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住田町の「山」(その2):中央部地域

岩手県気仙郡住田町(すみたちょう)の「山」「山岳」について(その2)。
▽住田町にある山について、ブログ「あかりんの岩手低山奇行」さんの山行記録をキーにWeb上の情報をクリップする。

▽この(その2)エントリーには、住田町域の中央部に位置する以下の山々を収める; 石祐山(いしすけやま)樺山/川口樺山(かばやま)犬頭山(いぬがしらやま)森岳東峰山(あつまねやま/あずまねやま)

 →▼住田町の「山」(その0):もくじ - atimus's blog http://atimus.hatenablog.jp/entry/2016/09/13/000000

 →▼住田町の「山」(その1):西部〜南部地域 http://atimus.hatenablog.jp/entry/2016/09/13/010000
 →▼住田町の「山」(その3):北西部〜北部地域 http://atimus.hatenablog.jp/entry/2016/09/13/030000
 →▼住田町の「山」(その4):北東部〜東部地域 http://atimus.hatenablog.jp/entry/2016/09/13/040000

 

▼あかりんの岩手低山奇行|山一覧のページ:住田町 http://akarin-yama.at.webry.info/201307/article_25.html

 

 

石祐山(いしすけやま*1) 510m

▽石祐山(地理院地図 標高510m)。三角点はない*2。住田町の南西寄り。岩峰の山という。北麓に大股川が東流し、国道107号(盛街道)が並走する。南に叶倉山。南西に判官山。北西に柏里(かしわり)トンネルがある。山頂に祠、東麓には石祐神社(いしすけじんじゃ)*3がある。
▽なお、山頂510mピークのすぐ南東に、四等三角点「柏里(かしわり)」539.70mがある*4。また周辺の三角点としては、石祐山山頂(510mピーク)から南西に少し離れて三等三角点「霜天山(しもてんやま)」574.26m*5、北西に四等三角点「青部(あぶ)」361.22m*6がある。

▼〔航空写真:〕Googleマップ:航空写真|石祐山 510m(住田町) https://goo.gl/maps/7UMb5nR1awr
▼〔地形図:〕地理院地図|石祐山 510m(住田町) http://maps.gsi.go.jp/#15/39.151379/141.518047/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0

 

▼石祐山 510m 2012年9月17日|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201209/article_19.html
▽「地図には〔山の〕名前がありません。国道107号線柏里トンネル〔かしわりトンネル〕*7付近から見える岩峰の山です。道路わき〔下柏里地区〕の案内板に石祐山(いしすけやま)510mと書いてある*8のを以前に発見していました。/ 〔2012年〕5月5日に行ったときは林道が雨でえぐれて全く走行できずにあきらめました。/ 〔石祐山に向かうための〕樺山沢*9沿いの林道起点には鳥居があります。荒脛(あらばき)神社*10となっていますが、山頂〔510mピーク〕の祠との関連は不明です。また〔標柱があり〕「川口樺山三十三観音入口*11となっていますが、未確認です(検索すると出ます)。/ 林道は大きな石が転がり、走りにくい林道でした。行けるところまで行きましたが、鳥居のところから歩いたほうがよかったと思われます。/ 途中から林道を歩き、標高297m点付近で山の方向に分岐する破線の道を探しました。沢沿いに鞍部〔あんぶ〕まで達しし、そこから三角点ピーク近くに向かう道です。破線の道はすぐに見つかりました。〔※略〕/ 540.4mの三角点ピーク〔※四等三角点・柏里がある。2016年9月現在の地形図では539.7mピーク〕*12をめざして斜面直登も考えましたが、破線をたどってみることにしました。鞍部付近で作業道のような道に出合いました。南側の標高561mピーク*13付近の破線の道ともつながっているのではと推測されます。/〔※略〕/ 次に510mピークをめざしました。山頂には〔ほこら〕*14がありました。プレートなどはありませんでした。展望はあまりありませんが、北側の断崖上から下を走る国道〔107号〕を見下ろすのは、まさに「金冷やし」でした。/ 三角点ピークまでが51分、510m山頂までが68分でした。/ 案内板には〔石祐山の〕名前だけで、登山道などは書かれていませんし、山にも標識などは全くありませんでした。しかし、目立つ岩峰の山を奇人と熊と鹿だけのものにしておくのはもったいないなと思いました。/ 地図を見直してみると、すでに登った〔南方の〕叶倉山と峰続きともいえます。/ 高清水山〔たかすずやま〕、高森山、石祐山と比較的藪が少ない山が続きましたが、事前に藪の状況はわかりません。この付近の山なら〔石祐山のように〕藪が少ないのかといえば、叶倉山判官山は深い笹藪や灌木で歩きにくい林間がありました。やはり行ってみなければわからないのでしょう。/ 岩手県立住田高等学校の校歌には、「岩根険しくそそり立つ 樺山〔かばやま〕の森庭として」*15と歌われており、この付近の山をイメージしているものと思われます。/ 〔※略〕」

▼案じすぎた高森山〔2012/09/17〕|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201209/article_17.html
▽〔コメント欄:〕「引き続いて住田町の地図には名前のない石祐山の山頂です。国道107号線わきにあり異彩を放つ岩峰の山です。いま絶壁の下を走る車が見えますが、標高は510メートルながら差は380メートル。まさに金冷やしです。/ 〔投稿者:〕あかりんだよ 2012/09/17 14:45」

 

▽参考:(石祐山)
▼大平山 691.5m 2012年5月5日|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201205/article_12.html
▽「〔※略〕 なお、この山〔大平山〕に先だっての偵察の結果です。犬頭山〔いぬがしらやま〕に向かう犬頭林道は世田米の入口で土砂で通行できない状態でした。合地(かっち)沢沿い叶倉山への林道は土砂崩れ、石祐(いしすけ)山(地図に名前がない岩峰:540.4m〔※510m〕)への〔樺山沢沿いの〕林道は大雨でのえぐれのため通行不能でした。」

森岳 545.1m 2012年9月29日|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201209/article_26.html#comment
▽〔※コメント欄:〕「〔※略〕住田町には地図に名前のない山が結構あります。/ 石祐山〔いしすけやま〕付近にあり、住田高校の校歌に歌われている「樺山〔かばやま〕」は現時点ではどの山なのか不明です。先日登った石祐山隣の三角点ピーク〔539.7m〕ならばラッキーなのですが、〔その〕三角点名は「柏里〔かしわり〕」です。/〔※略〕 〔投稿者:〕あかりんだよ 2012/09/29 18:09」

 

 

樺山/川口樺山(かばやま*16) 456m?

▽樺山(川口樺山)。不詳。世田米川口地区にあると考えられ、おそらく岩手県立住田高等学校*17の南西、大股川の南岸に位置し、南麓を樺山沢が東流する456mピークを持つ山(三角点なし)*18を指す。「川口 樺山三十三観音」がある山。また荒脛神社も樺山にある可能性が高い。(なお、同名の別の樺山(808.3m)*19が、住田町の北西域、荷沢峠の東にもある。)
▽「樺山」と推定される前述456m山の周辺には次の山々がある。(A)456m山の西隣、同じく樺沢沿いで539.7mピークを持つ山(三角点「柏里(かしわり)」がある)*20、(B)456m山の南東、住田高校の南、樺山沢と合地沢の間にある462.6mピークを持つ山(三角点「栂森(とがもり)」がある)*21、(C)456m山の北方、住田高校の北西すぐに隣接する373.5mピークを持つ山(三角点「天風(あまかぜ)」がある)*22。このいずれかが「樺山」である可能性もある。ただし、(B)は世田米川口ではなく世田米大渡地区にあるし、(C)は点の記に「俗称 関の下山」との記載がある。

▼〔航空写真:〕Googleマップ:航空写真|県立住田高等学校(住田町) https://goo.gl/maps/iDEuwNv7uqN2
▼〔航空写真:〕Googleマップ:航空写真|樺山(?)(住田町) https://goo.gl/maps/faStcJmQj422
▼〔地形図:〕地理院地図|樺山(?) 456m(三角点なし)(住田町世田米川口) http://maps.gsi.go.jp/#15/39.147452/141.528647/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0

 

▽参考:(樺山)
森岳 545.1m 2012年9月29日|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201209/article_26.html#comment
▽〔※コメント欄:〕「住田町の地図に名前がある〔未登頂の〕山はあと2つになりましたが、住田町には地図に名前のない山が結構あります。/ 石祐山〔いしすけやま〕付近にあり、住田高校校歌に歌われている「樺山〔かばやま〕」は現時点ではどの山なのか不明です。先日登った石祐山の隣の三角点ピークならばラッキーなのですが、〔その〕三角点名は「柏里〔かしわり〕」です。〔点名「樺山」ではない。〕/ ほかにも二等三角点があるのに地図には名前のない山もあります。そこまで寄り道すると泥沼にはまりますが、気になりだすと止まりません。/ 〔投稿者:〕あかりんだよ 2012/09/29 18:09」

▼石祐山 510m 2012年9月17日|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201209/article_19.html
▽「〔※略〕/ 高清水山、高森山、石祐山と比較的藪が少ない山が続きましたが、事前に藪の状況はわかりません。この〔石祐山〕付近の山なら藪が少ないのかといえば、叶倉山や判官山は深い笹藪や灌木で歩きにくい林間がありました。やはり行ってみなければわからないのでしょう。/ 岩手県立住田高等学校校歌には、「岩根険しくそそり立つ 樺山の森庭として」と歌われており、この付近の山をイメージしているものと思われます。/ 〔※略〕」

▼校歌・故郷の山 岩手・宮城:気仙郡|校歌・ 故郷の山|丹波霧の里 http://kirinosato.fc2web.com/kouka-iwate.htm
▽「「■〔岩手県気仙郡〔住田町〕/ ・住田高等学校/ I  ♪xxx岩根険しく そそり立つ 樺山の森 庭としてxxx…♪/ 〔※登場する山名:〕樺山」
▽「・大股小学校(閉校?)*23/ I  ♪なべくら山の いや高く 朝な夕なに 仰ぎつゝxxx…♪/ II  ♪萌ゆる緑の 種山に 群れて遊べる 若駒のxxx…♪/ 〔※登場する山名:〕鍋倉山!?*24 種山/ ・五葉小学校(閉校?)*25/ I  ♪五葉の山を 仰ぎ見て 大空翔る 雲を呼ぶxxx…♪/ 〔※登場する山名:〕五葉山?」

岩手県立住田高等学校|樂水樂山 http://www2.iwate-ed.jp/smi-h/rakusuirakuzan/rakusui.html
▽「「樂水樂山」は、住田高等学校の〔住田〕町民向け情報紙です。本校の教育活動や生徒の活動の様子を広く町民の皆様にお知らせするために発行したものです。/ 「樂水樂山」の名称は、発行にあったて〔あたって〕生徒と教職員に募集したところ、気仙川、清流、樺山〔かばやま〕、五葉山などの山や川に関係するものと、爽やか、活気、生き生きなど生徒や学校の様子を表すものとが多くありました。そこで、この両者を包含し、教育活動にも関係するものとして、孔子の『論語』の一節から造語を作り、「樂水樂山」としました。/ 〔※略〕」

▼番外 樺山三十三観音 - 祈りの道 気仙三十三観音再興プロジェクト http://kesenkannon.jimdo.com/%E5%90%84%E9%9C%8A%E5%A0%B4%E7%B4%B9%E4%BB%8B/%E7%95%AA%E5%A4%96-%E6%A8%BA%E5%B1%B1%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%89%E8%A6%B3%E9%9F%B3/
 →▼各霊場紹介(『気仙三十三観音 郷土けせんを記録にとどめる写真集』による):気仙三十三観音23-33.pdf - 祈りの道 気仙三十三観音再興プロジェクト http://kesenkannon.jimdo.com/%E5%90%84%E9%9C%8A%E5%A0%B4%E7%B4%B9%E4%BB%8B/
▽「p.81/ ■番外 樺山三十三観音/住田町世田米川口」 「樺山(かばやま)三十三観音」は、西国札所の尊像を、自然石に線画で彫り込んだもので、当初は、この地の岩山の各所へ配置して巡礼する計画であったらしいのですが、その後、風水害で破損したり、また、巡礼は実際に危険でもあってので〔あったので〕、地元の成年有志によって洞穴のある一角に集められたといいます。/ 施主となられた方は、遠野市附馬牛(つきもうし)出身の千葉虎之助〔※寅之助とも〕という人。昭和の初めこの地に滞在して、毎日お風呂を沸かしたりしていましたが、やがて川石を運び上げ、連日鏨(たがね)の音を響かせていたと申します。完成後は、何時とはなく姿を消したとか。」 ※写真5葉、略地図あり。略地図では住田高校の南、大股川(国道107号)対岸の鳥居の先に「樺山三十三観音」を図示する(※ただし地図上では「梶山観音」と誤植)。

