日鉄鉱業大洞鉱業所(大洞鉱山)とJR上有住駅
▽住田町の大洞鉱山(日鉄鉱業株式会社 大洞鉱業所)とその鉱山鉄道について。
▽大洞鉱山は石灰石を産出。住田町の北東端、高清水山(たかすず-やま)の南方、JR釜石線・上有住駅(住田町上有住土倉)の北東に位置し、鉱山から上有住駅に続く石灰石輸送の専用線(鉱山鉄道)を持っていた。1989年(平成元年)3月、釜石製鉄所の高炉全面休止にともない、正式に休山(閉山)した。
▼Googleマップ:航空地図 https://goo.gl/maps/5M2q4cSQV8KsJj6r8
▼国土地理院地図(電子国土Web):大洞鉱山 http://maps.gsi.go.jp/#15/39.253741/141.690545/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
▼1:50,000 chikeizu〔五万分一地形図「遠野」(1933年(昭和8年)測量)*1〕 | Stanford Digital Repository〔スタンフォード大学図書館〕 https://purl.stanford.edu/yj955pw5941
→▼住田町の「山」(その4):北東部〜東部地域:高清水山 - atimus's blog http://atimus.hatenablog.jp/entry/2016/09/13/040000#takasuzuyama
▼日鉄鉱業株式会社 http://www.nittetsukou.co.jp/
▼日鉄鉱業 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%89%84%E9%89%B1%E6%A5%AD
▼Web東海新報|平成の気仙の歩み1―本紙報道から振り返る―〔2018年5月31日〕 https://tohkaishimpo.com/2018/05/31/207220/
▽「【〔1989年(平成元年)〕3月】 ▽気仙など沿岸南部7市町による「さんりく・リアス・リゾート構想」が国のリゾート法の承認を受ける ▽住田町の日鉄鉱業 大洞鉱業所〔大洞鉱山〕が合理化〔釜石製鉄所の高炉休止〕のあおりを受けて38年間続いた〔1951年から続いた?〕石灰石採掘を停止し休山」
▽参考:
▼合理化、高炉休止へ|鉄の街・釜石 | いわての文化情報大事典 http://www.bunka.pref.iwate.jp/archive/cs33
▽「昭和35年(1960)には従業員8,000人を抱える大工場となった釜石製鉄所〔日本製鐵株式會社〕は、昭和37年(1962)には鉄鋼不況によって40日間高炉封印を行ったほか、中型工場の廃止、7年間で1,700人を他製鉄所に配置転換などの体質改善・合理化を進めています。さらに昭和42年(1967)には1,000人に大規模人員削減を行い、八幡・富士の両社が再び合併して新日本製鐵となった昭和45年(1970)以降も合理化を進め、昭和50年(1975)には大型・線材工場の一時休止を行っています。このころの従業員は4,169人と15年間で半減、さらに昭和55年(1980)には3,312人となっています。/ 円高と世界的不況で事態は好転せず、鉄鋼業は海外立地などで国内空洞化が進み、新日本製鐵は八幡・名古屋・君津・大分への高炉集中と室蘭・釜石・広畑・境の高炉休止を決定、釜石は線材工場のみ280人体制とすることが決まりました。平成元年(1989)高炉の全面休止によって、釜石製鉄所の歴史に終止符が打たれました。」「〔写真:〕現在の釜石製鉄所」
▼釜石鉱山|鉱山情報・鉱物産地情報 福島県近郊 http://www.ja7fyg.sakura.ne.jp/kouzan/kamaishi/kamaishi.html
▽「■岩手県釜石市 釜石鉱山 (スカルン鉱床)/ 釜石鉱山(旧釜石鉱業所)は、戦後「鉄・銅」併産の国内最大規模の鉱山として発展したが、昭和50年代以降 生産規模を縮小し、昭和54年(1979) 日鉄鉱業(株)から分離し釜石鉱山株式会社となり、平成4年(1992)に銅を、平成5年(1993)には安政年間以来130年余の鉄鉱石採掘にピリオドを打った。総採掘量は約7千万トン、維持坑道は150Kmにも及ぶ。現在は、坑道より湧き出るミネラル水「仙人水」*2の販売を行っている。/ 〔※略〕」
▽「★釜石の主な鉄山 現在は全て閉山している。/ ・大洞*3 ・元山 ・硫黄山 ・新山 ・赤岩 ・佐比内 ・青ノ木 ・雄岳 ・細越 ・高前 ・六黒見金山 ・和山七ヶ山 ・栗橋 ・栗橋上 ・沢田 ・明神平 ・櫓沢」
▼石灰石輸送|日本の鉄道貨物輸送と物流 http://butsuryu.web.fc2.com/sekkaiseki.html
▽「■国鉄時代の石灰石輸送/ ▽その他の石灰石輸送/ ○発駅: 上有住〔駅〕 ○発 荷主: 日鉄鉱業(株) 大洞鉱山 ○着駅: 釜石〔駅〕 ○着 荷主: 新日本製鐵(株)*4 釜石製鐵所 ○備考: ・1964年〔昭和39年〕からは〔上有住駅から〕釜石まで専用列車2往復が運転([5]〔『盛岡鉄道管理局25年史』日本国有鉄道盛岡鉄道管理局(1976年(昭和51年))〕 p459)。/・1974年度〔昭和49年度〕の上有住駅の日鉄鉱業(株)からの発送トン数は 294,355トン([5]〔前掲書〕 p192)。/・上有住駅の日鉄鉱業については「ちょっと古い鉄道のお話」(http://www.ne.jp/asahi/tetsudo/miyata/home/index.html )に専用線や鉱山のレポ(http://www.ne.jp/asahi/tetsudo/miyata/kido/oobora/page01.html )あり。」
▽「■JR貨物以後の石灰石輸送/ 〔※略〕/ ▽JR貨物発足後も継続していた石灰石輸送/ ○発駅: 上有住〔駅〕 ○発 荷主: 日鉄鉱業(株) 大洞鉱山 ○着駅: 釜石〔駅〕 ○着 荷主: 新日本製鐵(株) 釜石製鐵所 ○備考: ・1989年3月ダイヤ改正で廃止。上有住駅の日鉄鉱業については、「ちょっと古い鉄道のお話」(http://www.ne.jp/asahi/tetsudo/miyata/home/index.html )に専用線や鉱山のレポ(http://www.ne.jp/asahi/tetsudo/miyata/kido/oobora/page01.html )あり」
▽参考:
▼新日本製鐵 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%A3%BD%E9%90%B5
▼新日鐵住金(→日本製鉄株式会社) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%97%A5%E9%90%B5%E4%BD%8F%E9%87%91
