小班/ 俗称:高鈴」「自動車到達地点:大洞踏切より北方約3.5km地点/ 歩道状況:道なし/ 徒歩時間(距離):約60分(約1300m)」(明治43年設置、平成17年改測) →▼基準点成果等閲覧サービス|三等三角点「高鈴」1013.00m http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx?lat=39.26394096933778&lon=141.6886253701552&z=15&did=std
*11:「大洞鉱山(閉山)」。日鉄鉱業株式会社の石灰石鉱山(大洞鉱業所)。1989年3月閉山。釜石製鉄所に石灰石を供給していた、と考えられる。次のページを参照。 →▼日鉄鉱業大洞鉱業所(大洞鉱山)とJR上有住駅 - atimus's blog http://atimus.hatenablog.jp/entry/2018/05/31/000000
*12:「遠野市綾織町に同字で「たかしみずやま」と読む別の高清水山がある」。遠野の高清水山(たかしみず-やま)は展望台を備え、遠野盆地を眺望できる。 →▼高清水山(遠野市/山)の地図・住所・電話番号|マピオン電話帳 http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07003/03208/L0574076/ →▼Googleマップ|高清水山(遠野市綾織町) https://goo.gl/maps/APuJ1x6EqE22 ブログ「あかりんの岩手低山奇行」に登頂記録がある。 →▼高清水山 797.7m〔遠野〕 2011年11月19日|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201111/article_7.html
*13:「仙人峠(標高約890m)」。せんにん-とうげ。高清水山(たかすずやま)山頂の北東、釜石市大橋(JR陸中大橋駅付近)と遠野市上郷町細越(観音岩)の間にある北上山地の峠。1959年、仙人トンネルがバイパス道路として開通した(さらに2003年には、南方に「仙人峠道路」が新たなバイパス道路として開通)。 →▼仙人峠 - 遠野市/峠・渓谷・その他自然地名:マピオン電話帳[L0646249] http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07008/03208/L0646249/ 「仙人峠(せんにんとうげ)は、岩手県遠野市と釜石市の境界の北上山地中にある標高887メートルの峠である。北上川支流の猿ヶ石川の支流早瀬川と、甲子川の分水界となっている。」 →▼仙人峠 (岩手県) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E4%BA%BA%E5%B3%A0_(%E5%B2%A9%E6%89%8B%E7%9C%8C) 仙人峠の歴史について、次のWebページが詳しい。 →▼峠物語 仙人峠の変遷|釜石維持出張所(国土交通省東北地方整備局三陸国道事務所) http://www.thr.mlit.go.jp/sanriku/10_iji/kamaishi/sennin/tougemonogatari/tougemonogatari.html
*14:「土倉峠」。つちくら-とうげ。住田町上有住土倉(大洞)と釜石市甲子町の間にある峠。高清水山山頂の東、箱根峠の北、住田町の北東端に位置する。釜石鉱山の南。住田町側に気仙川の源流の一つ、土倉沢が発する。住田町と釜石市の境界。 →▼土倉峠 - 釜石市/峠・渓谷・その他自然地名:マピオン電話帳[L0650808] http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07008/03211/L0650808/ →▼峠データベース・詳細表示:土倉峠(岩手県気仙郡住田町上有住/釜石市甲子町) http://pdb.the-orj.org/view.php?no=2760 →▼地理院地図|土倉峠(住田町) http://maps.gsi.go.jp/#15/39.264773/141.705201/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0 土倉峠の少し南に四等三角点「土倉峠」833.98mがある(さらにその南に箱根山山頂の三等三角点「土倉」あり)。点の記; 「四等三角点の記/土倉峠(つちくらとうげ)」「基準点コード TR45841751601/冠字選点番号 K互24」「所在地:岩手県釜石市甲子町第2地割188番6」「自動車到達地点:箱根峠より北方約2.5kmの上有住無線中継所(テレビ岩手無線塔)/ 歩道状況:道なし/ 徒歩時間(距離):約100分(約1900m)/ 三角点周囲の状況:針葉樹林、広葉樹林」(平成17年新設) →▼基準点成果等閲覧サービス|四等三角点「土倉峠」833.98m http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx?lat=39.262677196655986&lon=141.70622462307406&z=15&did=std
*15:「「土倉峠」で検索すると釜石側は廃道で全く通行不可能、住田側は鉱山会社の私有地で立ち入り禁止」。峠データベースに当該の記述が見える(後掲)。 →▼峠データベース・詳細表示:土倉峠 http://pdb.the-orj.org/view.php?no=2760
*16:「廃鉱山」。大洞鉱山(日鉄鉱業株式会社 大洞鉱業所)を指す。高清水山(たかすずやま)」の南斜面、JR釜石線上有住駅の北東にあった。同ブログ記事掲載の写真「昔の地形図(昭和45年編集の5万分の1)」の南側を参照。 →▼〔画像:〕高清水山 1013.5m・仙人峠 2012年9月8日|あかりんの岩手低山奇行 http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/005/231/89/N000/000/007/134722765107313217381_IMG_7251.jpg →▼日鉄鉱業大洞鉱業所(大洞鉱山)とJR上有住駅 - atimus's blog http://atimus.hatenablog.jp/entry/2018/05/31/000000 大洞鉱山の閉山は1989年(平成元年)3月という。「【〔1989年〕3月】〔※略〕 ▽住田町の日鉄鉱業大洞鉱業所〔=大洞鉱山〕が合理化のあおりを受けて38年間続いた石灰石採掘を停止し休山」 →▼平成の気仙の歩み1―本紙報道から振り返る―〔2018年5月31日〕|Web東海新報 https://tohkaishimpo.com/2018/05/31/207220/
*17:「昭和45年編集の地形図」。引用した記事に掲載の写真の他、同ブログの次の記事にも当該地形図の写真(一部)が掲載されている。→▼本日の偵察結果〔2012/06/10〕|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201206/article_18.html
*18:「仙人トンネル」。高清水山の北方、仙人峠で釜石市と遠野市をつなぐ国道283号のトンネル。南方の滝観洞IC(住田町上有住)を通る自動車専用道路「仙人峠道路」(新仙人トンネルがある)はそのバイパス道路にあたる。