▼気仙・辺辺の四季57 樺山三十三観音 http://www.saitoseika.co.jp/adariHP/adariho57/adarihodori57.htm
▽「住田町世田米川口ちょうど大股川と有住川〔気仙川〕の合流点県立住田高校の向こう側〔南側〕に「樺山三十三観音」と言う看板が立っている*26。/ 西国三十三番札所として大判小判のような形の自然石を河原から集め一体づつ札所の本尊を石彫にして建立されている。/ 昭和のはじめ頃、遠野の附馬牛(つきもうし)という所から千葉寅之助〔※虎之助とも〕という祈祷師がやって来て樺山の入り口に小屋を建てこの仏像を刻んだ。/ このチバ寅さんは当時、霊泉といわれていた涌き水を利用して風呂を沸かして悠々自適の隠居生活を送る。/ 村人は、野菜や米などを持参してはこの風呂にやってきた。/ そのうち「樺山温泉」と名付けられ利用する人もしだいに増えてきた。/ 河原の石を背に運びはじめ、沢いっぱい積み重ねては石仏を刻みはじめたのは今から七十年前の昭和七年〔1932年〕。/ 来る日も来る日も一心不乱にタガネとハンマーの音だけが樺山沢に響きわたった。/ 三十三観音が完成したころチバ寅さんはフイに姿を消してしまう。/ その後、洪水や風水害で石碑が沢筋に流れてしまった。/ このため、川口地区の青年たちが散在していた石像を1ヶ所に集めその中心に二メートルほどの聖観音立像*27を建立し地域の守護仏とした。/ 聖域を護る人がいなくなったからか苔むした石仏群は今、緑陰の中でひっそりと眠っている。」

▼もさばSUMITA好いネット管理人の日記: 第2弾!川口探検隊!(川口発見ウォーキング)〔2006年08月28日〕 http://sumitayoi.seesaa.net/article/22922624.html
▽「地域を再発見する「せたまい発見ウォーキング」に、川口公民館〔川口自治公民館〕が〔2006年〕6月に引き続き第2回目を実施します。/見所が多く、1回では廻りかねたことから、前回終了後すぐに構想を練っていた企画だそうです。/ ・主催:川口公民館/ ・協賛:せたまいまちづくり委員会/ ・日時:平成18年〔2006年〕9月3日(日曜日) 午前8時30分〜12時頃/ ・集合:うおまさドライブイン〔寿美多うおまさ〕/ ■タイムスケジュール/ ・出発 うおまさドライブイン*28三十三観音〔川口樺山三十三観音〕→アラハバキ神社〔荒脛神社〕→熊野神社(住田高校わき)*29→気仙川沿い散策→おでんのう様*30熊野神社(竹の原)→横山不動尊*31→川口地区墓地→上代からの眺望→川口公民館*32/ ・諸連絡 小雨でも実施します。(雨具などは各自持参お願いします。)/天候によっては順路を変更することがあります。/歩きやすい服装でご参加下さい。また、怪我などの保険対応については各自でお願いします。/ 参加費不要。おやつ・飲み物等は各自で準備お願いします。」

▼第2回川口まちづくり探検隊〜その1〔2006年09月05日〕|もさばSUMITA好いネット管理人の日記 http://sumitayoi.seesaa.net/article/23285739.html
▽「〔2006年〕9月3日の日曜日、第2回川口まちづくりウォーキングに参加してきました。参加者人数はざっと見て15名ぐらいでしょうか?/ 前回は合地沢〔かっちさわ〕がメインでしたが、今回は川口~竹の原付近がメインフィールドとなりました。うおまさドライブイン〔寿美多うおまさ〕を出発して大渡橋をわたっている途中で瑠璃色の弾丸が川の上を走りました。カワセミでした。〔※略〕」

▼第2回川口まちづくり探検隊〜その2〔2006年09月07日〕|もさばSUMITA好いネット管理人の日記 http://sumitayoi.seesaa.net/article/23397738.html
▽「うおまさドライブイン〔寿美多うおまさ〕を出発し、大渡橋*33を渡って川口まちづくり探検隊一行がまず始めに向かった先は「三十三観音〔樺山三十三観音〕」/ 前々から川口の奥にあるってことは知っていたのですが、この付近の山は何か独特の雰囲気があって近寄りがたく、熊もよく出没するという噂のポイントでした。/ んで、少し奥に入ったところにその昔風呂を湧かしてはいっていたという小屋の廃屋があり、そのちょっと奥に上の画像〔写真〕の観音様が祀られていました。/ この観音様は沢を挟んで崖の上に祀ってあって…いったいどうやってあのような場所に観音様を祀ったのだろうかと不思議に思っていましたが、なんでも昔は橋が架かっていたそうですが、事情があって取り外されたのだそうです。/ その事情は地元ならではの裏話のようですのでココでは書きませんね(笑)/ んで、さらにちょこっと奥に足を運ぶと階段が出現。階段を登ると現れたのが石に刻まれた三十三観音!/ その昔はこの沢沿いにバラバラに祀ってあったのですが、ある時に川口の青年団の皆さんで集めて一カ所にまとめたんだそうです。/ はたしてこの三十三観音はいったい誰が掘った〔彫った〕のか?その説明はされたのですが、ワタクシ大和魂は寝不足でうろ覚えのため…後で調べて詳しく書きます(^_^;)」
▽「三十三観音を参拝し、次に一行が向かった先は「アラハバキ神社〔荒脛神社〕」*34/ アラハバキといえば『東日流外三郡史』*35で良くも悪くも有名になりましたが、実際の所はよくわからないようですね。とりあえずこちらの〔世田米川口の〕アラハバキ様は飢饉や疫病が流行したときに拝まれていたそうで…これもとりあえず後で調べます(^。^;)/ アラハバキ神社への道のりは険しく、けっこう急な山道を登りました。山道は少し崩れている所などがあって少々危険でしたが、皆さん無事に神社に辿り着きました。/ 〔※写真:〕山の上にあるアラハバキ神社〔荒脛神社〕*36…なんでもアラハバキ様は神社として正々堂々祀られているのは非常に珍しいんだそうです。/ 征伐された東北の豪族や民族の総称をアラハバキといって、んでその荒ぶる御霊を祀ったのがアラハバキ様のようですが、〔一般的には〕神社としての信仰ではなく石碑や祠としてひっそりと信仰されていたようです。/ ん〜ここのアラハバキ様はひっそりと言うより平然と信仰されていたようですね。」
▽「■『荒脛神社*37について』/ どうやら〔川口の〕アラハバキ神社がなぜ「アラハバキ」なのかは、あまり明確ではないようです。/ 作業するとい〔とき〕などに臑(すね)につけるものを「はばき」というみたいですが、それがどのように関係があるのか今のところ不明だそうです。/ 地域では「旅の神」あるいは「戦いの神」として信仰されてきたそうです。/ この神社が鎮座する川口地域〔住田町世田米〕で、その昔、伝染病が流行した時、各家で病魔退散を祈り、21日間参詣したところたちまち快癒したそうです。/ 御利益ある霊験豊かな神社のようです。」 ※写真多数。

▼のり塩さんのツイート: "住田町の樺山三十三観音入口から登った所に荒脛(あらばき)神社ってのがあるらしい。時間無くて行けなかった。 http://t.co/FZ2qiEIqXQ"〔19:47 - 2015年5月19日〕 https://twitter.com/jeter2013/status/600613678677757953

義経夢の会|月例・義経北紀行伝説の史跡地探訪の旅 第2弾 http://yoshitune.webcrow.jp/
▽「■<月例・義経北紀行伝説の史跡地探訪の旅 第2弾>/ 日時:〔2016年〕8月17日(水)/ 企画・プロデュース 義経夢の会ツアー企画委員会」
▽「〔※略〕/ 11:40 荒覇吐神社〔※荒脛神社とは別の神社を指すか?〕参詣/ ※住田町世田米台地沢〔※合地沢?〕*38にある。義経主従一行は、海尊配下の山伏の案内で、この神社に参拝。旅の無事と武運長久、無病息災、蝦夷地安全渡海を祈願したと伝えられる。/ ※近くに「野尻金山跡」*39がある。神社は住田高校から1.5キロ東にある。*40/〔※略〕」

▼南三陸滝見隊|樺山沢の滝〔2012/06/14〕 http://takimitai.blog.fc2.com/blog-entry-212.html

▼岩手の洞窟|日本洞窟リスト|NTC 洞窟探検隊 http://www2s.biglobe.ne.jp/~kkoyama/list/list03.html
▽「No.28 樺山鍾乳洞川口洞)/気仙郡住田町/ No.29 樺山沢地獄穴気仙郡住田町」

▼地名コレクション|洞 (洞窟) http://uub.jp/nam/dou.html
▽「樺山鍾乳洞/〔読み:〕かばやま(??)しょうにゅうどう/〔所在地:〕気仙郡住田町/〔参照:〕川口洞とも、一例のみ」

 

 

犬頭山(いぬがしらやま*41) 552.9m

▽犬頭山(地理院地図 標高552.9m)。山頂に三等三角点「犬頭山(いぬかしらやま)」552.89mがある*42。住田町の南域。世田米市街地の南西に位置する。南に大平山(おおだいらやま)。西に叶倉山。北麓から東麓を気仙川が流れ、国道107号(盛街道)と国道340号(高田街道)が走る。西麓には合地沢(かっちさわ)が北流する。東斜面に野尻金山跡*43、南東斜面に田ノ上鉱山跡(世田米鉱山跡)*44がある。(なお、釜石市にも同字の別の犬頭山(853m)*45がある。)

▼〔地図:〕犬頭山 - 気仙郡住田町世田米/山:マピオン電話帳 http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07003/03441/L0572844/
▼〔航空写真:〕Googleマップ:航空写真|犬頭山(住田町) https://goo.gl/maps/34nEVNLqjGm
▼〔地形図:〕地理院地図|犬頭山 552.9m(住田町) http://maps.gsi.go.jp/#15/39.129478/141.562808/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0

 

▼犬頭山 553.3m 2012年5月13日|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201205/article_27.html
▽「犬頭山は何と読むのかわかりません*46。生糸〔きいと〕に関係ある犬頭(けんとう)神社というのが愛知県にあるようです。それとも「いぬがしら」と読むのでしょうか。/〔※略〕/ 同じ名前の山は釜石市の仙磐山近くにもあります。」
▽「〔犬頭山は〕住田町の中心市街地世田米(せたまい)の南西にもっこりと構えた山です。町民のハイキングコースとして整備されているのではないかと思っていました。/ 林道には国道107、340、397号線の共通区間から直接入りますが、〔2012年〕5月5日には林道入口で土砂崩れが起きていました。〔※略〕/ 地図の標高321m点付近からの破線が山頂までつながっています。これをハイキングコースと踏んでいましたが違いました。昭和60年ころ〔1985年頃〕のオーナー林制度*47のための作業道のようです。近くに案内板がありました。車で入るとまもなく通行不能になりました。/ いったん退散し、再び取りつき場所を探して林道を南下すると、321m点から山頂まで続く尾根に東側から乗っかると思われる道があるのを発見しました。/〔※略〕/ 山頂までは25分、三角点〔三等三角点・犬頭山〕、青白プレート、文字が消えた木のプレート(よく見かけるもの)がありました。樹間に世田米の市街地が見えました。先日登った〔南側の〕大平山〔おおだいらやま〕方面はよく見えません。北側には森岳大船渡鉱山〔世田米〕の山*48〔※山名未詳〕が見えました。/ 〔※略〕」

 

▽参考:(犬頭山)
▼大平山 691.5m 2012年5月5日|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201205/article_12.html
▽「〔※略〕 なお、この山〔大平山〕に先だっての偵察の結果です。犬頭山に向かう犬頭林道*49は世田米の入口で土砂で通行できない状態でした。〔※略〕」

▼世田米から陸前高田〔2011/03/18〕|追憶の南部北上|mkawa の地質ブログ(川村信人) http://www.sci.hokudai.ac.jp/grp/mkawa/mkawa_web/kawamura/geol_blog/kitakami/890089a9963a85048991bd7df2bd91d479b5ba1a.html
▽「震災〔東日本大震災、2011年3月11日〕から1週間,時が経つほどに新たな状況が次々に出現しており,復旧とか復興とかいう言葉の影はまだ見えてきていません./ 昔の南部北上調査の際の写真をいろいろ眺めていたら,こんなのが出てきました.おそらく住田町の中心部である世田米(せたまい)付近の尾根から南方を撮影したもの*50で,画面左下から〔南へ〕流れているのが気仙川.その河口付近に見えているのが陸前高田市の市街地の西側の一部です.海岸が黒く縁取られているのは,有名な高田の松原でしょう./ いつ撮影したものかは分かりませんが,D論〔博士論文〕*51でこのへんを踏査していたのは1980年前後なので,その頃のものと思われます.この写真を見ていたら,またもや心が裂けそうになりました./ その日の調査が早く終わったときなど,原付バイクで陸前高田まで行き,喫茶店でコーヒーを飲んだことなどが思い出されます.たしか『コーナー』という喫茶店だったと思いますが,おそらく津波で...orz/ 撮影場所が正確に分からないので,カシミール3D*52を使って探してみたら,どうやら前期石炭紀の大型珊瑚化石の産出で有名な犬頭(いぬがしら)山*53の山頂付近からであることが分かりました*54./ 〔犬頭山は〕世田米の西にそびえる山です.南北に連なる尾根の一部を形成していて,ちょうどそのへんが南北方向の背斜軸*55になっています.左奥に見える高い山は,有名な氷上(ひかみ)山〔陸前高田市*56./ 住田町内は,Twitter とかの各種情報によると,特に大きな斜面災害も起きておらず,無事なようです*57.救援に駆けつけた米軍救助隊のベースキャンプ地として使われているという情報もありました.」