▽▽大洞鉱山 休山(1989年3月)以前の記録:
▽「ちょっと古い鉄道のお話」ホームページ。(「特集2 軌道めぐり(昔の紀行文です)」コーナーン中のページ。大洞鉱山への1976年(昭和51年)訪問時の写真や記録が、2009年(平成21年)再訪した際の記録とともに提供されている。)
▼軌道めぐり 番外4 ナロー編その8 大洞鉱山 (1/5)〔1976年7月訪問〕|ちょっと古い鉄道のお話 http://k-miyata.com/kido/oobora/page01.html
▽「■上有住/ ある日、NHKのニュースを見ていると、最近は写真を撮る女性が増えたと報じていた。/ ニュースでは、「男性は記録として撮り、女性は記憶を撮る」と解説され、いささかステレオタイプな見方と言えなくもないが、私自身、「記録」を意識することが多いのも事実である。/ でも、下の写真には、当時の心細い「記憶」が色濃く刷り込まれている。/ 1976(昭和51)年7月、初めて東北を旅した。それまでは親戚の多い九州が中心だったので、九州との風土の違いに戸惑うことも多かった。/ そうして訪ねた釜石線の上有住駅。客を待つバスが、ぽつんと停まる寂寥とした駅前の光景と、一人旅の淋しさがシンクロして、思わずカメラを向けたのであった。(写真にカーソルを重ねると、現在(2009年12月)の写真に変わります)/ 〔※略〕」
▼大洞鉱山 (2/5)|ちょっと古い鉄道のお話 http://k-miyata.com/kido/oobora/page02.html
▼E609 (3/5)|ちょっと古い鉄道のお話 http://k-miyata.com/kido/oobora/page03.html
▼陸中大橋 (4/5)|ちょっと古い鉄道のお話 http://k-miyata.com/kido/oobora/page04.html
▼そして上有住大洞鉱山 (5/5)|ちょっと古い鉄道のお話 http://k-miyata.com/kido/oobora/page05.html
▼日鉄鉱業 大洞鉱山(昭和56年訪問)|昭和50年代の鉄道写真 ぶんたの鉄道写真小屋 http://www.geocities.jp/buntatetsugoya/ohora.html
▽「■日鉄鉱業 大洞鉱山/岩手県(昭和56年〔1981年〕訪問)/ 〔写真:〕荒れた軌道上にTL〔トロリーロコ(電気機関車)〕がたたずむ/ 〔1981年〕当時主に鉱山や工場などで使用されている軌道に興味を持っていた私は、地図で軌道の記号を見つけては訪問していた。地図の軌道の記号は結構適当で、もう何年も前に無くなっているのに現役の様に書いてあったり、軌道だと思った所はもともと軌道など無くただの道路だったということなどは日常茶飯事だった。何しろ今みたいにインターネットの無い時代、しかも鉄道趣味の中では『ゲテモノ』に分類されるであろう鉱山等の軌道の資料など殆ど無く、自分で実際に行くしか調査の手段が無かったのだ。」
▽「東北地方にも地図で目星をつけてあった箇所が幾つかあったので 昭和56年〔1981年〕7月に夏休みを利用して北海道旅行に出かけるついでに何ヶ所か立ち寄ってみた。 釜石線上有住駅近くの軌道もその一つだった。上有住駅を降りて鍾乳洞〔滝観洞、白蓮洞〕の案内板をかすめて行った所に目指す日鉄鉱業大洞鉱山はあった。地図に鉱山マークは付いていたが、正式名称はその時初めて知った。近くにいた従業員らしい人に許可を得て軌道を見学させてもらう。今だったらこんなに簡単に許可は貰えないだろう。軌道と機関車は荒れていて使われているのかどうかわからない状態だった。/ 〔写真:〕奥まったところにTLが留置されていた/ 〔写真:〕主力と思われるトロリーロコ/ 〔写真:〕庫の中にあったTL 『E609』とナンバーが付けられていた/ 〔写真:〕本線上と思われるところに鉱車が1両だけポツリと置かれていた/ 〔写真:〕使われているかどうかわからない鉱車が放置されていた/ 見たところ機関車は鉱山でよく見かけるL字型のTL(トロリーロコ)が2両、あと軌道の行き止まりに鉱車が数両放置されていた。いったい貨車はどこにあるのだろう?辺りには見あたらなかった。Y字型に敷かれた軌道の距離もそんなに長い距離ではなく、しばらく様子を見ていたが留置してある機関車が動く気配が全くないので早々にお礼を言って見学を終えた。/ 〔写真:〕雰囲気のある鳥居があった/ フィルムの変質のため画質があまり良くありませんがご容赦ください。m(__)m」
▽参考:
▼電気機関車 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A
▼鉱山の機関車〔1982年12月10日撮影〕 | ないねん掲示板 | 128 https://8919.teacup.com/nainen/bbs/128
▽「■鉱山の機関車 投稿者:タマパパ 投稿日:2008年11月 1日(土)11時48分21秒」
▽「石灰石鉱山と言えば、釜石鉱山の隣の上有住駅近くにあった大洞鉱山がありました。釜石と同じ日鉄〔日鉄鉱業株式会社〕のヤマで同じ機関車が使われていました。釜石では既に動きの見られなかった10トン(東芝製)が動いていました。(1982年12月10日撮影) 静かで雰囲気の良い場所でした。」
▼日鉄鉱業大洞鉱業所 製鉄を陰で支えた軌道|ナロー軌道|青春コレクション〜つねぴょんの撮り鉄人生〜 http://tsunechan.web.fc2.com/daido-t.html
▽「◆所有事業者◆ 日鉄鉱業(株) 大洞鉱業所/ ◆運行区間◆ 坑内 〜 ホッパー 詳細不明/ 軌間=762mm 600V電化」