*19:「仙人トンネルが有料道路だった」。仙人峠の北方にある仙人トンネルは1959年(昭和34年)仙人有料道路の一部として開通、1970年の国道指定(一般国道283号)を経て、1980年(昭和55年)に無料化されたという。次のWebページに詳細があり、有料道路時代のパンフレットの写真も掲載されている。 「釜石市は昭和31年〔1956年〕7月に「仙人トンネル並びに取付道路早期完成市民大会」を開催し、同年10月には「仙人トンネル並びに取付道路早期完成促進同盟会」を結成し、道路整備を求める活動に乗り出しました。実は、これに先んじて昭和27年〔1952年〕、日鉄鉱業株式会社釜石鉱業所では、鉄鉱、銅鉱の探鉱を目的として仙人トンネルの導坑掘削に着手していたところ、道路トンネルの開通を望む市民の熱意に応えるかたちで、当時の日鉄鉱業株式会社森田恵三郎社長と同社今井史郎釜石鉱業所長の協力により、探鉱用の導坑掘削を、道路トンネル開削事業に転ずるに至った経緯もあり、こういった動きも相まって、昭和33年〔1958年〕に日本道路公団により「有料道路仙人トンネル取付道路」の工事が起工され、翌昭和34年〔1959年〕にはついに、全長2,528mの仙人トンネルを含む約10.2kmの「仙人有料道路」〔通称:仙人道路〕が開通して、この区間の自動車交通の利便性は飛躍的に向上したのでした。/〔※略〕/ 仙人有料道路は、昭和45年〔1970年〕には釜石市と花巻市を起終点とする一般国道283号に路線指定され国道となった後、昭和55年〔1980年〕には通行料が無料化されその管理が日本道路公団から岩手県に移管されるなどして、ますます幹線道路としての重要性を高めていきました。」 →▼峠物語 仙人峠の変遷|釜石維持出張所(国土交通省東北地方整備局三陸国道事務所) http://www.thr.mlit.go.jp/sanriku/10_iji/kamaishi/sennin/tougemonogatari/tougemonogatari.html また、次のWebページに、2004年現在の様子が写真入りで紹介されている。 →▼道路レポート|国道283号線 仙人峠 その1〔2004.8.22〕 http://yamaiga.com/road/sennin/main.html
*20:「鉱山鉄道があった」。大洞鉱山(日鉄鉱業 大洞鉱業所)とJR上有住駅をつないでいた石灰石輸送の専用線を指す。 →▼日鉄鉱業大洞鉱業所(大洞鉱山)とJR上有住駅 - atimus's blog http://atimus.hatenablog.jp/entry/2018/05/31/000000 次のWebページが、1976年(昭和51年)当時の大洞鉱山鉄道写真を多数掲載する。 →▼軌道めぐり 番外4 ナロー編その8 大洞鉱山〔1976年7月〕|ちょっと古い鉄道のお話 http://k-miyata.com/kido/oobora/page01.html 1985年(昭和60年)当時の様子は次のページに。 →▼日鉄鉱業大洞鉱業所 1985.2.8|青春コレクション〜つねぴょんの撮り鉄人生〜 ナロー軌道 http://tsunechan.web.fc2.com/daido.html また、以下のページも参照。 →▼日鉄鉱業 大洞鉱山(昭和56年訪問)|昭和50年代の鉄道写真 ぶんたの鉄道写真小屋 http://www.geocities.jp/buntatetsugoya/ohora.html →▼滝観洞のみち〔調査日 2006年6月18日〕|N.N.I.T.さんぽみちガイド http://nnit.web.fc2.com/tohoku/rokando/index.htm →▼石灰石輸送|日本の鉄道貨物輸送と物流 http://butsuryu.web.fc2.com/sekkaiseki.html 大洞鉱山の閉山は1989年(平成元年)。閉山の2年前の様子が次のWebページに見える。 →▼謎の無人鉱山を探る 日鉄大洞鉱山(岩手県)〔1987年6月撮影〕|軽探団 http://keitandan.web.fc2.com/03nittetsu_oobora.html 閉山の翌年に訪問した記録が次のブログにある。 →▼東方幻想郷ツアー 其の捌「神アリス」〔2010年05月08日〕|まっくの徒然日記 http://blog.livedoor.jp/macnodiary/archives/1020781306.html →▼大洞鉱山との出会い〔2010年05月08日〕|まっくの徒然日記 http://blog.livedoor.jp/macnodiary/archives/1020781307.html
*21:「箱根峠」。はこね-とうげ。岩手県道167号釜石住田線の峠。高清水山からは南東方面、土倉峠の南、愛染山の北側、住田町上有住字大洞と釜石市大松の間にある。後掲「箱根山」セクション参照。 →▼箱根峠 - 気仙郡住田町/峠・渓谷・その他自然地名:マピオン電話帳[L0653037] http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07008/03441/L0653037/
*22:「枯松峠」。かれまつ-とうげ。2016年9月現在の地形図には地名がない。現在の箱根峠(岩手県道167号)が、昔は“枯松峠”と呼ばれていたという。後掲「箱根山」セクションの註を参照。
*23:「基準点成果等閲覧サービス」。国土地理院が提供するサービス。三角点の「点の記」を閲覧することができる(要ユーザー登録)。 →▼基準点成果等閲覧サービス http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/ →▼「基準点成果等閲覧サービス」をリニューアルしました〔2016年3月23日〕|国土地理院 http://www.gsi.go.jp/kibanchizu/kibanchizu40040.html →▼基準点成果等閲覧サービスのリニューアルについて〔2016年1月27日〕|基準点成果等閲覧サービス|国土地理院 http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/SysMsg/2014_new/2014_new.html
*24:「四等三角点「仙人峠」」。標高918.60m。高清水山(たかすずやま)の北東、仙人トンネル(国道283号)の南にある。点の記に平成17年(2005年)新設とある。点の記; 「基準点コード TR45841753501/冠字選点番号 K互21」「所在地:岩手県釜石市甲子町大橋(乙)国有林314班ろ小班」(平成17年新設) →▼基準点成果等閲覧サービス|四等三角点「仙人峠(せんにんとうげ)」918.60m http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx?lat=39.2773053847141&lon=141.6971552723885&z=15&did=std
*25:「峠データベース」。 →▼峠データベース・検索(検索式:) http://pdb.the-orj.org/
*26:「〔土倉峠の〕上有住側は社有地(鉱山跡?)」。大洞鉱山(日鉄鉱業株式会社) 跡を指す。前掲註(廃鉱山、鉱山鉄道)参看。
*27:「圖根点標石」。図根点標石。測量標の一種。次のWebページに紹介がある; 「■図根点/ 図根点は図等三角点ともいわれ周囲の三角点から観測し実際の三角点上では観測しないという前方交会法により位置を決定したものです。これは無線鉄塔などで構築物上で測量することができない場合につかわれますが精度は低くなります。本来、図根点は三角測量のあとの細部の測量につかい標石の埋設はせず、その位置が測量によりはっきりすると、すぐ測板上の図面に移してしまいます。標石として設置されるのは重要な場所や再現が必要な場所に限られますが盤石は埋設されません。図根点標石の設置は1940年、50年代が多かったのですが現在はありません。」 →▼多角点・図根点・方位標・標旗など|史跡と標石で辿る日本の測量史(三角点の探訪) http://uenishi.on.coocan.jp/k130sankakutenigai.html Weblio辞書には次の解説; 「■図根点/ 読み方:ずこんてん/ 平板測量などで地図の作成を行う場合、地域全体での地図の精度を保持するため、地域全体にあらかじめ設置して位置と高さを測定した点をいう。平板測量の場合、5cmに1点必要だとされている。」 →▼図根点とは - 測量用語 Weblio辞書 http://www.weblio.jp/content/%E5%9B%B3%E6%A0%B9%E7%82%B9