▼大平層の浅海相〔2010/01/29〕|追憶の南部北上|mkawa の地質ブログ|川村信人の個人ページ http://www.sci.hokudai.ac.jp/grp/mkawa/mkawa_web/kawamura/geol_blog/kitakami/a92dae7aed4db05e192bbda683d721b8c50df75d.html
▽「〔※略〕 上の写真は,住田町犬頭林道の砕屑性石灰岩です.けっこう色が黒いので私はずっと鬼丸層の石灰岩だと思い込んでいたのですが,要するに大平層最上部なのかも.こういった層相の漸移関係はあちこちで見られていて,要するに両層は整合関係*58だということになります.この辺は,〔論文〕川村・川村・加藤(1985)*59で詳しく記載しましたが,犬頭林道だけでなく,平貝〔陸前高田市〕の沢入り口などでも確認できます./ 〔※略〕」

▼研究テーマ2.刺胞動物の系統と古生物科学|EZAKI Yoichi / 江﨑 洋一 Web Site - 大阪市立大学 大学院理学研究科・理学部 http://www.sci.osaka-cu.ac.jp/geos/geo6/ezaki/theme2.html

 

 

森岳(もりだけ?*60) 544.7m

森岳地理院地図 標高544.7m)。山頂に三等三角点「森嶽(もりごく)」544.69mがある*61。住田町の中央域。北東に東峰山が連なる。東側、東峰山との間に柿内沢が発して南流。西麓には国道340号および気仙川が南北に流れ、南西で国道107号、また西から来る大股川と合流して南麓を東に向かう。南東麓に世田米の中心市街地。南側に気仙川を挟んで犬頭山。また、山頂から東方約2.7kmに大船渡鉱山(世田米)がある。

▼〔地図:〕森岳 - 気仙郡住田町世田米/山:マピオン電話帳 http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07003/03441/L0577199/
▼〔航空写真:〕Googleマップ:航空写真|森岳(住田町) https://goo.gl/maps/9eThG4uuWEM2
▼〔地形図:〕地理院地図|森岳 544.7m(住田町) http://maps.gsi.go.jp/#15/39.161396/141.558988/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0

 

森岳 545.1m 2012年9月29日|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201209/article_26.html
▽「終盤戦に入り、全山制覇の見通しが立った住田町の森岳です。〔※略〕/ 森岳は、住田町の中心部世田米(せたまい)の北西部に構えるもっこりとした山で、〔南の〕犬頭山〔いぬがしらやま〕と対峙しています。両山とも地元の山として登山道があってもよさそうなのに、残念ながらどちらにもありません。/ 森岳の東側から南側の標高250〜300m付近に林道(高貝線)*62があります。この林道のどこかから稜線に取りつけばよいのですが、なかなかよい稜線が見つかりません。そして先日偵察したときに、林道の入口で土砂崩れが起きており、通行できませんでした。/〔※略〕 再び急斜面を登り、最高点である575mピーク〔三角点ピークのすぐ北側〕*63には6時41分に到着しました。この山のように、三角点ピークよりも高い場所がある場合は、そちらにもできる限り行くことにはしています。ここから南北に長い山頂稜線を南に進み、6時48分に三角点ピーク〔544.7m〕に到着しました。/ 下界には雲がかかっており、プチ雲海のようでしたが、樹間にわずかに見える程度で、写真にはうまく撮れません。/ 〔山頂〕プレートはときどき見かけるかすれた赤文字の手書きプレートが1枚ありました。隣の東峰山には青白プレートがあったので、ここにも当然あるだろうと思っていました。最近あまり青白プレートにお目にかからないのはなぜなのでしょう。/〔※略〕/ これで住田の〔未登頂の〕山はあと2つとなりました。/ 〔※略〕」

 

 

東峰山(あつまねやま/あずまねやま*64) 619.0m

▽東峰山(地理院地図 標高619.0m)。山頂に三等三角点「東峰(アヅマネ)」619.01mがある*65。住田町の中央域。世田米市街地の北に位置する。南西に森岳。北に気仙川および上有住を抜ける国道340号(世田米街道)を挟んで母衣山(ほろしやま)、同じく北西に鷹取山。山頂の西に大畑峠(世田米~下有住大畑、十文字)、東に朴峠(世田米~上有住和田野)。南東に大船渡鉱山(世田米)がある。

▼〔地図:〕東峰山 - 気仙郡住田町上有住/山:マピオン電話帳 http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07003/03441/L0581532/
▼〔航空写真:〕Googleマップ:航空写真|東峰山(住田町) https://goo.gl/maps/Db8eMWkHnZz
▼〔地形図:〕地理院地図|東峰山 619.0m(住田町) http://maps.gsi.go.jp/#15/39.175636/141.577055/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0

▼〔五万分一地形図「遠野」(明治期?):〕1:50,000 chikeizu | Stanford Digital Repository https://purl.stanford.edu/yj955pw5941

 

▼東峰山 619.8m 2012年6月3日|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201206/article_6.html
▽「地図には〔東峰山に〕「あつまね」とルビがついています*66。/ 住田町の山は、標高は低くてもどっしりと構えた山がいくつかあります。この東峰山もそうですし、近くの森岳、母衣下山〔ほろしやま〕もそうです。/ 先日〔山頂の〕西側の大畑峠*67を通り、ここからも登れそうな雰囲気でしたが、標高差260mの急登です。東側の朴峠*68からも林道が通じており、最接近部での標高差は190mですので、こちらのほうが楽そうです。/ 住田町〔上有住八日町の市街地はずれ〔上有住字和田野〕から朴峠への林道に入りました。この林道は大船渡鉱山*69の近くを通り、世田米につながっています。/〔※略〕/ 近くにアンテナがある山(無名)*70がありますが、大船渡鉱山の敷地内のようで、入ることはできないのかもしれません。東峰山の写真を撮るために林道を八日町に引き返しました。/ 〔※略〕」

▼GOGOのり塩さんのツイート〔2015年5月30日〕 https://twitter.com/jeter2013/status/604633508972130305
▽「安倍貞任源義家の合戦で義家が陣したという東峰山(住田町史より)。〔国道〕340号線を挟んで貞任巨人伝説の残る母衣下山〔ほろしやま〕の向いにある。 #源義家 http://t.co/WTSenPJdGM 」「22:00 - 2015年5月30日」 ※写真あり。

▼8月10日は道の日〔2006年08月10日〕|もさばSUMITA好いネット管理人の日記 http://sumitayoi.seesaa.net/article/22500415.html
▽「道の日ってなんじゃらほい?そう思いつつもメンバーのHさんに誘われたのでこの日に開催された道の日イベント「気仙歴史の道を歩いてみよう」に参加してきました。/どうやらこのイベント、今回〔2006年〕で13回目を迎えるそうで今年〔2006年〕は、住田町世田米から上有住を通る高田遠野街道の「大畑峠」〔東峰山山頂の西側を通る峠道〕にスポットライトをあてたようです。/〔※略〕/ 集合会場の社会体育館*71を出発して10分ほど歩くと浄福寺*72に到着。浄福寺には根本の直径が1m以上、高さが20mほどの銀杏の木がありますが、この銀杏の木は天文五年(一五三六)の開基の際に植えられたとされると浄福寺の住職さんが説明してくれました。その他に浄福寺の歴史などを説明してくれましたがスピーカーの調子が悪くってあまり聞こえませんでした。残念!/ 浄福寺をあとにした一行は柿内沢*73の道筋をぐんぐん進む!自分も中学生の頃まではよくこの道の奥の友達の家に自転車こいで上がってきていたので大変懐かしい思いに浸りつつ前へ前へと進みました。/ 20〜30分ぐらい歩いたところでアスファルトで舗装されていた道が砂利道にかわり民家もほとんどなくなりました。けっこうなハイペースで歩いていたので参加者から「そろそろ休憩したい」「ちょっと休ませて」という声がちらほらと聞こえてきました。/ しかし、峠〔大畑峠〕の頂上についてみると東峰地区の婦人部の方々がトマトやキュウリを氷水で冷やして待機していてくれました。〔※略〕」
▽「さて、休憩が終了すると今度は下り道やなだらかな登り道などなんとも昔の道らしい道が続きました。聞いた話だと、昔は町民運動会があったときにはこの道〔大畑峠〕を通って有住のほうから世田米の町まで歩いて遊びに来ていたそうで…昔といっても昭和30年〔1955年〕ぐらいの話なのでそれほど昔ではないようですが、それでも歴史を感じてしまいました。/ 峠の途中でこのような石碑?がありましたが、なんと書かれているのかいまいち読めませんでした。石碑を眺めているとナカヤのおばあちゃん(85歳)が「私が有住の学校に勤めていた頃は毎朝この道を通って学校に教えに行ったものだよ。」っと教えてくれました。何歳くらいのお話ですか?とお聞きしたら20代の頃〔1940〜50年頃?〕だそうです。よくこんな山道を一人で歩いたモノデスね。熊とか怖くなかったのかな? この石碑のある場所を過ぎたらいったん道らしきものが消えてしまいましたが、前をいく人のあとをついていったらまた道が出現しました。この後は沢を越えたり細い道を通ったりぬかるんだ坂道だったりで結構大変でしたが、それなりにわたくしの冒険心をくすぐる結果となり大変面白かったです。/ ぬかるんだ道や沢のある細い道を過ぎると広い平坦な道に出ました。おお!どうやら峠から出られた!ちょっと嬉しいぞ!/ 平坦のな道を進むこと5分、八幡様のお社*74が見えてきて今回はここで休憩! 休憩しているときに地元の方にこの八幡様の由来などを説明してもらいましたが、どうやらまたもやスピーカーの調子が悪くってあまりよく聞こえませんでした。/〔※略〕/ 八幡様を出発して10分ぐらい歩くと葉山の「めがね橋*75に到着しました。ここには義経伝説が残っていて弁慶の足跡とよばれる場所があるとかで…いったいどれが弁慶の足跡なのかはいまいちわかっていませんが、そのうちもう一度行って確認したいと思います。/ 葉山の「めがね橋」から続いてのチェックポイントである「蔵王洞窟*76にむかって歩いたのですが、参加者の中で気になる黄緑色のTシャツを着たお姉さん達を発見!/〔※略〕」
▽「あと最後になってから書いて申し訳ないのですが、このイベントにあわせてなのかどうかは知りませんが、〔大畑峠の〕道がしっかりと歩きやすいように草刈りされていたり、沢の上には渡りやすいように丸太組んで橋をつくってくれていました。/ たぶん、地元の方々がやってくれていたものだと思いますけど、とてもキレイで歩きやすい道にされていてとてもありがたく思いました。/ 地元の皆さんお疲れ様でした。」

 

▽参考:(東峰山)
▼東峰の残骸〔2010-04-29〕 : 不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!- http://dostoev.exblog.jp/13564554/
▽「早池峰早池峰山(はやちねさん)〕が古い時代に”東峰”と呼ばれたというが、その残骸として似たような山名の山はあるかと調べると、住田町東峰山(619m)というのがあり、紫波には東根山(928m)というのかあった。住田の東峰山は中腹に「東峰社*77があり、それより上に登ると滝があるのだが、調べてみると、この東峰山という名の由来は”東屋”から来ているそうで、早池峰との関連は無いようだ。東屋を【日本語源大辞典】で見てみると…。/〔※略〕/ まあ他にも書き記されてはいるが、住田町の東峰〔東峰山〕はとにかく、山の形が東屋に似ているから名付けられたというのが本当らしい。古くからの信仰の山であったようだが、山には山伏が入り滝などがあった場合、その証として”不動の滝”というものを残す。不動の滝あれば、山伏か築いたルートという事になるようだ。もしも住田町の東峰山早池峰と同じ姫神を祀っていたとして、沿岸や閉伊からも参拝者が来たというのなら、沿岸はともかく閉伊の人間はそのまま住田町の東峰ではなく、そのまま早池峰へと参拝に行けばいいのてあるから、住田町の東峰山は早池峰との信仰の繋がりは無いものと思う。また住田町の古碑に”早池峰”とある地は、どびや〔下有住〕*78五合畑上有住〕・高瀬〔下有住〕の三つしかなく、唯一東峰山の麓であり、東峰山を東に望む高瀬早池峰との結び付きの可能性を示すが、古碑の年号は明治40年〔1907年〕*79であり、比較的新しい為、古来から早池峰を信仰していたとは、ならないだろう。/ 〔※略〕」