▽「【概要】 北上山地は複雑な地層と火成活動によって形成され、多様な鉱物資源を生み出しました。特に釜石鉱山周辺ではスカルン鉱床が発達したことから、国内有数の鉄鉱産地として知られています。スカルンとは、石灰岩や苦灰岩などに花崗岩などのマグマが貫入して発生する鉱物の集合体のことです。新釜石鉱山軌道があった陸中大橋の隣駅、上有住〔駅〕付近の大洞鉱山では石灰石が採掘されていました。この鉱山について、資料などが皆無なので詳しいことが全く分かりません。大洞鉱山の石灰石は、軌道から国鉄のホキに積換えられ、釜石へと運ばれていました。当時、上有住〜釜石間には石灰石専用列車が二往復設定されていたそうです。納入先は新日鉄釜石とのことでしたから、恐らく製鉄に使用されていたのでしょう。/ ここを訪問したのはたった一度だけ、それも僅かな時間だけでしたから、余計に不明点が多いのです。抗外を走る区間は坑口とホッパーの間、300mくらいだったでしょうか… ホッパーの手前には側線があり、降ろし作業の後にTL〔トロリーロコ〕の機回しが行われていました。TLは10トン機、下回りの前後が警戒色に塗られている以外は、なんとなく釜石鉱山のに似ています。釜石鉱山が独立する以前、同じ日鉄鉱業だったこともあるのでしょう。/ 坑内の様子は全く分かりません。ただ、1〜2km先の山では露天掘りが行われており、少なくともその下までは達していたと思われます。石灰石は縦坑から坑道へと落とされたのか、または坑内掘りだったのか…(?_?) 短い滞在時間で数本撮影しておりますので、そこそこ頻繁に運転されていたとは思います。/ 〔二年後の〕昭和62年〔1987年〕頃に訪れた方のレポートによると*5、既に軌道は使われなくなっていたそうです。その後、大洞鉱山は閉山したとか。鉱山としての資料も見つからないため、謎の多い軌道のひとつです。/ 【車両】 E6形=6トンTL/ E10形=10トンTL/ 5tグランビー鉱車/ 【訪問日】 昭和60年〔1985年〕 2月 8日」
▼日鉄鉱業大洞鉱業所 1985.2.8|ナロー軌道|青春コレクション〜つねぴょんの撮り鉄人生〜 http://tsunechan.web.fc2.com/daido.html
▽「朝イチで新日鉄釜石を訪問したものの、肝心のナローDLは見られずに撃沈。〔※略〕新釜石鉱山軌道の撮影を終え、釜石線で一駅移動。上有住駅近くの大洞鉱山を訪れました。/ ここの軌道の存在も「どうやらあるらしい…」くらいの情報だったと思います。当時〔1985年2月〕の上有住駅からは石灰石列車が乗り入れる引き込み線があり、鉱業所のホッパー*6へと達していました。出入するのは国鉄のホキ2100で、専用の小型DL〔ディーゼル機関車(Diesel Locomotive)〕も存在していたそうです。「…そうです」と記したのは、そのような車両を見た記憶が全くないからです。釜石線ではDD51が牽いていたとのことですが、それも見た覚えがありません。/ 〔上有住〕駅から道をたどり、迷うこともなく軌道に巡り会えました。釜石鉱山と同じ、762mmゲージの電化軌道です。軌道は鉱業所から僅か300m程で坑内へと入っていました。外を走る区間が短いのは鉱山軌道ではよくあること。僅かでもお天道様の下へ出てきてくれるのですから御の字です。/ TL〔トロリーロコ(電気機関車)〕が姿を現しました。/ 鉱業所ホッパーに到着です。/ あの山が現場でしょうか?/ 1〜2kmくらい先の山では、石灰石の露天掘りが行われていたようです。ただ、あれが軌道の達する採掘現場であるか否かは定かではありません。運搬列車は5tグランビー鉱車の15両編成でした。」
▽「稼働していたのは、このE103だけでした。/ 〔※略〕/ 側線を通り、列車の反対側へと向かいます。/ 石灰石を積んだ列車は、交換所?をゆっくりと通過してホッパーに差し掛かります。一旦停止のあと徐行で発進、鉱車が傾斜して石灰石が投入口へと落とされます。グランビー鉱車は、降ろし場に備えられたダンプガイドによって車体上回りが傾斜する構造です。ダンプガイドにさしかかると、鉱車の側面下にあるローラーが引き出されます。ローラーはダンプガイドのレールに載り、進むにつれて上に持ち上げられて車体が横に傾きます。傾くと同時に側面が開き、積載物が滑り落ちるように排出されます。空になった鉱車はローラーが折りたたまれます。たたまれた状態ですと、ダンプガイドにローラーが載らないため鉱車は傾きません。鉱車の種類によっては、ローラーが折りたたまれないタイプもあり、その場合はダンプガイドの形状によって一方向でしか傾斜されないようになっています。/ かつての鉱山軌道では、鉱車を1両ずつチップラーという施設にセットし、回転させて降ろしていました。この作業ですと、編成の分割と連結が必要となるため効率的ではありません。グランビー鉱車は、鉱山軌道での降ろし作業を飛躍的に軽減しました。一説によると、カナダのグランビー社が考案したシステムだとのことですが、詳細は分かりません。/ 15両すべてが降ろし終わると進行方向を変え、TLが鉱車を押して交換所へと向かいます。推進で交換所に進入して停車。TLが解放され、側線を通って列車の反対側へと機回しされます。坑道側にTLを連結し、出発してゆきました。/ 機回し用の側線/ ■大洞鉱山軌道 車両カタログ/ 〔※略〕/ 石灰石鉱山に於いて軌道が用いられる場合、概ね大量輸送の体制がとられていました。東日本では尻屋、葛生、奥多摩などが代表的な例です。石灰石は産出量に対しての価格が低いため、効率よく運搬するには大量輸送が必須なのだとか。ゆえに最適なシステムであるベルトコンベアへと転換されやすいという運命にもありました。そんな理由もあり、石灰石鉱山には軌道が少ないという訳です。/ なぜか臨単?!/ この〔写真の〕TL単機のことは全く覚えていません。運転士がこちら側を見ていますので、坑道から出て来たシーンだと思います。なぜかこの一枚しか撮っていないし、前後のコマを見ても思い出せません(T_T)/~~~ 坑内に鉱車を置いて来たのでしょうか?/ 〔※略〕」
▽「詳しいことは分かりませんが、大洞鉱山はベルトコンベア化される前に閉山したようです。枯渇したのか、その他に理由があったのか、全く不明です。二年後の昭和62年〔1987年〕、ここを訪れた方のレポートによると、軌道は稼働していませんでした。もしかすると、たまたま休業日だったのかも知れません。上有住駅発着の石灰石列車は平成5年〔1993年〕まで続いていたようですから、少なくともそれまでは大洞鉱山が操業していたことになります。その頃まで軌道は存在していたのでしょうか…(?_?) / 〔※略〕/ ヤマを見守っていた社/ 山神社の写真を改めてみると、また違ったアングルが期待できたように思えます。もう少し工夫をすればよかったかな〜 なんて、得意の後悔です(苦笑)/ この後、釜石線と東北本線を乗り継ぎ、盛岡へ向かいました。翌日はトロ鉄友のやっちゃんと合流して日本粘土〔日本粘土鉱業 岩手鉱業所〕です。続きは ↓ 下のボタンからどうぞ!」
▽参考:
▼鉱車(こうしゃ)とは - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E9%89%B1%E8%BB%8A-62219
▼Oナロー グランビー鉱車|道楽ぼーず http://www7b.biglobe.ne.jp/~douraku/sub30.htm
▼グランビー鉱車の名の由来、そのとっかかりに近付いたのか否か〔2013年9月9日〕: 台所的腰痛譚 http://rustic-kitchen.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-a002.html