*28:「P924」。仙人峠と3市町境界の中間にある標高924m地点。高清水山の北東。遠野市・釜石市の境界。地図上では次の地点。 →▼地理院地図|924m http://maps.gsi.go.jp/#16/39.270928/141.698506/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f1
*29:「左の写真…右手奥が高清水山」。同記事収載の次の写真、右側奥に見えるのが高清水山という。 →▼〔写真画像:〕 http://livedoor.blogimg.jp/assagai/imgs/f/b/fbcb77b7.jpg 撮影地点は、同記事のGPS画像上に「撮影P(2)」と示す地点(仙人峠の南、3市町境界の北方)と思われる。 →▼〔GPS地図画像〕http://livedoor.blogimg.jp/assagai/imgs/b/9/b9d5855c.png
*30:「地図上のP917」。地図に標高917mの記載がある地点(高清水山山頂の東、土倉峠の西にあたる)。同ブログ記事掲載のGPS地図画像に「撮影P(3)」と示す地点の南東にある。 →▼〔地図GPS画像.png:〕 http://livedoor.blogimg.jp/assagai/imgs/b/9/b9d5855c.png 地理院地図で示せば次の地点。 →▼地理院地図|917m(三角点なし) http://maps.gsi.go.jp/#15/39.265038/141.700544/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f1&d=v
*31:「遠野盆地を見渡せる展望台でも有名な高清水山」。遠野の高清水山(たかしみずやま)展望台からのパノラマ写真(山名入り)をWeb上で閲覧できる。 →▼遠野 高清水山 パノラマ展望図|景図工房 http://www.kei-zu.com/main/toono/toono.html →▼遠野 高清水山 パノラマ展望図 秋編|景図工房 http://www.kei-zu.com/main/toono_autumn/toono.html
*32:「本来、仙人峠の高清水山は「たかすずやま」とも「すずがやま」とも呼ばれていた」。Web上には他に「すずがやま」の古称を載せるページはない。口伝という。
*33:「漢字に表せば「鈴」の漢字を充てる」。高清水山(たかすずやま)山頂にある三角点は三等三角点「高鈴(たかすず)」であり、点の記にも「俗称:高鈴」とある。
*34:「箱根山(はこねやま)」。山名読みは、箱根峠を「はこね−とうげ」と読むのに従う。
*35:「三等三角点「土倉(つちくら)」989.36m」。通称・箱根山の山頂にある。点の記; 「基準点コード TR35841659601/冠字選点番号 徳33」「所在地:岩手県釜石市甲子町愛染山(甲)国有林404林班ぬ2小班」「自動車到達地点:一般県道釜石住田線より上有住無線中継所専用道路3.6km/ 歩道状況:歩道なし/ 徒歩時間(距離):約15分(約250m)」(明治43年設置、平成16年改測) →▼基準点成果等閲覧サービス|三等三角点「土倉(つちくら)」989.36m http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx?lat=39.24848983526374&lon=141.70533665773837&z=15&did=std
*36:「四等三角点「枯松峠(かれまつとうげ)」841.56m」。箱根山(三等三角点「土倉」)の南、岩手県道167号箱根峠のすぐ北側のピークにある。点の記; 「基準点コード TR45841658601/冠字選点番号 K第7」「所在地:岩手県釜石市甲子町愛染山(甲)国有林404林班ね小班」「自動車到達地点:一般県道釜石住田線より上有住無線中継所専用作業道路を約1.0km/ 歩道状況:小径有り(幅1.0m)/ 徒歩時間(距離):約10分(約200m)」(昭和56年設置、平成16年改測) →▼基準点成果等閲覧サービス|四等三角点「枯松峠」841.56m http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx?lat=39.23573640586556&lon=141.71069971193333&z=16&did=std
*37:「箱根峠」。はこね-とうげ。岩手県道167号釜石住田線の峠。標高646m。愛染山の北方、住田町上有住字大洞と釜石市大松の間にある。 →▼箱根峠 - 気仙郡住田町/峠・渓谷・その他自然地名:マピオン電話帳[L0653037] http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07008/03441/L0653037/ 次のブログ記事 (後掲)に箱根峠周辺の地形図を載せる。 →▼釜石線:箱根山(峠)俯瞰【14年04月】|untitled http://blog.livedoor.jp/assagai/archives/51880932.html →▼地理院地図|箱根峠(住田町) http://maps.gsi.go.jp/?ll=39.23180177444,141.70956621924&z=15#15/39.231804/141.709535/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0 なお、1970年(昭和45年)編集の古い地形図では、現在の箱根峠の位置に「枯松峠」と表記されているという(後掲ブログ記事参照)。
*38:「新仙人トンネル」。仙人峠道路(自動車専用道路)のトンネル。全長4,492m、2003年12月完成。滝観洞ICから箱根山を貫いて釜石市甲子町方面へ接続する。滝観洞トンネルの東、枯松沢橋、甲子トンネルの西。 →▼新仙人トンネル - 釜石市/橋・トンネル:マピオン電話帳[L0851831] http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07006/03211/L0851831/ →▼仙人峠道路|釜石維持出張所 http://www.thr.mlit.go.jp/sanriku/10_iji/kamaishi/sennin/sennin.html (仙人峠の北、釜石市と遠野市をつなぐ国道283号の「仙人トンネル」とは別のトンネル。 →▼仙人トンネル - 遠野市/橋・トンネル:マピオン電話帳[L0669421] http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07006/03208/L0669421/ )
*39:「場所は……箱根峠の少し北側の通称「箱根山」の頂上で,新仙人トンネルが真下を通っています」。三等三角点「土倉」989.36mのすぐ南にあるピークにあたる。“箱根山”が同山を指すことがわかる。当該地点に電波塔群があることはGoogleマップ航空写真で確認できる。次のWebページで、三角点位置(国土地理院地図)と航空写真を対照できる。 →▼Googleマップを使って国土地理院の地図を見る|箱根山 989.4m(住田町) http://user.numazu-ct.ac.jp/~tsato/webmap/map/gmap.html?ll=39.246758,141.705545&z=17&data=djws&t=h