▼ケセン歴史の道(街道)|黄金の国・ケセン http://www.nnet.ne.jp/~tatuyosi/kesen/ziten/rekisinomiti1.html#anchor884160
▽「5.高田遠野街道/ 「奥州道中」の日詰駅から分岐する脇街道が、大迫・宮守駅を経由して遠野郷(横田駅)に入る。ここから〔南へ〕赤羽板峠〔※「赤羽根峠」の誤記〕を越えて、上有住駅に達したあと下有住・世田米・横田を経て高田駅に至る街道を遠野街道と呼ぶ。別に高田街道ともいう。この街道は、南部領遠野と〔伊達領気仙と〕の交易交通上重要な道路であった。また、江戸時代は、世田米から今泉宿〔陸前高田市〕までは幕府巡検使*80の道筋でもあった。この道は二つのコースがあり、高田から世田米までは同じであるが、〔A〕世田米駅の小口洞〔こぐちほら〕*81から大平〔おおだいら〕ー朴峠〔東峰山〕を越え上有住和田野〔わだの〕*82に出る。さらに赤羽根*83を経て遠野に至るコース。もう一つの道は、〔B〕世田米本町から柿内沢を通って大畑峠〔東峰山〕を越え、下有住の十文字に出て上有住に至るコースである。嘉永5年〔1852年〕の〔伊達慶邦〕御出馬*84の際は、この道〔大畑峠越え〕を通っている。なお、この道をまっすぐ進めば奥新切〔おくにいぎり〕の蕨峠〔わらびとうげ。岩手県道238号遠野住田線〕に至り、遠野の「来内〔らいない〕」に出る最短のコースである。」

▼盛街道|高倉淳の宮城郷土史 http://takakura.fd531.com/sakarikaidou.htm
▽「〔※略〕/ 〔旧盛街道は〕川口〔住田町世田米〕からは小府金(赤畑)一里塚を通って世田米宿に入ります。世田米は内陸部の米穀類と沿岸部の塩や魚介類の中継地として栄えた町です。/ 〔※写真。左から〕《・藏〔蔵〕の並ぶ世田米/・沿岸と内陸部を結ぶ遠野への道/・小枝坂よりの遠望》/ 左の盛町〔※世田米の誤記〕の写真は『東北の海道」〔『東北の街道』無明舎出版*85からの転写ですが、気仙川に沿って並ぶ土蔵はかって中継地として物流の盛んであったことを思い浮かばせます。その物流のための遠野方面への道があります。この道は世田米から〔朴峠を越えて〕上有住和田野で盛街道に合流し、上有住宿から二度成木(フタナギ)の境目番所*86(地図の右上)を通って遠野に通じています。/ 上有住経由の盛街道をたどる前に、交通量の多かった田代峠〔白石峠?〕越えに寄り道をしてみましょう。/ 世田米宿の中ほどから東進して小枝坂峠*87に立ちますと世田米が遠望されます。これから中沢川*88をさかのぼり、田代トンネル*89の前から田代峠*90への残された旧道に入ります。よく残された旧道は長岩大船渡市日頃市町〕付近で国道〔107号〕と重なり、田代屋敷〔大船渡市日頃市町〕で上有住経由〔六郎峠、小松峠経由〕の盛街道に合流します。再び世田米宿に引き返します。」
▽「世田米宿の北端に、藤原秀衡が気仙五山金山の一つである野尻金山の掘子のために建てた阿弥陀堂がルーツと伝えられる光勝寺*91の前を西進すると浄福寺があります。この寺〔浄福寺〕には、元和4年(1618)伊達政宗、承応2年(1653)二代藩主忠宗、貞享3年(1686)四代綱村、元禄16年(1703)・享保8年(1723)五代吉村が止宿・休憩をした記録が残されています。/ 寺脇〔浄福寺わき〕の柿内沢をさかのぼり大畑〔下有住〕に至り盛街道に合流*92します。この延長の新切川をさかのぼり蕨峠〔岩手県道238号遠野住田線〕を越え、途中に新切(ニイギリ)に下有住番所*93があります。「遠見記〔奥州仙台領遠見記〕」には「番所あり、町場なし、往還海道より三十丁程」とあります。番所には奉行所支配下の役人2名が今泉〔陸前高田市〕から派遣され、90日交替で勤務していました。/ 〔※写真。左から〕 《・光勝寺/・浄福寺/・八幡神社/・上有住町並み》」
▽「〔大畑峠を越えて〕下有住大畑から東に進みますと、上有住八日町に宿場があり、町頭に八幡神社があります。「気仙風土記*94によると、家数28、町の長さ2町12間とあり、町名が示すように八の日に三歳市が立っていました。/ 上有住宿からは和田野で〔東峰山の朴峠を越えて〕世田米から来る遠野街道の交点にある追分け碑を見て東へ進みますと、縄文早期の小松洞窟跡があり、気仙川の北に小松集落が見下ろされます。洞窟の手前に小松峠*95への上り口があります。〔高森山を越える〕小松峠は住田町と大船渡市の境になっており、峠を下ると田代屋敷〔大船渡市日頃市町〕で、世田米から白石峠*96を越えてくる盛街道に出合います。/ 〔※写真。左から〕《・世田米からの遠野道の交点和田野/・小松洞窟/・小松峠への道》/ 〔※略〕」

▼住田伝承|安倍貞任伝承館 http://homepage1.nifty.com/tomori/museum/4/course404.htm
▽「■住田町下有住/ 〔安倍〕貞任が清原氏に追われ、下有住に逃げてきた。黒森平(横川下流)に漆と黄金を埋め、目印に水仙を残していった。/ ■下有住 上有住/ 貞任が開発した軍馬用放牧地のひとつ。葉山番所*97と呼ばれ、家臣に管理させた。天喜の頃〔源〕頼義軍の攻撃を受ける。貞任が出陣し天岳*98から攻め下り、頼義軍は東峰山に陣取った。頼義軍敗退。」「参考文献:気仙風土記

 

 

▽※この記事は、国土地理院Webサイトで公開されている測量成果及び測量記録を使用して作成しています。

 

 →▼住田町の「山」(その0):もくじ - atimus's blog http://atimus.hatenablog.jp/entry/2016/09/13/000000

 

*1:「石祐山(いしすけやま)」。山名読みは、現地案内板の表記に従う。また、東麓の石祐神社も「いしすけ-じんじゃ」と読ませる。

*2:「石祐山(地理院地図 510m)。三角点はない」。現地案内板写真の「標高510m」との情報に従い、地図上の三角点のない510mピークを石祐山と推定するが確証なし(後掲の地図リンクも同様)。なお、そのすぐ南東には四等三角点「柏里」539.70mがある(後掲註参照)。

*3:「石祐神社(いしすけじんじゃ)」。柏里石祐神社(かしわり-いしすけ-じんじゃ)とも。住田町ホームページの案内地図では、石祐山の東麓(山頂から北東へ続く尾根のふもと、蛇行する国道107号の西側)、下柏里地区にある。 →▼史跡・名勝マップ:石祐神社|住田町 http://www.town.sumita.iwate.jp/kanko/siseki_map.html 住田町の旧ホームページには次の紹介があった; 「■21. 石祐神社(いしすけじんじゃ)/ 伊達藩時代〔江戸時代〕の世田米村の村社。延暦年間〔782-806年〕、蝦夷の東征に来た坂上田村麻呂は「神の助けで蝦夷を討つことができた」と山上に明神を勧進し、弓矢を奉納したと伝わる。お社の中には珍しい鉄製のわらじが奉納されている。」 →▼(Internet Archive:2014年10月13日記録)史跡・名勝2:21. 石祐神社 - 観光 : 住田町 https://web.archive.org/web/20141013184217/http://www.town.sumita.iwate.jp/kanko/shiseki/siseki02.html#NO21 旧盛街道をたどる次のWebページも参照; 「〔住田町世田米〕小股から国道397号は、大股川に沿っていますが旧道〔盛街道〕は大股川を渡って山林の中に入り、1㎞にわたって旧観をとどめていま す。国道との交差点には「歴史の道盛街道」の標柱が立ち、「石祐(イシスケ)神社」の説明板に「元和四年(1618)、伊達政宗が気仙領検視のため柏里を通った時」とあります。政宗は元和4年に領内奥筋へ4月18日から5月22日まで巡見をしていますので、この時のことでしょう。/ 再び大股川を渡って国道〔397号〕に出ます。間もなく柏里一里塚に出合い、ここからは大股川の南の山裾を東進すると川口〔住田町世田米〕です。大股川はここで上有住から南流してくる坂本川と合流して気仙川となります。」 →▼盛街道|高倉淳の宮城郷土史 http://takakura.fd531.com/sakarikaidou.htm また、明治以前はこの石祐神社(柏里石祐神社)が、世田米村総鎮守(村社)であったと伝える。次のページ参看; 「伊達藩時代は柏里石祐神社をもって世田米村の総鎮守としていたが、明治八年(1875)三月十六日、当社〔天照御祖神社〕は世田米村の村社となった。」 →▼天照御祖神社|神社庁 http://www.jinjacho.jp/ganshinsei/sumitachou/ 根来功範『住田風土記』(住田町教育委員会, 1971年)pp.30-31に「石祐神社」立項あり。また、次のブログ記事コメント欄にも石祐神社への言及がある。 →▼五葉山火縄銃鉄砲隊鎧登山!!〔2011年09月23日〕|もさばSUMITA好いネット管理人の日記 http://sumitayoi.seesaa.net/article/227231659.html#comment なお、上述の住田町ホームページでは「珍しい鉄製のわらじ」が石祐神社に奉納されていると記すが、次のブログ記事では「鉄製の草履」が“荒脛神社”に奉納されているものとする。石祐神社と荒脛神社は別の社であり、何らかの混同が生じているものと思われる。 「〔掲載の写真〕画像は、遠野に隣接する住田町の荒脛神社内に奉納されている、藁製の草履と、鉄製の草履だ。いつしか本来の意味が伝わらず、アラハバキという音から連想された、脛から履物にまで零落してしまったのだろう。〔※略〕」 →▼鉄の蛇(日高見とアラハバキ)其の三〔2014-06-10〕|不思議空間「遠野」-「遠野物語」をwebせよ!- http://dostoev.exblog.jp/22260961/

*4:「四等三角点「柏里(かしわり)」539.70m」。点の記; 「基準点コード TR45841547101/冠字選点番号 昌4」「所在地:岩手県気仙郡住田町世田米字下柏里46番地」「順路:小府金部落より合地沢へ渡る橋あり、同橋より大渡部落を通り樺山沢を行く事を行く事 約3kmにて北方に高い山あり 本点は同山の東側の頂上にあり。」(昭和51年新設) →▼基準点成果等閲覧サービス|四等三角点「柏里」539.70m http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx?lat=39.14844877043828&lon=141.52136372986283&z=15&did=std

*5:「三等三角点「霜天山(しもてんやま)」574.26m」。点の記; 「基準点コード TR35841547001/冠字選点番号 基15」「所在地:岩手県気仙郡住田町世田米字小股」「順路:大渡〔おおわたり〕より樺山沢を上流に沿って登る道あり。同道を進み突き当たる所より、北へ行く小径あり、同小径を進むこと約3kmにて頂上に達す。本点は同山頂にあり。」(明治43年埋標、昭和51年柱石交換) →▼基準点成果等閲覧サービス|三等三角点「霜天山」574.26m http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx?lat=39.14455473888295&lon=141.50767373505283&z=15&did=std

*6:「四等三角点「青部(あぶ)」361.22m」。点の記; 「基準点コード TR45841548001/冠字選点番号 恭3」「所在地:岩手県気仙郡住田町大字世田米字小股279-3番地/ 俗称 青部」「順路:小股発電所南方の山級に本点あり。」(昭和46年選点) →▼基準点成果等閲覧サービス|四等三角点「青部」361.22m http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx?lat=39.156269548450055&lon=141.50583791198562&z=15&did=std なお、住田町には「青部金山」があったという。関連するかもしれない。