▼謎の無人鉱山を探る 日鉄大洞鉱山(岩手県)〔調査日 1987.06.14〕|軽探団 http://keitandan.web.fc2.com/03nittetsu_oobora.html
▽「1987年6月、夏を予感させる暑さの中、上有住〔駅〕から日鉄大洞鉱山へ向かって歩いた。上有住からは石灰石輸送用の引込線が延びていて最奥のホッパー近くにスイッチャーが休んでいた。駅から鉱山まではさほど遠くないが、夏の日差しが砂利道を照り付けていてとにかく暑い。/ 鉱山の入口まで来ると「日鉄鉱業大洞鉱業所」の看板が出ていたが、守衛さんなど誰もいないので誰か現れるまでズカズカと進入した。/ ホッパーの上段まで登ると軌道があったが、相変わらず誰も現れない。とりあえず写真を撮りながら進む。山神様があった。静まり返った鉱山は少し不気味でもある。機関車も本線上に停まったままだ。/ 坑口があり鉄の扉は開いているが、近付く気になれず離れたところから写真だけ撮った。/ ホッパー付近にも人影がなく静かに時間だけが過ぎる。誰にも会わなかった施設はいくつか経験があるが、これほど人気がないのは他になかった。従業員の車が停めてあったり、洗濯物が風になびいていたり、焼却炉から煙があがっていたりと何かしら人の気配を感じるのであるが、ここは全くない。/ 廃車になった?鉱車があった。そう言えば鉱車の姿が見えない。何処にしまってあるのだろうか? 坑口の中にでもあるのだろうか?/ 山の向こうに露天掘りの鉱山(ヤマ)が見える。鉱石も整然と積上げられている。確かに鉱山は稼動しているのだ。しかし…、/ 結局、誰に会うこともなく鉱山を後にする。上有住駅まで戻り再び列車に乗った。 その後、軌道は廃止されたという噂を聞いた。鉱山は稼動しているのか不明である。 今となっては幻ではなかったか?と思うほどである。」
▽「《データ》 ■(株)日鉄鉱業 大洞鉱業所 ◇岩手県気仙郡住田町 ◇上有住 歩5〔徒歩5分〕 ◇区間:鉱業所内 ◇動力:DC?V ◇軌間:762mm ◇敷設日:不明 ◇廃止日:不明/ ◇参考資料:RM18BESTトロッコ p51・『全国鉱山鉄道』〔岡本憲之〕 p65」
▼専用線編|鉄道車両写真集 -私有貨車編-|JS3VXWの鉄道管理局(鉄道うんちくのJ鉄局) http://www.geocities.jp/js3vxw/HP1/photo_album_/photo_album_index5.htm
▽「■鉄道車両管理局 専用線編 INDEX/ ・日本セメント 上磯工場専用線/ ・太平洋炭礦/ ・北炭〔北海道炭礦汽船〕 真谷地炭礦/ ・日鉄鉱業 尻屋崎/ ・日本粘土工業 赤谷鉱山/ ・新日鉄釜石〔新日本製鐵釜石製鐵所〕 釜石鉱山, 大洞鉱山*7/ ・日立製作所 勝田工場/ 大阪セメント 伊吹工場専用線/ ・新日鉄八幡 くろがね線/ ・国見山石灰工業〔国見山石灰鉱業〕/ 大分鉱業/ ・三井三池工務所 専用鉄道/ ・神戸製鋼 明延鉱山, 紀州鉱山/ KFS(関西フレートサービス)」
▽▽大洞鉱山 休山(1989年3月)以降の記録:
▼鉱山事業所リスト#2(東北編):大洞鉱山〔2000.8.13訪問〕|K氏の資料室|個人研究室|日本の金属鉱山 http://www.miningjapan.org/mine/datacell_k/list2.html
▽「■現行政区/地区名: 2bb,岩手県気仙郡住田町大洞 (上有住(kami-arisu)駅北東裏側)/ ■鉱山名(略号・仮称(鉱産地)): 大洞/ ■探訪年: 2000.8.13/ ■(最終)事業所名: 大洞鉱山/ ■(旧)事業者("(租)鉱業権者"): 日鉄鉱業(株/ ■鉱床タイプ: 石灰石/ ■現状: 〔2000年8月現在、〕露天堀/施設撤去ずみ。専用側線跡など。 すぐそばの鍾乳洞〔滝観洞、白蓮洞〕は-pm4:30まで公開¥800- (2000、住田観光開発(株))。/ ■備考: そばのJR釜石線トンネルからは朦々とディ-ゼル排気が。/ ■ID: 474」 ※空欄は省略。
▼滝観洞のみち〔調査日 2006年6月18日〕|N.N.I.T.さんぽみちガイド http://nnit.web.fc2.com/tohoku/rokando/index.htm
▽「●はじめに: 滝観洞・白蓮洞の中を通るコースです(コースが鍾乳洞の中を通ります)。/ ●調査日: 2006年6月18日/ ●コース概略図: 大洞公民館〔大洞自治公民館*8〕〜滝観洞〜白蓮洞/ ●交通アクセス: JR釜石線上有住駅下車。滝観洞は駅構内(駅直下)にあります。/ ●コースを歩いて: 花巻から釜石線に乗り換え上有住駅で下車。駅のホームを出て坂道を下り気仙川に架かる橋を渡ります。橋の脇にトイレあり。橋を渡ると丁字路です。起点と思われる大洞公民館はここで右折(気仙川下流)し500mほど先にあります。/ 【写真1】起点: 大洞公民館/ 今来た道を引き返し,気仙川の上流に向かいます。滝観洞の入口手前に自然歩道の地図入り案内板が立っています。/ 【写真2】自然歩道案内板と入洞受付/ 〔自然歩道案内板〕『■新奥の細道 東北自然歩道 滝観洞のみち/ このコースは,JR釜石線上有住駅から滝観洞,白蓮洞に至る全長2.3kmの自然歩道です。/ 滝観洞は入口から880m進むと大理石の間から落差29mの「天の岩戸の滝」が流れ落ちており,白蓮洞はリムストーンプール,つらら石,洞穴サンゴカーテンなど,何億年もかけて創造した天然の造形美を鑑賞できます。鍾乳洞の神秘さと小鳥のさえずりを堪能できる約2時間の散策コースです。』」
▽「まだ朝9時前で〔滝観洞・白蓮洞の〕入洞見学の時間には少々早かったので付近を散策してみました。滝観洞前の道をさらに上り詰めると釜石線の踏切とトンネルの入口,その先は日鉄鉱業 大洞鉱業所の敷地ですが高い鉄柵で囲まれているため行き止まりでした。元々上有住駅は鉱石の輸送が目的で設置されたのですが今は引き込み線がすべて撤去されその面影はほとんどありません。貨物列車自体も通らないようです。/ 〔※略〕」
▼東方幻想郷ツアー 其の捌「神アリス」〔2010年05月08日〕 : まっくの徒然日記 http://blog.livedoor.jp/macnodiary/archives/1020781306.html