*40:「釜石三山」。かまいし-さんざん。釜石市から見える五葉山、愛染山、片羽山(※「片葉山」の表記もある)の総称。たとえば次のブログに言及がある; 「【写真2枚目】 今度は西の方向(遠野方面)に向けば、開発が進む鈴子町、JR釜石線が見えます。五葉山(ごようざん)・愛染山(あいぜんさん)・片羽山(かたばさん)を総称して釜石三山と言う事を今回初めて知りました。ここからはそのうち五葉山と愛染山が見えています。この辺の学校の校歌の歌詞にも登場するらしいです。盛岡で言えば岩手山や姫神山みたいな存在なんでしょうね。」 →▼旧国道45号から釜石市内を望む ( 岩手県 )〔2009/4/7〕|愛LOVEもりおか★徒然日記 http://blogs.yahoo.co.jp/kfuji_taxi/58995892.html
*41:「一番手前がNTT、その次がNHK、更に奥に民放のものが2本、計4本のアンテナ」。箱根山山頂近くにある“上有住無線中継所”のアンテナ塔の並びを記す。記述に従えば南から北へ、NTT docomo、NHK、民放、民放、の並びになるか。だとすれば、後掲する次のブログ記事に記すアンテナ塔の並び順とは異同がある。 →▼岩手県・釜石市・箱根山のテレビ塔〔2013/7/9〕|ゆきとのブログ http://blogs.yahoo.co.jp/tsuneo7244/9796210.html
*42:「右の写真、〔3市町〕境界ピークの左奥、手前のアンテナ群が建つ山が、通称:箱根山」。当該写真の中央奥、山頂付近にアンテナが見えるのが箱根山という。同ブログ記事掲載の次の写真。 →▼〔写真画像:〕釜石線:仙人峠〜箱根峠/尾根伝い俯瞰【14年02月】|untitled http://livedoor.blogimg.jp/assagai/imgs/1/3/13b148f0.jpg この写真は、高清水山山頂の北東、3市町境界の北方から撮影されているという。同記事掲載のGPS画像上に「撮影P (2)」と示す地点。 →▼〔GPS地図画像:〕 http://livedoor.blogimg.jp/assagai/imgs/b/9/b9d5855c.png
*43:「地図上のP917」。地図に標高917mの記載がある地点(高清水山山頂の東、土倉峠の西にある)。同ブログ記事掲載のGPS地図画像に「撮影P (3)」と示す地点の南東。 →▼〔GPS地図画像:〕 http://livedoor.blogimg.jp/assagai/imgs/b/9/b9d5855c.png 地理院地図では次の地点。 →▼地理院地図|917m(三角点なし) http://maps.gsi.go.jp/#15/39.265038/141.700544/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f1&d=v
*44:「昭和45年編集の地形図」。引用記事掲載の地形図写真の他、同ブログの次の記事にも当該地形図の写真(一部)が掲載されている。→▼本日の偵察結果〔2012/06/10〕|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201206/article_18.html
*45:「箱根峠は当時は842.1m三角点北側の鞍部(アンテナ山まで行く道路)であり」。1970年当時の地形図に示される箱根峠は、2012年現在の地形図に示される箱根峠(岩手県道167号)よりも北に位置する別の峠だったという。文中の「842.1m三角点」は現在の箱根峠の北側すぐに位置する四等三角点「枯松峠(841.56m)」を指す(前掲註参看)。「〔842.1m三角点〕北側の鞍部」(=1970年当時の箱根峠)の具体的な位置は不明だが、「アンテナ山」は“箱根山”を指し、「アンテナ山まで行く道路」は、県道167号から現在の箱根峠付近で分岐して北上、鞍部を経て新仙人トンネルの上を越え、JR釜石線土倉トンネルの真上にある三等三角点「土倉」(989.36m)南の上有住無線中継所まで続く作業道を指すと考えられる。この作業道については前掲ブログ記事各所に言及がある。たとえば; 「住田町の上有住と、釜石市の大松を結ぶ、県道167号線。その〔箱根峠の〕ピーク部分、行政境に近いところに、1本、枝道が山の上の方に続いています。箱根山の山頂近くに建つ、アンテナ群に続く道です。」 →▼釜石線:箱根山(峠)俯瞰【13年7月】|untitled http://blog.livedoor.jp/assagai/archives/51851650.html いずれにせよ、1970年当時の「箱根峠」は箱根山山頂の南、旧枯松峠(現在の箱根峠)の北にあった、と考えることができる。
*46:「枯松峠」。かれまつ-とうげ。2016年9月現在の地形図には地名がない。現在の岩手県道167号箱根峠が、少なくとも1970年当時の地図までは“枯松峠”と呼称されていた。なお、2016年9月現在、箱根峠すぐ北側の841.6mピークに、四等三角点「枯松峠(かれまつとうげ)」841.56mが存在する(前掲註参照)。
*47:「現在の箱根峠は枯松峠となっています」。1970年編集の地形図には“枯松峠”とある峠の名称が、2012年現在の地形図では“箱根峠”に変更されているという(また、1970年当時の箱根峠は、841.6mピークの南側ではなく北側にあった)。前掲註も参照。たしかに、現在の箱根峠のすぐ南には「枯松沢川」が発し、釜石側へ東流している(ただし、住田町側には「箱根沢」が発して西に流れている)。また、Web上では、愛染山の北側にある峠の一つとして「枯松峠」の名が見える。用例はたとえば; 「一度だけ、〔五葉山の〕頂上から愛染山を経て枯松峠に下ったことがあるが〔※「箱根峠に下った」とは記されない〕、ブッシュ〔藪〕を漕ぎながら苦労して下山したことを思い出す。」 →▼PDF:リレーエッセイ「五葉山の魅力」:大沢小屋の改築の思い出(田村正美)〔東海新報掲載〕|五葉山自然倶楽部 千葉修悦 ホームページ http://ww91.tiki.ne.jp/~narachan/essay/esaay001.pdf 次のWebページには「〔愛染山〕北方の枯松峠、箱根峠、仙人峠と連なる」とあり、枯松峠と箱根峠を別の峠として列挙する(おそらく愛染山に近い南側の峠から並べており、1970年地形図との箱根峠の異同に合致する)。 「■愛染山(あいぜんざん)標高 1228.5M 釜石市・大船渡市・住田町11/ 正三角形の端正な山・市民に愛着、校歌にも!/ ・プロフィール: 北上山地の釜石市と住田町の境界にある丘陵で、南方の五葉山、北方の枯松峠、箱根峠、仙人峠と連なる北上山地の背骨にあたる。箱根峠コース登山道へは車で釜石市内から県道釜石線で20分ほど。(ただし3月末までは冬季間閉鎖) ここから山頂までは約2時間。桧山コース登山口へは、JR釜石線上有住駅から住田交通バスで陸前高田駅方面へ約10分の中埣(なかそね〔なかぞね〕)バス停下車。ここから山頂までは約3時間。」 →▼愛染山|脳卒中の獏 http://www.geocities.jp/mfpfb/yama11/yama11.htm
*48:「土倉、金ノ倉、寒倉」。つちくら、かねのくら、さむくら。地名。いずれも住田町上有住の字(あざ)。 →▼岩手県気仙郡住田町上有住 - Yahoo!地図 http://map.yahoo.co.jp/address?ac=03441&az=1