*7:「柏里トンネル」。かしわり-とんねる。国道107号のトンネル。全長330m、1969年(昭和44年)2月竣工。国道107号と国道397号の交点(世田米小股)の東にあるトンネル。 →▼柏里トンネル(気仙郡住田町/橋・トンネル)の地図・住所・電話番号|マピオン電話帳 http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07006/03441/L0674720/ →▼柏里トンネル|秋田県外のトンネル|秋田県のトンネル http://aoft291.pro.tok2.com/tunnel/kasiwari.html →▼柏里トンネル|穴蔵 http://anazo.skr.jp/tunnel/t.php/03/n/107/kashiwari/ →▼いわて県道ブログ|R107 柏里トンネル〔2004年11月09日〕 http://blog.livedoor.jp/kendolife/archives/9067531.html →▼株式会社栄組|柏里トンネルの補修を行います〔2009年10月26日〕 http://sakaegumi.blogspot.jp/2009/10/blog-post.html →▼国道397号part2(岩手県奥州市大船渡市)|国道を往く -国道(酷道)の実走レポート- http://route01.com/r397p2.html トンネルの通行動画がある(おそらく西から東に走行している)。 →▼〔動画:〕柏里トンネル 岩手県住田町〔2012/12/31公開〕 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=v2uwqm5r4wg

*8:「道路わきの案内板に石祐山(いしすけやま)510mと書いてある」。同ブログ記事に案内板の写真あり。案内板には「ふるさと案内図/平成15年8月/大股地区振興協議会」とある。下柏里地区、国道107号の南側に設置。 →▼〔画像:〕石祐山 510m 2012年9月17日|あかりんの岩手低山奇行 http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/005/231/89/N000/000/007/134788082047813209061_IMG_6816.jpg 当該の案内板はGoogleストリートビューでも確認できる。 →▼Googleマップストリートビュー|ふるさと案内図(住田町下柏里) https://goo.gl/maps/iGq71KjRoxx

*9:「樺山沢」。かばやま-さわ。大股川の南、叶倉沢の北を東流し、世田米川口で大股川に注ぐ。大股川は樺山沢を合わせてすぐ、北から来る気仙川に合流する。沢沿いに林道がある。 →▼樺山沢(気仙郡住田町/峠・渓谷・その他自然地名)の地図・住所・電話番号|マピオン電話帳 http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07008/03441/L0637074/

*10:「荒脛(あらばき)神社」。後掲「川口樺山」セクション参照。

*11:「川口樺山三十三観音入口」。樺山沢が大股川に合流する地点に標柱が立てられている。川口「樺山」セクション参照。

*12:「〔石祐山山頂の南東にある〕540.4mの三角点ピーク」。2016年9月現在の地理院地図では539.7mの四等三角点「柏里」に相当する。前掲註参照。地理院地図では次の地点。 →▼地理院地図|539.7mピーク(住田町) http://maps.gsi.go.jp/#16/39.148326/141.521276/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0 なお、同ブログの次の記事のコメント欄にも、三角点名「柏里」とある(後掲)。 →▼森岳 545.1m 2012年9月29日:コメント欄|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201209/article_26.html#comment

*13:「〔石祐山〕南側の標高561mピーク」。三角点のないピーク。 →▼地理院地図|561m(三角点なし)(住田町) http://maps.gsi.go.jp/#16/39.146529/141.513509/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0

*14:「山頂には祠」。石祐山の山頂510mピークに祠がある。同ブログに祠の写真を載せる。東麓の石祐神社に関連する祠と思われる。『住田風土記』(根来功範, 1971)p.30に「高い山上石室の奥の院があります。麓の〔石祐神社〕社殿は幾度も建て替えられており、徳川初期に蛭子館金山奉行であった紺野内膳が発起人となり、青部金山を採掘していた金堀人夫〔金掘人夫〕等の寄附によって建立されたのでした。明治になって村社〔世田米村社〕は町屋敷〔天照御祖神社〕に移りましたが藩政時代の二百五十年間もこのお宮〔石祐神社〕は村神社として続けられたのです。この神社はまた、野猿の多い処としてその名が知られていました。」とある。

*15:「岩根険しくそそり立つ 樺山の森庭として」。県立住田高校の校歌の一節。川口「樺山」セクションに後掲する次のWebページに一部が引用されている。 →▼校歌・故郷の山 岩手・宮城:気仙郡丹波霧の里 http://kirinosato.fc2web.com/kouka-iwate.htm

*16:「樺山(かばやま)」。山名読みは、Webサイト「祈りの道 気仙三十三観音再興プロジェクト」で公開されている書籍『気仙三十三観音 :郷土けせんを記録にとどめる写真集 Part 1』共和印刷企画センター(2004年)に従う(案内者:山田原三、撮影・解説文:こんの・のりお)。 →▼各霊場紹介(『気仙三十三観音 郷土けせんを記録にとどめる写真集』による)|祈りの道 気仙三十三観音再興プロジェクト http://kesenkannon.jimdo.com/%E5%90%84%E9%9C%8A%E5%A0%B4%E7%B4%B9%E4%BB%8B/

*17:岩手県立住田高等学校」。通称、住高(すみこう)。住所:岩手県気仙郡住田町世田米川口12-1。 →▼岩手県立住田高校(気仙郡住田町/高校)の地図・住所・電話番号|マピオン電話帳 http://www.mapion.co.jp/phonebook/M11004/03441/ZL0001499559/ →▼岩手県立住田高等学校 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%89%8B%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E4%BD%8F%E7%94%B0%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1 公式ホームページ。 →▼岩手県立住田高等学校 http://www2.iwate-ed.jp/smi-h/

*18:「南麓を樺山沢が東流する456mピークを持つ山(三角点なし)」。地図で示せば次の山。 →▼地理院地図|樺山(?)456m(住田町世田米川口) http://maps.gsi.go.jp/#15/39.147452/141.528647/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0

*19:「同名の別の樺山(808.3m)」。北方の樺山(三角点名「樺阪峠」)は、住田町の北西域、荷沢峠のすぐ東、加労山の北、貞任山の南西に位置する。遠野市との境界。次の記事を参照。 →▼住田町の「山」(その3):樺山 - atimus's blog http://atimus.hatenablog.jp/entry/2016/09/13/030000#kabayama2

*20:「(A)…同じく樺沢沿いで539.7mピークを持つ山(三角点「柏里(かしわり)」がある)」。ピークに四等三角点「柏里(かしわり)」539.70mがあり、当該三角点のすぐ北西に510mピーク(石祐山)を持つ。前掲「石祐山」セクションの註を参照。

*21:「(B)…樺山沢と合地沢の間にある462.6mピークを持つ山(三角点「栂森(とがもり)」がある)」。犬頭山の北西、山頂に三等三角点「栂森」462.56mがある山。点の記; 「基準点コード TR35841547301/冠字選点番号 基16」「所在地:岩手県気仙郡住田町世田米字大渡86番地」「順路:小府金部落より渡橋し大渡部落北端から直に急峻な山径を南西へ約1.0km登りつめた頂上突端に本点がある。」(明治43年埋標、昭和41年測量使用) →▼基準点成果等閲覧サービス|三等三角点「栂森」462.56m http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx?lat=39.14241646745029&lon=141.53922461118836&z=15&did=std

*22:「(C)…住田高校の北西すぐに隣接する373.5mピークを持つ山(三角点「天風(あまかぜ)」がある)」。東に気仙川、南に大股川が流れる、山頂に四等三角点「天風」373.54mがあり、点の記に「俗称 関の下山」とある。点の記; 「基準点コード TR45841548201/冠字選点番号 昌2」「所在地:岩手県気仙郡住田町世田米字天風1223番地/(俗称 関の下山)」「順路:天風部落より西方へ行く道あり、同道を登ると峠にでる 峠において南方に小高い山あり。同山を登る事約450mにて頂上に達す。同頂上に本点あり。」(昭和51年新設) →▼基準点成果等閲覧サービス|三等三角点「天風」373.54m http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx?lat=39.15783164988928&lon=141.5322317942651&z=15&did=std この山(関の下山?)には、熊野神社(および塩竃神社)があると考えられる。次のブログ記事(後掲)に「熊野神社(住田高校わき)」とあるもの。 →▼第2弾!川口探検隊!(川口発見ウォーキング)〔2006年08月28日〕|もさばSUMITA好いネット管理人の日記 http://sumitayoi.seesaa.net/article/22922624.html この熊野神社については同ブログの次の記事に詳しい。 →▼第2回川口まちづくり探検隊〜その3〔2006年09月08日〕|もさばSUMITA好いネット管理人の日記 http://sumitayoi.seesaa.net/article/23397842.html

*23:「大股小学校(閉校?)」。住田町立大股小学校は2002年閉校、町立世田米小学校に統合。 →▼岩手県小学校の廃校一覧:気仙郡住田町 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%89%8B%E7%9C%8C%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%AE%E5%BB%83%E6%A0%A1%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E6.B0.97.E4.BB.99.E9.83.A1 大股小学校の旧校舎は閉校後、「大股地区公民館」として利用されている。大股地区公民館は東日本大震災後に被災地ボランティアの無料宿泊施設「災害ボランティアセンター 住田町基地」として提供された。当時の写真を集めるプロジェクトがFacebook上で展開しており、多くの写真を収めている。 →▼(Facebook)住田町基地の想い出を集める会 https://www.facebook.com/groups/287784131336720/

*24:「鍋倉山!?」。旧大股小学校の校歌に見える「鍋倉山」を指す。いずれの山を指すか、未詳。次のブログに校歌歌詞の写真がある。書き起こせば以下のとおり; 「一. 鍋倉山のいや高く 朝な夕なに仰ぎつつ 強く正しく健やかに 鍛えよ われら 大股小学校/ 二. 萌ゆる緑の種山に 群れて遊べる若駒の 清く優しく睦ましく 伸びゆくわれら 大股小学校/ 三. 清き流れの海原へ 雄々しき門出 君と僕 広く明るく逞しく 栄えよわれら 大股小学校」(※濁点表記の有無、また作詞者・作曲者は判読できず。) →▼大股三年祭〔2006年10月02日〕|もさばSUMITA好いネット管理人の日記 http://sumitayoi.seesaa.net/article/24763946.html

*25:「五葉小学校(閉校?)」。住田町立五葉小学校は2002年閉校、町立上有住小学校へ統合(2008年、上有住小学校は有住小学校に統合された)。 →▼岩手県小学校の廃校一覧:気仙郡住田町 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%89%8B%E7%9C%8C%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%AE%E5%BB%83%E6%A0%A1%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E6.B0.97.E4.BB.99.E9.83.A1 五葉小学校は閉校後、五葉地区公民館として利用されている。五葉地区公民館は東日本大震災後、学生ボランティア「いわてGINGA-NET」等の拠点として提供された。『東日本大震災 住田町の後方支援』(はる書房, 2017年)p.214に次の記述; 「上有住の五葉地区公民館は学生ボランティアらに活動拠点として提供した。岩手県立大学桃山学院大学愛知学院大学愛知県立大学、米国・オハイオ大学、特定非営利活動法人岩手GINGA-NETプロジェクトの学生ボランティアらが寝泊まりしながら、被災地に出向いて支援活動を行った。自治労本部も同公民館を拠点として活動した。」

*26:「「樺山三十三観音」と言う看板が立っている」。大股川に樺山沢が合流する地点、大股川の南岸、樺山沢の北岸に「川口 樺山三十三観音入口」の案内標柱がある。Google ストリートビューで確認できる。→▼Googleマップストリートビュー|川口樺山三十三観音入口標柱(住田町) https://goo.gl/maps/URdmFFmE5Po

*27:「二メートルほどの聖観音立像」。樺山の観音立像。崖の上に立つという。後掲の次のブログ記事に写真がある。 →▼第2回川口まちづくり探検隊〜その2〔2006年09月07日〕|もさばSUMITA好いネット管理人の日記 http://sumitayoi.seesaa.net/article/23397738.html

*28:「うおまさドライブイン」。住田町の飲食店「寿美多うおまさ」を指す。住所:気仙郡住田町世田米字向川口90-5。西の大股地区から来る国道107号(盛街道)と、北の下有住地区から来る国道340号(世田米街道)の交点、住田高校の東にある。 「当店〔寿美多うおまさ〕は県立住田高等学校すぐそばに位置し、107号線と種山方面の双方からから住田町入りされると、当店前の交差点にぶつかります。北へ向かうと滝観洞、南へ向かうと世田米、陸前高田大船渡方面という、住田のヘソに位置しているため、住田の観光ではご休憩場所にご利用いただいております。」 →▼住田町でのお食事、ご休憩、ご宴会なら、寿美多 うおまさで。 http://www.shokokai.or.jp/100/03/0344110005/index.htm →▼寿美多うおまさ|定食・食堂 [食べログ] https://tabelog.com/iwate/A0304/A030403/3007220/ 地図上では次の地点。 →▼Googleマップ|寿美多うおまさ(住田町) https://goo.gl/maps/VVr3MhcxoaC2

*29:熊野神社(住田高校わき)」。住田高校の北西すぐ、山頂に四等三角点「天風」373.54mを持つ山(点の記に「俗称 関の下山」)に鎮座する神社と考えられる。前掲註も参照。なお、鳥居をくぐるとすぐ「塩竃神社」社殿があるという。次の記事に詳しい。 →▼第2回川口まちづくり探検隊〜その3〔2006年09月08日〕|もさばSUMITA好いネット管理人の日記 http://sumitayoi.seesaa.net/article/23397842.html