▽「遠野を後に、釜石へ向かいます。旧道マニアの我々にしては珍しく、新道の仙人峠道路を経由して。(その理由は後程明らかに)/ 遠野住田ICから走ること数分。滝観洞ICで専用道を降ります。ここでトイレ休憩を兼ねて、準秘境駅であるJR釜石線上有住駅を散策。/ 〔※略〕/ さてさて、秘境ムード満点なこの上有住駅。昔は島式ホームで列車の交換も出来たそうですが 今は旧上り線の上に駅舎が建ち、一面一線の単純なローカル駅になってしまいました。/ タイミング良く釜石行きの普通列車がやって来たので、動画モードで撮影。/ 列車が通過した後、アン様が何かを発見。 ん?/ 側線か。単純に交換のためなら気にならないが この先本線と並行して藪の中に線路が消えて行く。/ 山さフリーク http://yamaiga.com/ のアン様が 「コレは引込み線だろう」 と分析。え〜、こんな山奥の駅に何で引込み線があんのよ〜(^◇^;)/ と、周辺の観光案内板によ〜〜〜く目をこらすと、/ んん!?/ 大洞鉱山だと!!!Σ(・□・;) 上有住駅の先にまさか鉱山が存在してたとは!。探究心の塊である我々。ここまで来たら、正体を明かしてみたい。しかし、線路沿いを歩くと某DQN撮り鉄と同レベルになってしまう。そこで一度、滝観洞側の一般道に回り込み 引込み線の先と思われる踏切まで向かう事にした。/ つづく」
▼大洞鉱山との出会い〔2010年05月08日〕 : まっくの徒然日記 http://blog.livedoor.jp/macnodiary/archives/1020781307.html
▽「おおおおおおおおおおおおお!!!/ なんだアレは!!! 明らかに露天掘りと思われる生々しい鉱山の跡が。/ 当然、廃鉱山なので金網に阻まれ立ち入り不可。(現役の方がもっと立ち入り不可だが)/ さて、肝心の引込み線は/ 釜石線の橋梁と藪があるため目視は不可能。ルールを破って保線用通路を渡る勇気は無かったッス(>_<) しかし、引込み線が有ったと思われる延長線上に、/ おおっと、これは鉄道橋? その延長線上の上空にはホッパーの遺構。/ なるほど、本線からあまり離れずホキを小編成化して、鉱石を積み込んだのでしょうね。/ 〔追記/ 帰宅後調べたところ、大洞鉱山は釜石製鉄所の石灰石鉱山として開発され釜石鉱山と共に、製鉄の重要な役割のあった鉱山だったそうです。/ こちらのHP〔http://www.ne.jp/asahi/tetsudo/miyata/kido/oobora/page01.html 〕に掲載されていた大洞鉱山現役時代の上有住駅の俯瞰写真を見るとキハ車が停車する脇で、石灰石を満載したホキ貨物列車が待機しています。/ あらためて、釜石の栄枯盛衰は周りの町々に影響が大きかったのですねぇ。〕/ 帰りがけ、気になる物が。/ 鉱山の入り口に慰霊碑。鉱山関係の事故で亡くなられた方の物かと思いきや、敷地はJRの土地の中にある。という事は、土倉トンネル工事の犠牲者でしょうか。/ 仙人峠を超えるため、命を賭した御霊に。合掌。」
▼高清水山 1013.5m・仙人峠 2012年9月8日|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201209/article_10.html
▽「遠野市と住田町の境にある高清水(たかすず)山は、ルートをあれこれ悩み続けた山です。/ 〔※略〕/ 北側の直登は、標高差550m、片岩などの断崖、早瀬川の渡渉があり非常に危険そうです。/ 昔の地形図を見ると、滝観洞の奥から、高清水山の山頂近くに至る道と、土倉峠付近に至る道が書かれていました。「土倉峠」で検索すると釜石側は廃道で全く通行不可能、住田側は鉱山会社の私有地で立ち入り禁止とありました。山頂近くに至る道も廃鉱山の作業道だったのかもしれません。/ 昭和45年〔1970年〕編集の地形図〔5万分の1〕*9からは、いくつもの興味ある情報が得られます。仙人峠の遠野側は車が通行できた可能性があること(実線になっている)、仙人トンネルが有料道路だったこと、鉱山鉄道があったこと等々。鉱山跡は立ち入り禁止のようですが、探検したら楽しいことでしょう。/ 〔※略〕」 ※1975年地形図(5万分の1)の写真あり。「大洞鉱山」の文字が見える。
▼峠データベース・詳細表示:土倉峠(岩手県気仙郡住田町上有住/釜石市甲子町) http://pdb.the-orj.org/view.php?no=2760
▽「■峠No.: 2760/ 峠名: 土倉峠/ 読み: つちくらとうげ/ 行政区: 岩手県気仙郡住田町上有住/釜石市甲子町/〔※略〕」
▽「■峠の概略: 〔土倉峠の〕上有住側は社有地で立入禁止。大橋〔陸中大橋〕側からのピストンコースになる。峠に向かってブル道〔ブルドーザー用道路〕がジグザグに延びているが、最後の標高差200mは強烈なヤブ漕ぎに泣くと思う。(吉永さん)」
▼(K030)大洞踏切(上有住→陸中大橋)〔2014年4月20日〕: 会津の自然と汽車 http://shinanomachi.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/k030-1838.html
▽「■釜石線 SL撮影ガイド/ 上有住を〔釜石方面へ〕発車すると長いトンネル〔土倉トンネル〕に入りますがその手前に大洞踏切があり、付近から発車後Sカーブを曲がってくる姿を撮ることができます。足ヶ瀬付近とこのあたりが一番雪深いです。/ 〔※略〕/ 踏切の前は小さな橋りょうになっています。/ 大洞踏切を通って土倉トンネルに入ります。慰霊碑は土倉トンネル難工事のものでしょうか? 以前ここにはこの奥にあった大洞鉱山につながる石灰石運搬の専用線があったはずです。」
▼蒸気機関車 SOUL TRAIN’s|釜石線・新緑と水田(2)〔2014-05-28〕 http://soultrainsd51241.blog.fc2.com/blog-entry-73.html
▽「2014.5.24 2014年の“秘境駅”ランキング58位の上有住駅。駅の周辺には“滝観洞”しかない。1993年3月31日までは、上有住から日鉄鉱業・大洞鉱山専用線が分岐しており石灰石を釜石まで発送していた。/ 〔※略〕」
▼軽探団(ゲリラトロッコ探索ごっこ軍団)雑記帖 夏の岩手・宮城を探る その1 by団員H君〔2015-08-10〕 http://keitandan.blog76.fc2.com/blog-entry-1039.html
▽「■2015年8月の旅-1 2015.08.09着信/ 昨日は数少ないトロッコ乗車での鉱山坑道見学を堪能させて頂きました。/ 2日目(8/9)、本日は先ずは番外編で岩手開発鉄道を探索します。途中、JR釜石線上有住駅近くの「日鉄鉱業 大洞鉱業所」跡地をチェックします。(「謎の無人鉱山を探る」 http://keitandan.web.fc2.com/03nittetsu_oobora.html 参照)完全に撤去されスカ。/ ここから県道で峠越えをし、かつての岩手石橋駅に出て、旧日頃市駅〜旧長安寺駅〜盛駅と辿ります。/ 〔※略〕」
▼『上有住駅』〔2015/12/6〕 ( 鉄道、列車 ) - 『駅っ娘(ekikko)』 https://blogs.yahoo.co.jp/rakugaki_nekomo/36625756.html