*49:「住田町民俗資料館」。住田町ホームページに紹介がある; 「気仙大工の高い技術によって、昭和初期に建てられた旧上有住小学校の校舎を、昭和60(1985)年に現在地に移築・修復し、資料館として再利用されています。」 →▼民俗資料館のご紹介|住田町 http://www.town.sumita.iwate.jp/kanko/museum.html
*50:「六郎峠」。岩手県道180号上有住日頃市線の峠。住田町と大船渡市の境界。後掲「高森山」セクション参照。 →▼六郎峠 - 気仙郡住田町/峠・渓谷・その他自然地名:マピオン電話帳[L0656918] http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07008/03441/L0656918/
*51:「11m掲示板」。おそらく次の掲示板。 →▼無線ごっこ♪ 11mリアルタイム掲示板 http://www4.hp-ez.com/hp/jm8dlf/page6
*52:「数日前(ちなみに平日)峠を抜けるルートは工事中で通行止めでしたが、その時警備員に日曜は通れるって聞いていた」。東日本大震災の翌年、2012年9月の段階で、休日(休工日)は釜石側から箱根峠が通行可能だったという。
*53:「真ん中に見えるのが箱根山」。同ブログ掲載の次の写真画像。 →▼イメージ0 - 特小レピーターの画像|いわてDS94/JG7NIF http://blogs.yahoo.co.jp/nif_0302/GALLERY/show_image.html?id=14141550&no=0 道路の案内標識に「道の駅 釜石仙人峠/直進500m/アユ躍る清流と甲子柿の里」とある。
*54:「現地〔上有住無線中継所〕からの眺望パノラマ写真」。Twitterには別バージョンのパノラマ写真が掲載されている; 「気仙郡住田町箱根無線中継所着。」(2017年5月4日 8:40) https://twitter.com/Iwate_DS94/status/859915590198214656
*55:「2013年5月の「釜石便り」」。不詳。
*56:「2013年5月の「釜石便り」によると、〔箱根山頂のアンテナ塔の並びは〕次のようになります」。次のブログ記事(前掲)に示すアンテナ塔の並び順と異同がある。 →▼釜石線:箱根山(峠)俯瞰【13年7月】|untitled http://blog.livedoor.jp/assagai/archives/51851650.html
*57:「土倉峠無線中継所」。箱根山の山頂にある「上有住無線中継所」を指す。
*58:「計5基のアンテナ群」。箱根山山頂近く、上有住無線中継所にあるアンテナ塔の数を5基とする。他の情報源では4基。
*59:「愛染山(あいぜんさん)」。山名読み、山と溪谷社のWebページに従う。 →▼愛染山 - あいぜんさん:標高1,228m-東北 - Yamakei Online / 山と溪谷社 http://www.yamakei-online.com/yamanavi/yama.php?yama_id=19330
*60:「高森山(たかもりやま)」。山名読みは、山頂の二等三角点名「高森山(たかもりやま)」の読みルビに従う。
*61:「二等三角点「高森山(たかもりやま)」716.78m」。“高”の漢字表記は点の記では「髙森山」。点の記; 「基準点コード TR25841651101/冠字選点番号 玉14」「所在地:岩手県気仙郡住田町小松峠国有林25林班」「順路:林道六郎線〔※現在の岩手県道180号上有住日頃市線〕の六郎峠の北西約1.5kmに高森山あり、本点は高森山の頂上にある。」(明治40年埋標、昭和55年更新) →▼基準点成果等閲覧サービス|二等三角点「高森山」716.78m http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx?lat=39.18061787582649&lon=141.64774321779174&z=15&did=std
*62:「白石トンネル(国道107号)」。国道107号のトンネル。住田町と大船渡市の境界。Web上の写真資料によると、トンネル施工板には「白石トンネル/1998年3月/岩手県/L=807.7m/施工 清水建設(株)・(株)白川組特定共同企業体」とある。 →▼白石トンネル(大船渡市/橋・トンネル)の地図・住所・電話番号|マピオン電話帳 http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07006/03203/L0674800/ なお、旧国道には「白石隧道」があった(白石隧道の扁額(銘板をいう)には、一つに「昭和二年〔1927年〕十月完成」、また一つに「明治四十一年三月改造」の刻字があるという); →▼旧白石隧道〔2004年5月7日〕|numako日記04年|numakoのhome[directory]page@放置中 http://numako22.web.fc2.com/nikki04.html#D050704 旧道を訪ねた記録がweb上にある。 →▼国道107号線旧道散策「住田町・白石トンネル」〔2010-05-26〕|Heart's Edge http://ameblo.jp/take-alfaromeo/entry-10545888737.html →▼国道107号旧線 白石峠 その1〔2004.5.19〕|道路レポート http://yamaiga.com/road/siroisi/main.html →▼国道107号旧線 白石峠 その2〔2004.5.19〕|道路レポート https://yamaiga.com/road/siroisi/main2.html →▼白石峠〔2014/10/28〕|ハイキングさ あべじゃ 別館 http://blog.livedoor.jp/tomozoh1003/archives/15728999.html 「白石隧道」の歴史について、次の情報がある;「なお、元禄11年(1698)の「気仙本吉両郡絵図」(高田市立図書館蔵)によると、世田米宿から白石峠越えの道筋が一里塚を含めて描かれています。岩手県「歴史の道調査報告書」は、この史料によったのでしょう。明治43年〔1910年〕刊の『気仙郡誌』には「人首より姥石を超え世田米を経て、白石峠を貫き日頃市村に燵する」とあります。この「貫き」とあるのは、明治30年〔1897年〕に馬車の通行を可能とする街道の大改修工事が行われ、明治41年〔1908年〕に185mの白石隧道が貫通されたことを意味しています。現在のトンネル795mは、昭和43年〔1968年〕に完成しています。」 →▼盛街道|高倉淳の宮城郷土史 http://sendai-oldlocal-histry-takakura-kiyosi.saloon.jp/sakarikaidou.htm また、次の記述; 「*その後判りました。私、西暦と年号の計算をサボってました。 岩手県のページに1885年開通とあります。これは明治18年ですね。 また手元の資料で引用されている「気仙郡誌」(明治四三年〔1910年〕)では、《盛街道、江刺郡人首より、姥石を越え、世田米村を経て白石峠を貫き日頃市に至り遠野街道と合し盛に達するものにて、一四里一八町あり、県道にして、明治三〇年大改修をなし、人車を通すべし、岩手県庁気仙郡役所間の本線たり》 とあり、明治30年〔1897年〕時点で白石峠を"貫き"と、隧道がすでにある様に書かれてます。 また、大船渡市史には、明治41年〔1908年〕に長さ一八五メートルのトンネルが建設された、とある様です。これこそ〔扁額に刻まれている〕改造なのでしょう。」 →▼旧白石隧道〔2004年5月7日〕|numakoのhome[directory]page@放置中 http://numako22.web.fc2.com/nikki04.html#D050704 岩手県ホームページ上のPDFに次の記載がある; 「1885年〔明治18年〕 本県〔岩手県〕で一番古い旧白石トンネル(107号)開通/〔略〕/ 1967年〔昭和42年〕 一般国道107号新白石トンネル開通」 →▼PDF: 岩手県の道路の略年表|岩手県 https://www.pref.iwate.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/009/675/dourogairyakunennhyou.pdf なお、web上に次の情報もある; 「輯覽〔『本邦道路隧道輯覽』内務省土木試験所, 1941年刊〕には他に〔岩手〕県内の隧道が3本収録されていて、それは雄鹿戸隧道(昭和10年竣工)、山伏隧道(昭和12年)、白石隧道(明治18年〔1885年〕)である。このうち、今は国道107号が通じている白石峠にあった白石隧道が「〔岩手〕県内最古の道路トンネル」であるが、拡幅と同時にコンクリートの覆工を得たのは昭和2年〔1927年〕である。そして従来これが県下初のコンクリート道路トンネルと考えられていた。しかし、輯覽を見る限り、雪谷隧道は大正14年〔1925年〕の竣工当初からコンクリートの覆工を持っていたのであり、〔岩手〕県内最古のコンクリート道路トンネルだった可能性が極めて高い!」 →▼【プレミアム版】第5回 雪谷(ゆきや)隧道・岩手県(前編) | まいにち・みちこ【東北 道の駅 日刊マガジン】 https://my-michi.com/column/43279586/10194 『本邦道路隧道輯覧』p. 75 に「-70- 白石隧道」図面を載せる。抜萃; 「所在地:岩手県気仙郡 世田米村/日頃市村 界(白石峠)/路線名:指定府県大〓〔サンズイに雫〕大船渡線/延長:185.45m/線形:直線/縦断勾配 片勾配 0.2%/有効幅員:4.06m/有効高:(旧乙細則) 3.33m/中央高: 3.94m/地質:粘板岩(世田米側) 玉石混り粘土(日頃市側)/工事執行方法:請負工事/巻立方法材料及厚 穹拱:コンクリート塊 配合1:2.5:5 長 0.35m 幅 0.18m 厚 0.18m 二枚巻三枚巻 55m/側壁:場所打コンクリート配合 1:3:6 厚 0.55m 鉄材 45×45 山形鋼) 支保工 0.3m 間隔で補強している個所あり/〔略〕」 →▼本邦道路隧道輯覧(1941年 内務省土木試験所)|土木図書館デジタルアーカイブス 内務省関連書籍 http://library.jsce.or.jp/Image_DB/j_naimusyo/kawa/34368/zuido.shtml
*63:「六郎峠」。ろくろう-とうげ。岩手県道180号上有住日頃市線にある峠。住田町上有住中埣〜大船渡市日頃市町上石橋を結ぶ道。住田町と大船渡市の境界。 →▼六郎峠 - 気仙郡住田町/峠・渓谷・その他自然地名:マピオン電話帳[L0656918] http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07008/03441/L0656918/ →▼六郎峠(ろくろうとうげ)|峠コレクション http://tougeoyaji.ciao.jp/rokuroutouge_iwate.htm →▼180 上有住日頃市線(その1 住田町上有住〜六郎峠)|県道生活@いわて http://f48.aaacafe.ne.jp/~iwalife/180kamiarisu-hikoroichi/kami-hiko.html →▼峠データベース・詳細表示|六郎峠(岩手県大船渡市日頃市町/気仙郡住田町上有住) http://pdb.the-orj.org/view.php?no=2697 六郎峠を歩いた記録として、たとえば次のWebページ; 「■盛街道/ 大船渡、盛の権現橋からスタート。この辺は、現在の川沿いの新道(〔国道〕107号)を通ってはいなかっただろう。向かい側の岩手開発鉄道側だっただろう。などと話し合いながら、千刈地区を通り、長安寺へ、長安寺から下板用、上板用、川内を経て日頃市町へ、田代屋敷から石橋の方に入り、上石橋六郎峠へ、六郎峠を越えて、〔住田町〕上有住、中埣(ナカソネ〔ナカゾネ〕)地区へ、中埣から気仙川沿いに金の倉、寒倉を通り、やっと小松へ入りました。/ 小松では、よく探せば小松峠一里塚があったのでしょうが確認せず、大きな鏡岩は、小松地区の名所になっていたのですぐ分かり行ってみました。谷底からそそりたつ鏡岩でした。/〔※略〕」 →▼今泉・盛街道の教え子の遺稿|高倉淳の宮城郷土史 http://sendai-oldlocal-histry-takakura-kiyosi.saloon.jp/imaizumikaidou.htm なお、六郎峠の西方に小松峠がある。
*64:「点の記」。「点の記(てんのき)とは、基準点(三角点・水準点・基準多角点など)の設置・測量の記録のこと」。 →▼点の記 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%B9%E3%81%AE%E8%A8%98 国土地理院Webサイトに、次の紹介がある。「「点の記」とはどんなものでしょうか。 / 三角点の戸籍又は、案内図といったものです。見知らぬ場所の三角点で測量をする際に、測量者は必ず入手して利用します。内容は、点名、所在地、土地の所有者、測量年月日、三角点までの道順、交通、案内図などで構成されています。/ 旧「点の記」には、付図はついていませんが、道順や水や食料の確保、人夫の雇用状況など測量に役立つ、たくさんの情報が書かれています。ここに書かれたことが現在の測量に役立つことはほとんどありませんが、測量だけでなく当時の様子を知る貴重な資料となっています。新田次郎の「剱岳 点の記」は、これをタイトルにしたものであることは有名です。」 →▼測量の結果(点の記)|国土地理院 http://www.gsi.go.jp/MUSEUM/TOKUBE/KIKA5-sanka8.htm なお、「点の記」は、Web上で閲覧できる(要ユーザー登録)。 →▼基準点成果等閲覧サービス|国土地理院 http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/
*65:「「点の記」で六郎峠から稜線伝いに歩いたとなっていました」。おそらく古い点の記の記述か。2016年9月現在、Web上で閲覧できる「二等三角点 高森山」の点の記(「昭和55年6月2日 更新」の記載があるもの)には当該の記述はない(ただし、点の記に付された要図(略地図)には同様のルートが示されている)。
*66:「北上古生層研究グループ(1982)」。次の論文を指す。著者は中井均、永田秀尚、田鍋淳、川村信人、川村寿郎、地 徳力。「地質学論集」第21号収載。 →▼CiNii 論文 - 南部北上帯の先シルル紀基盤 http://ci.nii.ac.jp/naid/110003025135 「北上古生層研究グループ:KPG(Kitakami Paleozoic Research Group)」については、川村信人氏による次のWebページ参照。「北上古生層研究グループ:KPG(Kitakami Paleozoic Research Group)は,1970年代後半に北海道大学理学部地質学鉱物学教室で南部北上山地の地質学を研究していた大学院生らによって結成された研究グループです./ 当時の北海道大学における南部北上山地古生層の研究は,層位学講座の湊正雄教授を中心にして行なわれていました.KPGの観点は,そのメインストリームとは多少距離を置くものでしたが,“野外地質を基本とする”という点で,基本的な手法は一致していたのではないかと思っています./ このエッセイでは,私の地質屋人生の半分以上を占めていた大きな存在であるKPGについて,趣くままに書き留めておきたいと思います./ 1.