*30:「おでんのう様」。漢字表記ではおそらく「お天王さま」か。牛頭天王本地仏薬師如来。疫病を司る)を指す。その場合、神社としては八坂神社(京都祇園社)ということになる。住田町川口・竹の原近辺のこの「おでんのう様」については、次のブログ記事に言及がある。 「住田高校を通過して裏の道?農道を通って目指すは「おでんのう様」/ 「おでんのう様」に関しては隊〔第2回川口まちづくり探検隊一行〕から脱退する前に地元の方に色々と聞きました。どうやらこのおでんのう様は、そもそも八幡神社なんだそうですが、地域で疫病(天然痘だったかな)が流行した際に地域のみんなで拝んだら治ったということで「おでんのう様」になったとか…/ っと書いてみましたが、やはり記憶が曖昧なのでまた後で調べて掲載しますね(^_^;)」 →▼第2回川口まちづくり探検隊~その3〔2006年09月08日〕|もさばSUMITA好いネット管理人の日記 http://sumitayoi.seesaa.net/article/23397842.html なお、『住田風土記』(根来功範, 1971年)に「お天王さま」を立項、次の記述がある; 「世田米には「お天王社」は三ヶ所と古い記録にあって、その一ヶ所は此処の宮〔世田米字下大股金藤家の氏神の社〕です。」(p.31)

*31:「横山不動尊」。未詳。

*32:「川口公民館」。川口自治公民館。岩手県気仙郡住田町世田米字川口38-4。住田高校の東、気仙川の左岸、向川口地区にある。 →▼川口公民館(気仙郡住田町/公民館)の地図・住所・電話番号|マピオン電話帳 http://www.mapion.co.jp/phonebook/M13007/03441/20330108368/

*33:「大渡橋」。気仙川に架かる橋の一つ(合地沢が気仙川に流れ込む合流点近く)。世田米小府金(こふがね)地区から対岸の合地沢(かっちさわ)地区、大渡(おおわたり)地区へ気仙川を渡る橋(垣ノ袖橋の南東、美土里橋の西にある)。大渡橋の位置を示す航空写真地図が住田町ホームページにある。 →▼〔画像jpeg:〕小田前付近/住田町世田米赤畑|住田町 http://www.town.sumita.iwate.jp/_files/00000390/kanko-ayu-06koda_b.jpg 画像配布元ページ。 →▼気仙川 鮎釣りポイント:小田|住田町 http://www.town.sumita.iwate.jp/kanko/fishing.html

*34:アラハバキ神社」。荒脛神社を指す。同ブログ記事後半に『荒脛神社について』とある。神社名の読みは「あらばき-じんじゃ」との情報もある。後掲註参照。

*35:「『東日流外三郡誌』」。つがるそとさんぐんし。偽書とされる。 →▼東日流外三郡誌 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%B5%81%E5%A4%96%E4%B8%89%E9%83%A1%E8%AA%8C

*36:「山の上にあるアラハバキ神社〔※写真〕」。荒脛神社を指す。同記事に社殿の写真を載せる。なお、写真から、西にある510m山(石祐山と目される)山頂にある石の祠とは別の社であることがわかる。石祐山山頂の祠の写真は次のブログ記事(前掲)にある。 →▼石祐山 510m 2012年9月17日|あかりんの岩手低山奇行 http://akarin-yama.at.webry.info/201209/article_19.html

*37:「荒脛神社」。読みは「あらばき-じんじゃ」、もしくは「あらはばき-じんじゃ」。住田町ホームページに荒脛神社の位置を、住田高校の南、樺山沢が大股川に合流する地点、川口樺山三十三観音の標柱近くに示す。 →▼史跡・名勝マップ:荒脛神社|住田町 http://www.town.sumita.iwate.jp/kanko/siseki_map.html 住田町旧ホームページには、次の紹介があった; 「■11.荒脛神社(あらはばきじんじゃ)/ 荒脛神社「東日流外三郡誌」に2700年前、大和地方の王者ナガスネ彦が、神武天皇との戦いに敗れ、兄の安日彦とともに津軽十三湖まで逃亡してアラハバキ王国を築いたと伝わるが、このお社をなぜ、「荒脛」と呼ぶかは謎である。」 →▼(InternetArchive:2014年10月13日記録)史跡・名勝1:11.荒脛神社 -観光 : 住田町 https://web.archive.org/web/20141013184215/http://www.town.sumita.iwate.jp/kanko/shiseki/siseki01.html#NO11

*38:「世田米台地沢」。地名、不詳。世田米合地沢(かっちさわ)の誤植か? だが、この「荒覇吐神社」が“荒脛神社”を指すとすれば、合地沢地区ではなく世田米川口地区にある。別の神社を指すか。

*39:「野尻金山跡」。野尻金山は犬頭山の東斜面、世田米鉱山(田ノ上鉱山)の北、気仙川の右岸にあった。後掲「犬頭山」セクション参照。

*40:「※近くに「野尻金山跡」がある。神社〔荒覇吐神社〕は住田高校から1.5キロ東にある」。県立住田高等学校の東方1.5kmに荒覇吐神社(アラハバキ神社)があるとする。「荒覇吐神社」が“荒脛神社”を指すのであれば、社殿の所在は住田高校の東ではなく“南”になるはず。野尻金山跡(犬頭山東麓)が近くにある、との記述から推しても、この「荒覇吐神社」は荒脛神社ではない別の神社を指している可能性がある。なお、住田高校の周囲で直線距離1.5km地点には、地図上に記される神社は見当たらない。ただし、小府金にある神社の地図記号は住田高校の南東約1.2km地点にある(小府金熊野神社か?)。

*41:「犬頭山(いぬがしらやま)」。山名読み、川村信人氏(北海道大学)のWebページに「前期石炭紀の大型珊瑚化石の産出で有名な犬頭(いぬがしら)山」とある。 →▼世田米から陸前高田〔2011/03/18〕|追憶の南部北上|mkawa の地質ブログ(川村信人) http://www.sci.hokudai.ac.jp/grp/mkawa/mkawa_web/kawamura/geol_blog/kitakami/890089a9963a85048991bd7df2bd91d479b5ba1a.html また、湊正雄の1941年の論文「岩手縣氣仙郡世田米地方の下部石炭系に就て」(「地質学雑誌」第48巻 第577号)p.483に「世田米村西方,犬頭山(イヌガシラヤマ)東方に於いては,」とルビがある。 →▼J-STAGE http://doi.org/10.5575/geosoc.48.469 なお、住田町立世田米小学校は校報を「犬頭山」と名付け、校報のPDFファイル名に 「inugasirayama(いぬがしらやま)」の綴りを用いる。世田米小Webサイト参照。 →▼世田米小学校|校報 http://www.town.sumita.iwate.jp/kyoiku/gakkou/sesyou/kouhou/kouhou.html ただし、山頂三角点の点の記には「犬頭山(いぬかしらやま)」と清音のルビがある。

*42:「三等三角点「犬頭山(いぬかしらやま)」552.89m」。点の記; 「基準点コード TR35841545501/冠字選点番号 徳3」「所在地:岩手県気仙郡住田町世田米字川向180の1」「順路:住田町役場〔旧庁舎〕裏より簡易水道水源のある逢洞沢を南西へ約2.0km登れば長根に出る。これより右施せる嶺上を西方へ約0.5kmいけば本点に達す。」(明治43年埋標、昭和41年測量使用) →▼基準点成果等閲覧サービス|三等三角点「犬頭山」552.89m http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx?lat=39.1295870044007&lon=141.5629417083701&z=15&did=std

*43:「野尻金山跡」。野尻金山の位置は、気仙川の右岸、犬頭山の東麓、世田米鉱山(田ノ上鉱山)の北にあたる。「地質調査所月報」Vol.11 No.1掲載の論文「岩手県野尻鉱山周辺地域の放射能強度測定調査報告」(関根良弘、小尾五明)の「第1図 調査鉱床位置図」に位置が示されている。 →▼地質調査所月報 Vol.11 No.1 (1960)|出版物とサービス|産総研地質調査総合センター https://www.gsj.jp/publications/pub/bull-gsj/geppou11-01.html また住田町の金山跡について、2008年開催の「金山サミット in 陸前高田」での講演記録(千葉英夫氏)がWeb上にある。講演録PDFに収める絵地図「住田町産金地図」でも、野尻金山は同じく犬頭山の東側、世田米鉱山(田ノ上鉱山)の北、気仙川の西岸にある。 →▼PDF:リレートーク(2) http://www.tamayama-kinzan.com/03-meeting/images/03-02-04.pdf#11 PDF配布元は次のWebページ。 →▼岩手県陸前高田市 玉山金山|協議会(活動)|(二)サミット:リレートーク(2) http://www.tamayama-kinzan.com/03-meeting/02.html

*44:「田ノ上鉱山跡(世田米鉱山跡)」。金野茂男氏(小山工業高等専門学校)による紹介がある; 「参考文献(1)〔『新岩手県鉱山誌』東北大学出版会, 2003年〕から、この鉱山〔田の上鉱山〕を紹介しよう。所在地は岩手県気仙郡住田町世田米田の上である。世田米鉱山とも呼称するらしい。鉱種は金、銀、タングステン。金鉱脈の下にタングステン鉱が発見され稼業をしていたが、昭和31年〔1956年〕に休山となり、昭和48年〔1973年〕に鉱区は廃棄された。」(※現地写真多数) →▼PDF:(107)岩手県住田町の田の上鉱山〔2011年11月〕 http://kinno-homepage.sakura.ne.jp/mineral/tanokami.pdf PDF配布元は次のWebページ。 →▼鉱山探査記|金野研究室|小山工業高等専門学校 http://kinno-homepage.sakura.ne.jp/kinno_mineral.html

*45:釜石市にも同字の別の犬頭山(853m)がある」。釜石市の犬頭山は、六角牛山(遠野市)の東方、仙人峠の高清水山(たかすずやま)の北東に位置する。 →▼犬頭山〔釜石市〕の地図:マピオン http://www.mapion.co.jp/m2/39.31771605,141.80449399,16/poi=L0572845

*46:「犬頭山は何と読むのかわかりません」。おそらく「いぬがしらやま」。前掲註参照。

*47:「昭和60年ころのオーナー林制度」。「緑のオーナー制度(分収育林制度)」を指す。林野庁Webサイトに次の解説がある; 「分収育林(緑のオーナー)制度は、国民の皆様のご参加により国有林の森林整備を促進すること等を目的として、昭和59年度〔1984年度〕に発足いたしました。制度発足以来、延べ8万6千人のオーナーの皆様にご参加いただき、面積2万5千ha、契約口数延べ10万口となっております。」 →▼林野庁|分収育林制度及び分収(主伐)時の具体的な手続き等について http://www.rinya.maff.go.jp/j/kokuyu_rinya/kokumin_mori/katuyo/owner/tetuzuki.html 1998年度(平成10年度)をもって休止。 →▼林野庁|分収育林の一般公募の休止について http://www.rinya.maff.go.jp/j/kokuyu_rinya/kokumin_mori/katuyo/owner/kyusi.html

*48:大船渡鉱山の山」。後掲註参照。「朴の木山」を指す可能性がある。

*49:「犬頭林道」。未詳。

*50:「世田米(せたまい)付近の尾根から南方を撮影したもの」。犬頭山の山頂付近からの撮影(後述)。同記事に掲載する次の写真。 →▼〔写真画像jpeg:〕 https://www.sci.hokudai.ac.jp/grp/mkawa/mkawa_web/kawamura/geol_blog/kitakami/images/890089a9963a85048991bd7df2bd91d479b5ba1a-1.jpg

*51:D論」。博士論文。次の論文を指す; 「南部北上山地、世田米地域の古生層」(川村信人, 北海道大学(理学博士)/1983年) →▼CiNii Dissertations - 南部北上山地,世田米地域の古生層 http://ci.nii.ac.jp/naid/500000251286/

*52:カシミール3D」。「カシミール3Dは、日本のDAN杉本が開発している、登山者向けの地図ソフト。各種地図を読み込めるなど機能としては、GISソフトウェアの一種と言える。名前に3Dが付くように、標高データを元にして、山を立体的に表示。様々な角度から俯瞰して見ることが出来る機能(カシバードと呼ぶ)を持つ。ガーミンなど各種携帯型GPS受信機にも対応しており、GPSデータを地図上や3D上に表示したり、編集・加工のほか、データ解析なども行える。2012年には国土地理院の第1回「電子国土賞2012 PC部門」を受賞[1]。」 →▼カシミール3D - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB3D 「〔カシミール3Dは〕国土地理院から刊行されている数値地図をはじめ、様々な地形データや標高データなどを元に山岳展望をレンダリングするソフト。社会科地図帳のような標高で色分けされた地図を作成したり、山頂から展望できる可視領域をレンダリングするなど様々な機能がある。山岳の3D風景図や鳥瞰図を作成する機能が特長で、撮影位置やカメラの種類、季節や太陽の位置など多彩な設定をしたうえで、リアルな3D風景図をレンダリングしてくれる。プラグインを追加することで、国土地理院発行の「地図画像」や「地球地図」などさらに多くの地形データを読み込めるようになる。」 →▼カシミール3D - 窓の杜ライブラリ http://forest.watch.impress.co.jp/library/software/kashmir3d/ →▼カシミール3D / 風景CGと地図とGPSのページ http://www.kashmir3d.com/