▽「〔※略〕/ 上有住駅は釜石線の中でも‘秘境駅’と呼ばれるほど、山深い寂しい駅。昔あった石灰石鉱山(大洞鉱山)も閉山してから久しく、ホキ車がたむろしていた構内は草ボーボー。崖の上に張り出すように建てられていた駅舎も随分前に壊され、跡地は自然豊かな景色を見下ろす展望台みたいになっています。〔※略〕」
▼この駅どーこだ?Part54〔2008年8月〕|5ちゃんねる http://hobby11.5ch.net/test/read.cgi/train/1210078289/?v=pc
▽「■916 :名無しでGO!:2008/08/20(水) 09:55:35 id:KnLWzYjLO/ 〔問題(この駅どーこだ?):〕 1. JRの駅。電化はされていない。 2. かつては1面2線の有人駅だった。現在は1面1線の無人駅。 3. 近くに自動車専用道路のインターチェンジがある。 4. 以前はJRバスが駅前まで乗り入れていた。 5. 現在も路線バスは乗り入れているが、運行主体は地元の運送会社に変更されている。」
▽「■933 :名無しでGO!:2008/08/22(金) 00:00:39 ID:0gAEu3xeO/ >>916 ヒントを追加します。 6. この駅の近くには観光鍾乳洞が存在し、多くの観光客を集めている。 7. この駅からは、石灰石鉱山へ通じる専用線が延びており、産出された石灰石は貨物列車で隣町の製鉄所に運ばれていた。現在は鉱山・専用線ともに廃止されている。」
▽「■935 :名無しでGO!:2008/08/22(金) 00:30:22 id:Qd0X98Fr0/ >>916>>933 〔答えは、〕釜石線 上有住駅」
▽「■937 :名無しでGO!:2008/08/22(金) 01:48:52 ID:8IhAmUGZO/ >>935 その通り!正解です。」
▽「■938 :名無しでGO!:2008/08/22(金) 02:09:26 ID:8IhAmUGZO/ 解説書かずに書き込んじまった…orz 以下解説/ >>916 1. 釜石線は非電化路線です。 2. 有人・1面2線は釜石線CTC化〔列車集中制御装置導入〕以前の〔上有住駅の〕姿。その後無人・1面2線→無人・1面1線と変化しました。 3. 〔駅から〕徒歩約15分のところに仙人峠道路・滝観洞ICがあります。 4&5. 上有住駅と岩手八日町の間を、JRバス大洞線が結んでいました。その後、JRバスは遠野地区から撤退。現在は「合資会社住田交運」が同区間にバスを運行しています。〔※2010年より住田町コミュニティバスに移行。〕/ >>933 6. 駅から徒歩5分のところに滝観洞があります。洞内を流れる滝の落差は日本一。 7. 上有住駅の近くにあった大洞鉱山からは石灰石が産出され、釜石市の新日鐵釜石製鉄所に運ばれてました。しかし、高炉が廃止〔1989年〕されたのに伴い、大洞鉱山も廃山となりました。」
▽参考:
▼合理化、高炉休止へ | いわての文化情報大事典 http://www.bunka.pref.iwate.jp/archive/cs33
▼CTC | 鉄道用語辞典 | 日本民営鉄道協会 https://www.mintetsu.or.jp/knowledge/term/98.html
▼住田町の公共交通 | 住田町 https://www.town.sumita.iwate.jp/docs/2015022500122/
▼住田交運 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E7%94%B0%E4%BA%A4%E9%81%8B
▽「合資会社住田交運(すみたこううん)は岩手県気仙郡住田町に本社を置く運送会社である。JRバス廃止代替路線バスの運行も行っている。/ ■営業所/ ・本社営業所(トラック) 岩手県気仙郡住田町世田米日向2-2/ ・八日町営業所(バス) 岩手県気仙郡住田町上有住八日町168/ ■路線/ ■八日町上有住線: ○運行経路: 岩手八日町 - 小松 - 金の倉 - 中埣 - 大祝 - 上有住/ ○沿革: ・19xx年[いつ?]:国鉄バス 大洞線岩手八日町 - 上有住間開業。/ ・1991年10月8日:JRバス大洞線廃止。住田交運が代替運行開始。/ ・2010年4月1日:住田町コミュニティバスへの移行に伴い、〔住田交運 八日町上有住線を〕廃止(同コミュニティバスの川口上有住線等で代替)。/ ■遠野住田線: 〔※略〕」
▼ジェイアールバス東北盛岡支店 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%B9%E6%9D%B1%E5%8C%97%E7%9B%9B%E5%B2%A1%E6%94%AF%E5%BA%97
▽「ジェイアールバス東北盛岡支店(ジェイアールバスとうほくもりおかしてん)は、岩手県盛岡市JR東日本盛岡支社隣にあるジェイアールバス東北の営業所である。/ ここでは、JRバス盛岡案内所、盛岡支店大釜車庫、廃止された盛岡支店岩手支所、岩泉営業所、遠野営業所についても触れる。/ 〔※略〕/ ■遠野営業所/ 遠野営業所は岩手県遠野市にあった。/ ■沿革: 〔※略〕/ ■当時の所管路線: ・遠野線(1947年 - 2004年)/ ・遠野北線(1952年 - 1992年)/ ・大洞線/ 〔※略〕」
▼1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 東北地方自動車部 http://www.magame.jp/fumo/jnr200.html
▽「■1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【216】 遠野線/ ■1. S60.6〔昭和60年(1985年)6月〕時点の路線紹介/ 1.1 路線名称 ◇遠野線: ○遠野本線: 遠野-陸前高田/ 陸前高田-高田松原/ ・来内線: 遠野-切掛/ ○遠野北線: 上組町-恩徳/ 八幡神社前-飯豊-福泉寺口/ 岩手和野-岩手山口/ ○大洞線: 上有住支所前-上有住/ 1.2 路線略図/ 〔※略〕/ ■2. 最長片道きっぷの旅 〔※略〕/ ■3. 路線解説/ 3.1 当時の運行状況/ ・遠野線は1947(S22)年2月18日に遠野〜陸前高田が開業したのがルーツで、1950(S25)年10月18日に岩手八日町〜上有住(後に大洞線)、1952(S27)年6月2日に上組町〜恩徳〜岩手小国〜陸中川井駅前〜茂市(後に遠野北線)が開業した。/ 〔※略〕」