黎明 今やはるかに遠い記憶になってしまいましたが,KPGの誕生は,1978年の川村(信〔信人〕)・中井の二人による南部北上山地〔住田町〕下有住地域の八日町花崗岩体周辺の共同調査だったのではないかと思います.この伏線になったのは,川村(信〔信人〕)による住田町奥火の土からの思いがけないシルル紀クサリサンゴの発見(1976年)でした./ この時点で,東北大グループによる氷上花崗岩先シルル紀基盤説(村田ほか,1974)が既に提出されており,氷上花崗岩をペルム紀以降の貫入岩体とする当時の北海道大学湊正雄教授を中心とするグループや,地調グループとは意見が対立していました./〔※略〕/ しかしこの調査により,八日町岩体周辺にもシルル系黒色石灰岩が分布することと,両者の間に『アルコース質砂岩』が存在することが明らかになりました.この結果は,氷上花崗岩とシルル系の関係を明らかにするうえで,“氷上小岩体”を集中的に再検討することが決定的に有効であるという確信を与えました.これが『氷上小岩体研究グループ』としてのグループ研究へつながっていくことになりました./〔※略〕/ 1980年春には氷上花崗岩小岩体のほぼすべてを調査し終わり,八日町-小松峠岩体周辺から発見されたシルル紀化石はすぐに短報として公表されました.メインテーマの“不整合関係”も,八日町・白石峠岩体で新たに発見され,川村(信〔信人〕)の個人研究で明らかにされていた奥火の土岩体を含め,3岩体で確認されたことになりました.これらの結果は当時の“加納総研”で発表された後,1982年の地質学論集〔第21号〕で『南部北上帯の先シルル紀基盤』として印刷公表されました.この論文投稿の際にグループ名は『北上古生層研究グループ』に改名されました.」 →▼KPG's Research History...〔KPG私史〕|川村信人の個人ページ http://www.sci.hokudai.ac.jp/grp/mkawa/mkawa_web/kawamura/essays/kpg/kpg.htm
*67:「“小松峠礫岩”と呼んでいますが,もしかするとその地名は不正確かも?」。「小松峠」は、六郎峠から西方に直線距離で約2km、高森山山頂の西側にある別の峠を指すと考えられる。後掲註参照。
*68:「上有住城」。かみありす-じょう。現在の「上有住城跡森林公園」。 →▼上有住城跡|クチコミガイド【フォートラベル】 http://4travel.jp/domestic/area/tohoku/iwate/kamaishi/rikuzentakada/hotplace/11341419/ →▼上有住城・葛西領、北の大型城館〔2009-12-03〕|遠野郷中世城館録 http://blog.goo.ne.jp/jengo5/e/6be5ea4ef40f271f9133da49341ee89c →▼上有住城と浜田喜六〔2008-02-07〕|「じぇんごたれ」遠野徒然草 http://blog.goo.ne.jp/jengo2/e/e5ea61c9c8b094163fd19a0287192236 上掲ブログ掲載の写真から現地説明板を書き起こすと以下のとおり; 「■史跡 上有住城跡/ 葛西領気仙二十七城の内/ 当城は、米崎城主千葉氏の末裔で、千葉内膳大夫盛行など代々千葉氏の居城として葛西領地の最北にあって、遠野南部氏の侵入を防備し堅城として知られる。奥州葛西領六郡の陣営での拠点となった城郭で築城法の連郭式縄張法によって正確に築城された中世の代表的な山城であり本丸・二の丸土坦・空濠の城郭を残している。北方に樋ノ口城・西方に平田の砦の堡塁を有し狼煙の合図によって出陣したといわれる。/ 住田の歴史より」、「■城の規模と戦史/ 上有住城は、高さ80米、東西500米、南北250米にも及ぶ超大型の山城で、世田米から遠野までの葛西陣営の中では、最大拠点であったと考えられている。本城が中心となった戦いは ○応永19年(1412年) ○永享9年(1437年) ○文明17年(1485年) そして、慶長〔1596-1615〕の平田砦を中心として戦った浜田喜六等〔による〕、南部と気仙の戦いがあり、城下町である八日町は焼き討ちにあい孤立したこともあった。/ 1997年(平成9年)9月建立/上有住小学校□コミュニティ推進委員会」 なお、Web上に次の史料紹介がある。おそらく『住田町史』から引かれたもの; 「■気仙郡(住田町誌〔※『住田町史』の誤植か〕)中世編(葛西一族関連)/〔※略〕/ 《世田米郷・有住郷の城館について》 葛西家臣の舘と思われるものが、住田町には六舘ほどあるが、現在記録として残されているものが僅かである。/ (1)世田米城 〔※略〕/ (2)中里舘(仮称) 〔※略〕/ (3)上有住城/ 浜田喜文〔※「浜田喜六」の誤植か?〕の居城とされている。喜文〔※喜六?〕は、浜田城主千葉安房守広綱の弟と言われている。「気仙郡古記」には、「山城古城、東西十八間、南北三十八間 右館名相知不申候」と記されているが、恐らく、上有住城とお回れる〔思われる〕。/ (4)上有住城(別城名)/ 千葉内膳の居城と言われている。上記上有住城ではない。「気仙郡古記」には「・・・二ノ曲輪、東西八間、南北三十二間、城主千葉内膳 深谷二而討死申由伝候」と記されている。/ (5)樋口城 〔※略〕/ (6)外館城 〔※略〕」 →▼郷土歴史倶楽部(みちのく三国史・・葛西一族編)|おもしろ倶楽部(趣味大集合) http://tm1007.web.fc2.com/onlykasai500.html
*69:「小松峠」。こまつ-とうげ。高森山山頂の西側に位置する峠。住田町上有住小松と大船渡市日頃市町上石橋を結ぶ古い道で、六郎峠(岩手県道180号)とは別の峠。なお、住田町側には旧道・新道の二つのルートがあったという(後掲ブログ参照)。地図上では次の地点。 →▼地理院地図|小松峠 http://maps.gsi.go.jp/#15/39.172376/141.642008/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f1&d=v 小松峠を含む岩手の峠道について記した書籍として『岩手の峠路 :地図から消えた旧道』(那須光吉 著、熊谷印刷出版部 刊, 2001年)があるが未見。次のWebページに目次がある。 →▼【岩手の峠路 地図から消えた旧道】|デジタル岡山大百科|郷土情報ネットワーク http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/kyo/M2008011919092964152 また他に、雑誌『岩手の保健』第211号目次に「岩手の峠路を歩く 6: 鍬台峠・小松峠・六郎峠を訪ねて -気仙の浜街道と遠野街道の三つの峠を歩く-」を載せるが未見。 →▼岩手の保健 211|岩手県国保連合会 http://www.iwate-kokuho.or.jp/pr/hoken-211.html
*70:「赤羽根峠」。国道340号の旧道の峠。住田町と遠野市の境界。Wikipedia; 「赤羽根峠(あかばねとうげ)は、岩手県気仙郡住田町上有住と岩手県遠野市上郷町平倉の間にある峠。赤羽根トンネルが開通するまでは、国道340号が峠を通っていた。」 →▼赤羽根峠 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%BE%BD%E6%A0%B9%E5%B3%A0 →▼赤羽根峠 - 気仙郡住田町/峠・渓谷・その他自然地名:マピオン電話帳[L0645842] http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07008/03441/L0645842/ →▼赤羽根峠 540m(2010.10.29)|峠コレクション http://tougeoyaji.ciao.jp/akabanetouge.htm