*53:「前期石炭紀の大型珊瑚化石の産出で有名な犬頭(いぬがしら)山」。たとえば次のブログ記事の記述に見える(ただし、ここに登場する「犬頭山」が住田町世田米の犬頭山を指すか、不詳); 「地味な四放サンゴにあって、知名度は一番高いかもしれない。熊本、岐阜、福島、宮城そして岩手など、各県から報告があるが、何といっても北上山地の鬼丸層が有名。かつては犬頭山、鬼丸、雪沢などで保存状態の良いものが採集できた。」 →▼鬼丸層のサンゴ 貴州サンゴ〔2012-03-15〕|サンゴの森 http://coralfoss.exblog.jp/17532594/ 「シフォノデンドロン、ケイチョウフィルム、シリンゴポーラに次ぐ産出頻度だが、有名な鬼丸周辺や、犬頭山周辺での採集は現在では難しくなった。」 →▼鬼丸のサンゴ アクチノシアタス〔2012-03-15〕|サンゴの森 http://coralfoss.exblog.jp/17532838/

*54:カシミール3Dを使って探してみたら,…犬頭(いぬがしら)山の山頂付近から〔の撮影〕であることが分かりました」。同記事に、写真とほぼ同構図のカシミール3Dによる展望レンダリング画像を載せる。次の画像。 →▼〔3D画像jpeg:〕 https://www.sci.hokudai.ac.jp/grp/mkawa/mkawa_web/kawamura/geol_blog/kitakami/images/890089a9963a85048991bd7df2bd91d479b5ba1a-2.jpg

*55:「背斜軸」。「背斜(はいしゃ)」は地質学用語。対語は「向斜(こうしゃ)」。以下、参考; 「背斜(はいしゃ、英: anticline[1])は、構造地質学において、山状になっていて古い地層が中心部に来ているような褶曲である。山状になっていればどのような褶曲でも指すアンチフォームとは異なる。このため、各地層の年代関係が明らかになっていない時は、アンチフォームという言葉が使われる。」 →▼背斜 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%8C%E6%96%9C 「固まった地層に力が加わって地層が波を打ったように曲げられてしまったものを褶曲といいます。褶曲には下に凸の形になっている向斜と上に凸になった背斜があります。上の写真の場所は、この2つが隣り合っています。ここの地層は、中生代ジュラ紀の福貴浦層と呼ばれる砂岩-泥岩互層です。牡鹿半島の大きな褶曲の軸部では、小さな褶曲が向斜と背斜がペアになっていることがよくあります。」 →▼5-1.褶曲-向斜と背斜(宮城県石巻市福貴浦)|地学百景(地学ハイク写真帳) http://www001.upp.so-net.ne.jp/fl-fg/05_folding/05-01_folding1.htm

*56:「氷上(ひかみ)山」。氷上山。陸前高田市を代表する山。陸前高田市大船渡市の境界。 →▼氷上山 - ひかみさん:標高874m-東北:北上山地 - Yamakei Online / 山と溪谷社 http://www.yamakei-online.com/yamanavi/yama.php?yama_id=152 →▼氷上山 | 「こちら岩手ナチュラル百貨店。」 いわての旅:いわて観光/旅行ポータルサイト http://www.iwatetabi.jp/spot/detail/03210/929.html 

*57:「住田町内は,Twitterとかの各種情報によると,〔東日本大震災で〕特に大きな斜面災害も起きておらず,無事なようです」。震災当時のTwitter上の発信を集めたまとめがある。 →▼岩手県気仙郡住田町の状況まとめ(3.11東日本大震災) - Togetterまとめ http://togetter.com/li/116513

*58:「両層は整合関係」。「整合(せいごう)」は地質学用語。地層の堆積の様子をいう。対語は「不整合」「無堆積」。以下、参考; 「●整合とは,ある環境下での堆積作用 で地層ができた後に,引き続き,同じ堆積環境で,別の地層がその上にできることをいいます。/ ●不整合とは,ある環境下での堆積作用で地層ができた後に,環境が変わり,その地層が侵食されたりした後,その上に別の堆積環境で別の地層ができることをいいます(※火成岩や変成岩の上に堆積した堆積岩は,下にあるそれらの岩石とは不整合の関係にあります)。」 →▼整合と不整合|地質現象のページ|地学のページ|倉敷市立自然史博物館 http://www2.city.kurashiki.okayama.jp/musnat/geology/tisitugensho/seigoufuseigou/seigoufuseigou.html 「地層が堆積するときに時間の大きな断続があることがある。このために地層の堆積が不連続になる。これを不整合という。堆積がほぼ連続して続けて行われてできた地層を整合という。」 →▼第12章 地質構造と地質調査(1)|第2部-2- 地球の科学|われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのか/そして、われわれは何者か-宇宙・地球・人類-|山賀進のWeb site http://www.s-yamaga.jp/nanimono/chikyu/chishitsukozo-chishitsuchosa.htm 「堆積岩では、物質的には連続で、時間的には不連続である場合を、「ハイエイタス(無堆積)」といいます。時間的には連続で、物質的には不連続である場合は「整合(せいごう)」といいます。物質的にも時間的にも不連続の場合、「不整合(ふせいごう)」といいます。」 →▼Essay 01 地質学的関係01:Letter はじめまして/本誌の前身「地球のつぶやき」|地球のつぶやき http://terra.sgu.ac.jp/monolog/2002/01.html

*59:「川村・川村・加藤(1985)」。次の論文を指す。「地質學雜誌」第91巻第12号収載。 →▼「南部北上山地世田米 - 雪沢地域の下部石炭系大平層・鬼丸層」(川村寿郎、川村信人、加藤 誠, 1985年)|J-STAGE https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosoc1893/91/12/91_12_851/_article/-char/ja/

*60:森岳(もりだけ?」。山名読み、未詳。

*61:「三等三角点「森嶽(もりごく)」544.69m」。点の記に読み「もりごく」とある(「もりだけ」とはなっていない)。点の記; 「基準点コード TR35841549401/冠字選点番号 基17」「所在地:岩手県気仙郡住田町世田米字赤畠117」「順路:〔JR〕大船渡線陸前高田駅より世田米方向にバスで約1時間、川口停留所で下車 南東に約700m左のガケ手前より谷川に沿って約1.5kmで右に県行造林標識あり。尚300m進んだ所北東谷に沿って山頂まで約20分(約800m)、三角点は南西方向独立樹の北面約8.0m手前にある。」(明治43年埋標) →▼基準点成果等閲覧サービス|三等三角点「森嶽」544.69m http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx?lat=39.16153434021021&lon=141.55910555342533&z=15&did=std

*62:「林道(高貝線)」。不詳。地理院地図には、高貝地区(住田町世田米)の北西、森岳の東麓から南斜面の250〜300m等高線に沿って林道と目される実線の道が確認できる。ただし、高貝地区から繋がってはいないように見える。 →▼地理院地図|森岳南東(住田町世田米) http://maps.gsi.go.jp/#15/39.157835/141.568108/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0

*63:「最高点である575mピーク」。森岳山頂544.7mピークのすぐ北側にあるピークを指す。標高としては森岳の山頂よりも高い。地図では次の地点。 →▼地理院地図|575mピーク(住田町世田米) http://maps.gsi.go.jp/#15/39.165222/141.559439/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0

*64:「東峰山(あつまねやま/あずまねやま)」。山名読みについて。地理院地図には「東峰(あつまね)山」と清音のルビがある。Wikipediaは「あずまねさん」と読む。 「東峰山 (岩手県) - 岩手県気仙郡住田町にある標高620mの山。あずまねさん。」 →▼東峰 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%B3%B0 世田米天照御祖神社式年祭に参加する東峰集落は「あずまね」と読むという。「そして町内から繰り出される風流もの・・・上組、下組、中沢、東峰(あずまね)があるようだ」 →▼2010 住田町天照御祖神社式年大祭〔2010-05-04〕|「遠野」なんだり・かんだり http://blog.goo.ne.jp/fuefukidouji_2006/e/6a198bd4b7d9f481ca390be4b4ca4ba1 「東峰屋台。“あずまね”と読むそうです。」 →▼世田米 天照御祖神社式年大祭〔2010/5/8〕 ( 岩手県 )|Knブログ http://blogs.yahoo.co.jp/crazyfloater/25104766.html また、「住田町上有住字東峰」という住所が存在する。 →▼住所コード検索|岩手県気仙郡住田町上有住 http://www.kodokensaku.mlit.go.jp/motas/index.php?action=addr&module=codesearch&page=1&kencode=03&guncode=03807&soncode=01&mcode=0037

*65:「三等三角点「東峰(アヅマネ)」619.01m」。点の記; 「基準点コード TR35841641601/冠字選点番号 徳1」「所在:岩手県陸前国気仙郡世田米村字仁田代/ 俗称 東峰山」「順路:本郡下有住村字十文字より□に川を渡り世田米への□□〔通路?〕を行く凡八丁□の左方山路を登る 更に十丁許□□て達す 世田米より□路〔通路?〕□れも□□急坂等にて困難なり。」(※正字常用漢字に、カタカナをひらがなに変更した。□部分は判読できず。教示を乞う)(明治43年造標。班長は陸軍工兵大尉) →▼基準点成果等閲覧サービス|三等三角点「東峰」619.01m http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/index.aspx?lat=39.17579437297496&lon=141.57718554699105&z=15&did=std

*66:「地図には「あつまね」とルビがついています」。国土地理院の地図にルビがある。次のPDFに地理院地図の転載があり、「東峰山」に「あつまね」の読みルビが見える。 →▼PDF:(130)岩手県住田町奥新切(おくにぎり)の松森鉱山〔2013年8月〕|金野茂男研究室〔小山工業高等専門学校http://kinno-homepage.sakura.ne.jp/mineral/matumori.pdf#6

*67:「大畑峠」。住田町の世田米と下有住をつなぐ峠。国土地理院地図に地名が見える。 →▼地理院地図|大畑峠(住田町) http://maps.gsi.go.jp/#15/39.176135/141.570919/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0 →▼大畑峠(気仙郡住田町/峠・渓谷・その他自然地名)の地図・住所・電話番号|マピオン電話帳 http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07008/03441/L0648342/

*68:「朴峠」。住田町の世田米と上有住字和田野をつなぐ峠。国土地理院の地図にその地名が見える。 →▼地理院地図|朴峠(住田町) http://maps.gsi.go.jp/#15/39.174904/141.591260/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0 →▼朴峠(気仙郡住田町/峠・渓谷・その他自然地名)の地図・住所・電話番号|マピオン電話帳 http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07008/03441/L0655063/ なお、次のブログでは、「朴峠(ほうのきとうげ)」と読みを付しているが、典拠は不明。「岩手県気仙郡/住田町/朴峠(ほうのきとうげ)」 →▼「朴」地名〔2010/1/19〕 - 自然体で、興味を持ったことを‥平成25年6月:間質性肺炎患者に http://blogs.yahoo.co.jp/kmr_tds/60201772.html →▼「朴」地名〔2007/5/5〕 - 自然体で、興味を持ったことを‥平成25年6月:間質性肺炎患者に http://blogs.yahoo.co.jp/kmr_tds/47299537.html

*69:大船渡鉱山」。

*70:「近くにアンテナがある山(無名)」。おそらく「朴の木山」を指す。東峰山山頂の東南東、朴峠の南東、大船渡鉱山(世田米)の北側の601mピークにアンテナ塔と建屋があり、Googleマップ(航空写真)で確認できる。大船渡鉱山から作業道が続いている。上有住和田野地区の南、上有住小松地区の南西にあたる。次の地点。 →▼Googleマップ:航空写真|アンテナ山 https://goo.gl/maps/9dfGscNYjUM2 地理院地図では次の地点。 →▼地理院地図|601mピーク(住田町世田米) http://maps.gsi.go.jp/#14/39.170829/141.597376/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0 また、次のページで地理院地図とGoogle航空写真を対照できる。 →▼Googleマップを使って国土地理院の地図を見る|601mピーク(住田町世田米) http://user.numazu-ct.ac.jp/~tsato/webmap/map/gmap.html?ll=39.171011,141.598166&z=15&data=djws&t=gsistd この601mピークを持つ山は「朴の木山」である可能性が高い。朴の木山の名は『東日本大震災 住田町の後方支援』(はる書房, 2017年)に見える(cf. p.35 ; 「非常用発電機と庁舎内の放送施設をつないで放送したとしても、その無線を受信し、町内各地域の子局に発信する中継局が機能を停止していた。中継局は朴の木山〔ルビ:ほうのきやま〕の山頂(世田米)にあって、数日前に大きな落雷があった影響か、不具合が生じて、宮城県仙台市から専門業者を呼んで修理中だった。千葉は朴の木山に非常用発電機と燃料を送り込み、中継局の復旧を急がせることにした。.」)。