▽「3.2 旅から30年/ ・遠野自営監修「国鉄バス時刻表」1985(S60)年12月15日改正によると、遠野線には次のような系統が設定されていた。/ 〔※略〕/ (大洞線) ・陸前高田〜上有住 下り2本・上り3本(所要1時間30〜45分)/・世田米〜上有住 1往復(所要49〜52分)/・八日町〜上有住 下り1本(所要30分)/ ・〔4年後の〕1989(H1)年1月入手の遠野営業所監修「バス時刻表(列車ダイヤ付)」によると、遠野線には次のような系統が設定されていた。/ (大洞線)・陸前高田〜上有住 2往復(所要1時間30分)/・世田米〜上有住 1往復(所要50〜51分)/・八日町〜上有住 1往復(所要29〜30分)/ 〔※略〕/ ・1990年代前半に来内線〆田〜切掛、大洞線、遠野北線が廃止され、最後まで残った遠野〜陸前高田、上有住支所前〜岩手八日町も2004(H16)年3月末限りでに廃止されて、遠野線は全廃された。/ 〔※略〕」
▽▽その他:
▼PDF:有価証券報告書 事業年度(第38期) 自 昭和38年4月1日 至 昭和38年9月30日/昭和38年12月26日提出(日鉄鉱業株式会社)|東京大学経済学図書館 http://www.lib.e.u-tokyo.ac.jp/digitalarchive/fr/02/1_02_016_038.pdf
▼PDF:有価証券報告書 事業年度(第46期) 自 昭和42年4月1日 至 昭和42年9月30日/昭和42年12月26日提出(日鉄鉱業株式会社)|東京大学経済学図書館 http://www.lib.e.u-tokyo.ac.jp/digitalarchive/fr/02/1_02_016_046.pdf
▼PDF:「北日本 中・古生代石灰岩の深部地質環境データの購入(動力炉・核燃料事業団 契約業務報告書) 1991年3月」 日鉄鉱業株式会社|JOPSS 国立研究開発法人 日本原子力研究開発機構 https://jopss.jaea.go.jp/pdfdata/JNC-TJ7440-2005-021.pdf
▽「1. 資料調査の概要/ 1.1 件名: 北日本中・古生代石灰岩の深部地質環境データの購入/ 1.2 目的: わが国の高レベル放射性廃棄物地層処分システムの研究開発は、地域を特定する事なく、広範な地質環境を対象に進めている。 このため、地層処分システムの技能評価と概念設計に資する地質環境モデルデータセットの整備が不可欠である。 深部地質環境調査では、わが国の地質環境を岩石の種類、地層の年代、地質構造の特徴などから34の単位に区分し、データの集積を行っている。本件はその一環として岩石の物性や地層の水利学的特性などに関する資料を購入し、モデルデータセットの構築に資するものである。/ 1.3 資料調査位置及び岩種: 岩手県気仙郡住田町上有住土倉(かみありすあざつちくら)、大洞鉱山(だいどう〔こうざん〕)地内、石炭系石灰岩/ 1.4 資料調査期間: 平成2年〔1990年〕10月1日〜平成3年〔1991年〕3月15日/ 1.5 資料調査項目: 本資料調査の項目及び数量を表1.5.1に示す。」 ※調査地地図を含む。
▼「(中学校理科教材資料) 県立博物館の展示(常設)目録 ─学習指導要領・教科書との対照表─」(岩手県立博物館) http://www2.pref.iwate.jp/~hp0910/education/data/churika1.pdf
▽「(中学校理科教材資料)/ この資料は、学習指導要領や教科書の学習内容と、当館〔岩手県立博物館〕の常設展示を対比させたもので、博物館を活用した学習活動を側面的に支援するために作成したものです。資料活用にあたっては次の事項にご留意ください。/ (1)当館の常設展示は、総合展示室と、いわて自然史展示室、いわて文化史展示室に展開しており、この展示目録は学習指導要領の理科(第2分野の地学・生物の内容)と対応しています。/ (2)2013年3月31日現在の常設展示を記録しています。/ (3)常設展示資料は、県土の誕生、いわての夜明け、いわての歩み、庶民の暮らし、いわての今、自然史展示室、文化史展示室等のコーナーを中心に定期的に展示替えをしています。繰り返し展示するものについては、収蔵中のものも常設展示資料欄に載せています。/ (4)資料の「見学のポイント」欄は、学習指導の参考のために記載してあります。/ (5)資料の詳細、不明な点等につきましては、学芸第三課 博物館・学校連携担当(電話〔※略〕)にお尋ねください。」
▽「■総合展示室/ ■テーマ1 県土の誕生(地質)/ ◆県土のおいたち: 〔※略〕/ ・クロリトイドホルンフェルス 1点|実物|住田町下有住字火の土/ ・結晶質石灰岩 1点|実物|住田町上有住字八日町/ 〔※略〕/ ◆いわての古生物相の変遷: 〔※略〕/ ・刺胞動物 床板サンゴ類 クサリサンゴ 1点|実物|住田町奥火ノ土 シルル紀 奥火ノ土層/ 〔※略〕/ ・棘皮動物 ウミユリ 1点|実物|住田町叶倉沢 前期ペルム紀 坂本沢層/ 〔※略〕/ ・外肛動物 コケムシ 1点|実物|住田町叶倉沢 中期ペルム紀 叶倉層/ 〔※略〕/ ■テーマ2 いわての今(現勢)/ 〔※略〕」
▽「■いわて自然史展示室/ ■テーマ1 いわて自然史/ 【1】大地の中の小さな輝き: 〔※略〕/ ・鍾乳石 2点|実物|住田町大洞 大洞鉱山構内 明幻/ 〔※略〕/ ・花崗閃緑岩中の含灰重石 石英脈 1点|実物|住田町上有住 大貫鉱山/ ・灰重石精鉱 1点|実物|住田町世田米 野尻鉱山/ ・結晶質石灰岩(白色石灰岩) 1点|実物|住田町上有住字平沢 母衣下鉱山/ 〔※略〕/ ・灰ばんザクロ石と方解石 2点|実物|住田町下有住字奥新切 松森鉱山/ 【2】地球史の中の岩手の自然: 〔※略〕/ ・刺胞動物 四放サンゴ類 貴州サンゴ 1点|実物|住田町犬頭山 前期石炭紀 鬼丸層/ 〔※略〕/ ・刺胞動物 四放サンゴ類 ワーゲノフィルム 1点|実物|住田町叶倉沢/ 〔※略〕/ ・クロリトイドホルンフェルス 1点|実物|住田町下有住奥火の土/ 〔※略〕/ ・黒雲母普通角閃石花崗閃緑岩 1点|実物|住田町世田米字仁田代 前期白亜紀 気仙川岩体/ 〔※略〕/ 【3】海にもどって大進化: 〔※略〕/ 【4】海の哺乳類: 〔※略〕/ 【5】空に向かって大進化: 〔※略〕」
▼NHK教育を見て18169倍賢く紘美は賢いなぁ〔2007/04/24〕|5ちゃんねる https://live23.5ch.net/test/read.cgi/liveetv/1177337241/
▽「74 :NHK名無し講座:2007/04/24(火) 00:47:01.07 ID:0H148XQ3/ 日鉄鉱業の大洞鉱山の石灰山は海百合とか巻貝がバシバシ入っていて磨くとすげえぞ」