*71:「小松洞窟跡」。こまつ-どうくつ。小松洞窟遺跡、小松洞穴遺跡とも。住田町上有住小松にある洞窟遺跡。縄文時代の遺跡。岩手県遺跡コード NF07-0032。周辺に小松I遺跡、小松II遺跡がある。「小松洞穴は気仙川上流の住田町上有住にあり、気仙川河口からは約34kmほど、標高は201~204mです。ここは、岩手県立博物館の調査研究活動の一環として、1995~1998年まで発掘調査が行われました。発掘調査では、縄文時代早期から近世まで、さまざまな遺物が出土していますが、この中で状態のよい縄文時代早期末の遺物を含む層(遺物包含層)が確認されています。ここからは、さまざまな動物遺存体も出土しています。」 →▼PDF:「[研究ノート]縄文時代の洞穴遺跡 -小松洞穴と岩谷洞穴-」佐々木務|岩手県立博物館だより(No.98/2003.7) http://www2.pref.iwate.jp/~hp0910/tayori/BackNumber/98p2.pdf →▼小松洞穴/小松ほいど穴:遺跡ウォーカー http://www.isekiwalker.com/iseki/88614/ ブログ「南三陸滝見隊」が現地を訪れている; 「岩手県住田町上有住地区。観光スポットになっている滝観洞へ行く途中に 小松洞 という小さな洞窟があります。鏡岩という景勝地のすぐ近くです。徒歩3分。洞は縄文人が住居として使用していたそうです。/ 通りすがりに外から何度か見たことはあります。入ったのは今回が初めて。もしかしたら、氷筍でもないかと興味半分でした。閉所恐怖症気味ゆえに、さほど深くは侵入しません。外の光が入るところまで。/ 小松洞の入口。標柱が建っています。巨大な岩盤の割目といった感じ。/〔※略〕」 →▼小松洞と氷瀑〔2014/03/01〕|南三陸滝見隊 http://takimitai.blog.fc2.com/blog-entry-577.html なお、次の論文に『気仙郡住田町小松洞穴発掘調査報告書』(2000年)について訂正の言及がある; 「付記: 気仙沼〔※気仙郡の誤り〕住田町小松洞穴発掘調査報告書(2000)第3節「動物遺存体」の中にオオヤマネコの記述があるが,この標本は再検討した結果オオヤマネコでないことが判明したのでリストからはずした.」 →▼PDF:「日本における後期更新世~前期完新世産のオオヤマネコLynx について」(長谷川善和、金子浩昌、橘麻紀乃、田中源吾, 2011) http://www.gmnh.pref.gunma.jp/wp-content/uploads/bulletin15_3.pdf 配布元は次のWebページ。 →▼第15号/Number15(2011) 研究報告|群馬県立自然史博物館研究報告|群馬県立自然史博物館 http://www.gmnh.pref.gunma.jp/research_no15 言及されている発掘調査報告書は次のもの。 →▼『気仙郡住田町小松洞穴発掘調査報告書 : 岩手県立博物館調査研究報告書 第16冊』(2000) | 六一書房 https://www.book61.co.jp/book.php/N34300 また、『小松洞穴調査報告書』(東山ケイビングクラブ, 1989)がある。
*72:「白石峠」。
*73:「岩手開発鉄道」。→▼岩手開発鉄道株式会社 http://kaihatsu-railway.co.jp/ Wikipediaに立項あり; 「岩手開発鉄道株式会社(いわてかいはつてつどう、英文社名 IWATE DEVELOPMENT RAILWAY CO., LTD.)は、岩手県大船渡市で貨物鉄道を営む鉄道会社である。現在は貨物専業であるが、1992年(平成4年)3月までは旅客輸送も行っていた。/ 太平洋セメントが8割以上を出資する主要株主となっているが、当初の設立目的から大船渡市など地元自治体も出資しており、第三セクター方式の鉄道会社のはしりでもある。日本民営鉄道協会に加盟する。/ ■事業/ 盛駅を起点とする全長11.5kmの日頃市線・赤崎線の2つの路線を有し[1]、大船渡市の内陸部にある大船渡鉱山で産出される石灰石などを、同市赤崎町にある太平洋セメント大船渡工場まで輸送している。2010年度の貨物輸送量は195万tで、私鉄では上位クラスの輸送量であるが、年間400万t以上あった1990年代以前の輸送量に比べると半減している。/1986年(昭和61年)から貸切バス事業にも進出したが、現在バス事業は子会社の開発運輸が行っている。」 →▼岩手開発鉄道 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%89%8B%E9%96%8B%E7%99%BA%E9%89%84%E9%81%93
*74:「岩手軽便鉄道」。現在のJR釜石線。Wikipediaに立項; 「岩手軽便鉄道(いわてけいべんてつどう)は、後のJR東日本釜石線に相当する路線を運行していた、かつて岩手県に存在した鉄道事業者である。」 →▼岩手軽便鉄道 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%89%8B%E8%BB%BD%E4%BE%BF%E9%89%84%E9%81%93
*75:「九十九曲(くじゅうくまがり)峠」。綾里街道の峠。 →▼九十九曲 - 大船渡市/峠・渓谷・その他自然地名:マピオン電話帳[L0638684] http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07008/03203/L0638684/ 次のブログ記事が綾里の九十九曲峠を実際に歩いている。 →▼綾里街道(九十九曲峠) その1〔2012年02月20日〕|大小迫 つむぎの家 http://blog.goo.ne.jp/yukitixyann/e/beefb71eb3246a8312c582a049039441 →▼綾里峠(九十九曲峠)-その2-〔2012年02月21日〕|大小迫 つむぎの家 http://blog.goo.ne.jp/yukitixyann/e/08b2105dd053e9c3313e4c70475f3d02
*76:「野形のお滝さま((不動滝)」。おそらく“綾里の不動滝”を指す。大船渡市三陸町綾里字熊ノ入にある滝。 「高さ15メートルから流れ落ちる右側の滝を男滝、左側を女滝といい、その中間の岩窟に不動尊が祀られていることから不動滝の名で親しまれています。「岩手の名水二十選」に選ばれ、水の美味しさもお墨付きです。」 →▼不動滝|大船渡市 http://www.city.ofunato.iwate.jp/www/contents/1306131369946/ →▼浪板不動滝・大槌町・不動滝・大船渡市〔2014年04月06日〕|うり坊の滝見見聞録 http://ameblo.jp/uribouno1/entry-11791677429.html →▼綾里不動滝〔2016/12/24〕|ハイキングさ あべじゃ 別館 http://blog.livedoor.jp/tomozoh1003/archives/20134427.html →▼綾里不動滝 冬景〔2014/01/24〕|南三陸滝見隊 http://takimitai.blog.fc2.com/blog-entry-571.html
*77:「小松峠の泉」。おそらく当該の泉と思われる湧き水が、前掲「館報まっさき 2015年2月号」の記事「末崎の風土散策(32)〜末崎の茶屋について〜」に、「湧水高清水」として見えている。 →▼館報まっさき 2015年2月号|デジタル公民館まっさき(大船渡市末崎町ふるさとセンター) http://www.massaki.jp/?p=5232