▼「岩手県釜石鉱山付近の地質構造」 浜辺修二, 野納敏展(『鉱山地質』26巻136号, 1976年) https://www.jstage.jst.go.jp/article/shigenchishitsu1951/26/136/26_136_93/_article/-char/ja/
▼CiNii 論文 - 「日鉄鉱業株式会社大洞鉱山」(『石灰石』187号(石灰石鉱業協会), pp. 7-12, 1980年) https://ci.nii.ac.jp/naid/40002168894
▼CiNii 論文 - 「日鉄鉱業株式会社大洞鉱山」(『石灰石』123号(石灰石鉱業協会), pp. 114-120(グラビア), 1970年) https://ci.nii.ac.jp/naid/40017977397
*1:「1:50,000 chikeizu」。第二次世界大戦前の 5万分の1地形図「遠野」。地図の左側に「大正二年〔1913年〕測図 昭和八年〔1933年〕修正測図」「参謀本部」の文字が見える。スタンフォード大学が公開している。全国各地域地図へのリンクは次のページから。 →▼Japan 1:50,000 | Stanford Digital Repository http://stanford.maps.arcgis.com/apps/SimpleViewer/index.html?appid=733446cc5a314ddf85c59ecc10321b41 国土地理院が作成した(保有している)過去の地図の図歴(発行履歴)は、次のページで確認できる。 →▼地形図・地勢図図歴|地図空中写真閲覧サービス|国土地理院 https://mapps.gsi.go.jp/history.html#ll=37.3912834,140.3903225&z=5&target=t50000
*2:「仙人水」。「仙人秘水」を指す。大峰山(釜石市・遠野市の市境)の地下から採水されるミネラルウォーター。 →▼おいしい水「仙人秘水」の釜石鉱山 公式ホームページ https://www.sennin-hisui.com/
*3:「釜石の主な鉄山」。釜石鉱山(旧釜石鉱業所)の「鉄山」として「大洞」を挙げるが、大洞鉱山は石灰石鉱山であり、誤りかと思われる。
*4:「○着 荷主 新日本製鐵(株)」。“新日本製鐵株式会社”は、2012年に住友金属工業株式会社と合併して「新日鐵住金株式会社」に商号変更。新日鐵住金はのち、2019年4月1日より「日本製鉄株式会社」に社名変更している。 「本日〔2012年10月1日〕、新日本製鐵株式会社と住友金属工業株式会社は合併し、新日鐵住金株式会社が誕生しました。」 →▼新日鐵住金株式会社の発足について〔2012/10/01〕|住友金属工業株式会社 https://www.nipponsteel.com/news/20121001_01.html 「新日鉄住金は〔2018年5月〕16日、2019年4月1日に「日本製鉄」に社名変更すると発表した。12年10月に旧新日本製鉄と旧住友金属工業が経営統合して、現社名になっていた。鉄鋼メーカーの国際競争が激しくなるなか、日本発祥の製鉄会社という立場を明確にする。」 →▼新日鉄住金、「日本製鉄」に社名変更/19年4月〔2018/5/16〕|日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30575470W8A510C1000000/
*5:「昭和62年頃に訪れた方のレポートによると」。このサイトの著者が訪問したのは昭和60年(1985年)。その2年後に大洞鉱山を訪問したレポートを指す。後掲の次のwebページかと思われる。 →▼謎の無人鉱山を探る 日鉄大洞鉱山(岩手県)|軽探団 http://keitandan.web.fc2.com/03nittetsu_oobora.html
*6:「鉱業所のホッパー」。ホッパーは、採掘物を「出荷・積込まで貯めておくための貯炭槽および機械設備」で、「ホッパーは積み出し設備を兼ねるため、主に貨物線・専用線の引込み線や運搬用の道路の上に作られている」。また、「炭鉱においてはボタ山と同様に、炭鉱地域を象徴するものの一つとなっており、閉山後も遺構として残存する場合が多い」という。 →▼ホッパー (鉱業) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BC_(%E9%89%B1%E6%A5%AD)
*7:「新日鉄釜石 釜石鉱山, 大洞鉱山」。リンクはなく、残念ながら写真は掲載されていない。なお、Yahoo!ジオシティーズのサービス終了(2019年3月31日)にともない、ホームページ「JS3VXWの鉄道管理局」は次のURIに移行し、リニューアルされた。 →▼J鉄局のHP(JS3VXWの鉄道管理局) http://railways.ikidane.com/ 参考。 →▼サービス終了のお知らせ|Yahoo!ジオシティーズ https://info-geocities.yahoo.co.jp/close/ →▼Yahoo!ジオシティーズ終了。無料ホームページサービスの終焉と、失われる人類の情報資産〔2019.03.01〕 | ハーバービジネスオンライン https://hbol.jp/186928
*8:「大洞自治公民館」。だいどう-じち-こうみんかん。住所:岩手県気仙郡住田町上有住字土倉298-752。 →▼岩手県 住田町 大洞自治公民館|地方創生ポータルサイト エルブズ https://elvez.jp/spot/iwate/sumita/10931/ 住田町HPに名称が見える。 →▼緊急避難場所〔2015年7月24日〕 | 住田町 https://www.town.sumita.iwate.jp/docs/2015030200205/ 地名「大洞」の読みは次のPDFを参照した。 →▼PDF「一般国道283号 仙人峠道路/滝観洞ICが開通して(平成20年3月16日開通)」 http://www.thr.mlit.go.jp/sanriku/05_area/kouka/roukando/roukandou_ic.pdf 配布元は次のWebページ。 →▼三陸国道事務所|整備効果事例:○一般国道283号 仙人峠道路 http://www.thr.mlit.go.jp/sanriku/05_area/kouka/index.html
*9:「昭和45年編集の地形図」。1970年編集の5万分の1地形図。地図上に「大洞鉱山」の文字と鉱山鉄道の軌道が記載されている。 →▼あかりんの岩手低山奇行|IMG_7251.jpg https://akarin-yama.at.webry.info/upload/detail/005/231/89/N000/000/007/134722765107313217381_IMG_7251.jpg.html