*71:「社会体育館」。住田町社会体育館。住所:岩手県住田町世田米字川向69番地1。 →▼住田町社会体育館|住田町 http://www.town.sumita.iwate.jp/docs/2015021200023/

*72:浄福寺」。じょうふく-じ。真宗大谷派。住所:岩手県気仙郡住田町世田米字清水沢77。住田町ホームページに次の紹介がある。 「■浄福寺イチョウ並木(じょうふくじといちょうなみき)/ 天文5年(1536)開基、現在の〔浄福寺の〕伽藍は寛政12年(1800)に建立されたもので、伊達藩の領主が巡視の本陣として宿泊した記録が残っています。参道のイチョウと境内の笠松は開基の頃に植えられたといわれ、樹齢は約480年にもなります。」 →▼史跡・名勝:浄福寺イチョウ並木|住田町 http://www.town.sumita.iwate.jp/kanko/siseki.html 「■浄福寺概要: 浄福寺の創建は天文5年(1536)に釈賢照が吉浜村白木沢〔大船渡市〕にあった天台宗の寺院を改宗して真宗として現在地に移し開基しました。浄福寺は伊達藩主が領内視察する際の宿として利用され、元和4年(1618)に伊達政宗が泊まったのを筆頭に承応2年(1653)伊達忠宗、貞亨3年(1686)伊達綱村、元禄16年(1703)と享保8年(1723)に伊達吉村が利用したのが記録に残っています。現在の本堂は寛政12年(1800)に建てられた古建築で気仙大工の五郎吉が棟梁で建てたもので、石垣の上にある鐘楼は、鐘と太鼓が吊ってある大きな物で印象的な建物です。参道の両側にはイチョウの巨木が並木を造り、歴史の古さを感じる事が出来ます。」 →▼浄福寺岩手県の町並みと歴史建築 http://www.iwatabi.net/morioka/sumida/jyoufuku.html 境内の写真がある。 →▼浄福寺岩手県住田町世田米)〔2000年10月07日訪問〕|日本すきま漫遊記 http://www.sukima.com/12_touhoku00_04/22joufukuji_.html

*73:「柿内沢」。住田町世田米の川。字(あざ)名でもある。東峰山の南、森岳の東に源流、南流して気仙川に注ぐ。 →▼柿内沢(気仙郡住田町/峠・渓谷・その他自然地名)の地図・住所・電話番号|マピオン電話帳 http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07008/03441/L0636843/

*74:「八幡様のお社」。不詳。大畑峠を下った下有住字十文字、もしくは下有住大畑の周辺に八幡神社があるか。このあと一行は東に向かい、葉山めがね橋、蔵王洞窟を経て住田町民俗資料館へと至る。

*75:「葉山の「めがね橋」」。住田町上有住の「葉山めがね橋」。バス停「葉山」のすぐ南側。  “葉山めがねばし水園”として平成8年(1996年)の「国土交通省大臣表彰 手づくり郷土賞」を受賞している。 →▼国土交通省大臣表彰 手づくり郷土賞:岩手県 http://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/region/tedukuri/list/pref/list_03iwate.html →▼〔動画:〕気仙郡住田町上有住「葉山めがね橋」 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=DwPieyGd9tA

*76:蔵王洞窟」。蔵王洞窟遺跡。蛇王洞洞穴とも。住田町上有住葉山にある。母下衣山の南麓、国道340号(世田米街道)沿い北側、町立有住中学校の西、東峰山からは北方に位置する。 →▼蔵王洞岩窟と周辺の情報:岩手県住田町上有住葉山61付近|地域情報onMap http://sites.onmap.jp/g-1/fp-143062/ 次の記事参看。 →▼住田町の縄文時代蔵王洞窟遺跡、湧清水洞窟遺跡 - atimus's blog http://atimus.hatenablog.jp/entry/2014/06/16/000000

*77:「東峰山は中腹に「東峰社」があり」。未詳。

*78:「どびや」。住田町下有住。新切公民館の南。住田町ホームページに次の紹介がある; 「■新切部落ドビヤ(にいぎりぶらくどびや)/ 「ドビヤ」とは、岩山の上の洞窟に祀った「御宮」を表す「洞宮〔どうみや〕」が訛ったものといわれます。その御宮の荒廃が進むなか、ある日やって来た山伏の勧めに従って神様を一ヶ所に集め、年1回お祭りを行うようになりました。」 →▼史跡・名勝:新切部落ドビヤ|住田町 http://www.town.sumita.iwate.jp/kanko/siseki.html

*79:「古碑の年号は明治40年」。住田町下有住字高瀬に、明治40年(1907年)の日付を持つ古碑があるという。未詳。

*80:「幕府巡検使」。「巡見使(じゅんけんし)とは、江戸幕府が諸国の大名・旗本の監視と情勢調査のために派遣した上使のこと。大きく分けると、公儀御料(天領)及び旗本知行所を監察する御料巡見使と諸藩の大名を監察する諸国巡見使があった。」 →▼巡見使 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A1%E8%A6%8B%E4%BD%BF

*81:「小口洞」。こぐちほら。住田町世田米小口洞。昭和橋の北東、気仙川の左岸。 →▼岩手県気仙郡住田町世田米小口洞 地図(住所一覧から検索) :マピオン http://www.mapion.co.jp/address/03441/64/ 世田米の地名(字)の読みについては、たとえば次のWebページ参照。 →▼岩手県気仙郡住田町世田米の住所一覧 - goo地図 http://map.goo.ne.jp/list/address/03441003/ 

*82:上有住和田野」。かみありす-わだの。朴峠の上有住側の入口になる。上有住八日町地区の南東、同天嶽(あまたけ)地区の西。 →▼岩手県気仙郡住田町上有住和田野 地図(住所一覧から検索):マピオン http://www.mapion.co.jp/address/03441/36/ →▼岩手県気仙郡住田町上有住の地図 - Yahoo!地図 http://yahoo.jp/q8HIce 住田町上有住の地名(字)の読みについては、たとえば次のWebページ。 →▼岩手県気仙郡住田町上有住の住所一覧 - goo地図 http://map.goo.ne.jp/list/address/03441001/

*83:赤羽根峠」。あかばね-とうげ。国道340号、住田町上有住遠野市上郷町平倉の間にある峠。住田町と遠野市の境界。 →▼赤羽根峠(気仙郡住田町/峠・渓谷・その他自然地名)の地図・住所・電話番号|マピオン電話帳 http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07008/03441/L0645842/

*84:嘉永5年の御出馬」。1852年、盛岡藩主・伊達慶邦の領内視察を指すと思われる。同行した絵師が描いた史料として「御領内名所図会」「伊達慶邦巡検図絵巻」などがある。 「また吉田家住宅〔陸前高田市〕は大肝入屋敷の形態を伝える数少ない遺構で、主屋は天保9年(1838)の巡見使や嘉永5年(1852)の領内視察藩主〔伊達〕慶邦の宿泊所として使用され、味噌蔵、長屋、土蔵とともに維持管理されていた。」 →▼PDF:佐々木勝宏「陸前高田市仙台藩気仙郡大肝入吉田家の文化財レスキュー」(『東北地方太平洋沖地震 被災文化財等救援委員会 平成23年度活動報告書』所収) http://www.tobunken.go.jp/japanese/rescue/report/report_h23/pdf/h23_4-2-4.pdf

*85:「『東北の海道」」。渡辺信夫 監修『東北の街道 :道の文化史いまむかし』(無明舎出版、1998年)を指す。 →▼東北の街道 道の文化史いまむかし|無明舎出版 http://www.mumyosha.co.jp/docs/98new/kaido.html →▼Amazon.co.jp https://www.amazon.co.jp/dp/4895441881

*86:「二度成木(フタナギ)の境目番所」。二度成木番所(ふたなぎ-ばんしょ)。仙台藩盛岡藩との境目番所として上有住村に置いた番所。Twitter上に写真がある。 →▼のり塩さんのツイート: "住田町上有住葉山から340号線を2.5kmほど北に進みやや東に入ったところの伊達藩と南部藩の国境付近にある二度成木(ふたなぎ)番所跡にたどり着いた。伊達慶邦が巡見で訪れている。 #伊達慶邦 http://t.co/v1H3wNZAL7"〔19:35 - 2015年5月31日〕 https://twitter.com/Jeter2013/status/604959455256526848  →▼のり塩さんのツイート: "幕末の仙台藩主・伊達慶邦も巡見で訪れた伊達と南部の藩境、岩手県住田町上有住二度成木(すみたちょうかみありすふたなぎ)の二度成木番所(跡)とその周辺(4枚目は番所跡から北へ向かい山越えて遠野へと行く道から東南方向を見た) #伊達慶邦 https://t.co/xjQysylCNq"〔20:08 - 2016年7月12日〕 https://twitter.com/Jeter2013/status/752821837197774848 なお、『住田風土記』(根来功範, 1971年)pp.19-20に「御境目番所」立項あり。

*87:「小枝坂峠」。不詳。おそらく世田米中学校前を通る峠。Web上に見える「小枝坂」へ言及として以下のもの; 「世田米中学校にゃ特派員もいることだし、とりあえず行ってみるか!ってことで坂(小枝坂:旧盛街道)を久しぶりに徒歩で登り頂上付近で前方を見上げてみればパッとツツジの花が咲きほこっている!」 →▼運動会な日曜日!〔2006年05月21日〕|もさばSUMITA好いネット管理人の日記 http://sumitayoi.seesaa.net/article/18169449.html 「ただいま住田町世田米の小枝坂付近にある薬師神社の建て替え作業が行われています。」 →▼神社の建て替え〔2011年10月18日〕|住田町観光協会 http://sumitakankou.blogspot.jp/2011/10/blog-post_18.html 「夏祭りのメイン会場はJAの駐車場のある小枝坂のところのようです。そこには焼鳥屋さん、お好み焼き屋さん、フラッペ屋さんや金魚すくい屋さんなど沢山の出店が出ていました。」 →▼住田町の夏祭り〔2006年08月06日〕|もさばSUMITA好いネット管理人の日記 http://sumitayoi.seesaa.net/article/22002520.html 「〔世田米中の〕卓球部はほのぼのしてたけど、やることはやってたなぁ、小枝坂三往復とか… まぁおかげで痩せたから」(2011年03月18日 08:14) →▼[mixi] 世田米中学校S49・50生|楽しい雑談 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=5529296&id=60877732 また、Twitter上に次の発言がある; →▼ゆーゆさんのツイート: "〔※略〕そうよ!世中〔世田米中学校〕は橋の方に曲がらないでちょっとまっすぐいくと坂があって、その坂を上がっていくとてっぺんにあるよ!ちなみに小枝坂ね(笑)"〔16:45 - 2012年10月19日〕 http://twitter.com/nyu_myu3/status/259198692014313472 →▼世田米中botさんのツイート: ">RT 冬の小枝坂の危なさ。スリップ注意。"〔15:01 - 2014年12月17日〕 http://twitter.com/Setamai_chu/status/545096508261928960

*88:「中沢川」。気仙川の支流。世田米中心市街地から大船渡市側へ国道107号(旧盛街道)沿いに西から流れてくる川。 →▼中沢川(気仙郡住田町/河川・湖沼・海・池・ダム)の地図・住所・電話番号|マピオン電話帳 http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07001/03441/L0614639/

*89:「田代トンネル」。不詳。白石トンネルを指すか?

*90:「田代峠」。不詳。白石峠を指すか?

*91:「光勝寺」。こうしょう-じ。山号を貴宝山。真言宗智山派の寺院。住所:岩手県気仙郡住田町世田米鉢ケ森26。江戸時代の史料には「光照寺」とも記すという(cf. 根来功範『住田風土記』p.38)。住田町ホームページに本尊仏像の紹介がある。「■観音菩薩坐像・阿弥陀如来坐像・勢至菩薩坐像(県指定有形文化財)/ ■世田米鉢ヶ森(光勝寺)/ 開基も不明なほど歴史が古く、〔奥州藤原〕秀衡の時代に「気仙五金山」のひとつ「野尻金山」で働く約3,000人の掘り子のために藤原氏が建立した阿弥陀堂が始まりといわれます。寄木造りの阿弥陀像、一本彫りの菩薩像は平安末期の作。住職不在、洪水、火災、移転という波乱の歴史をくぐり抜けて現存します。/ 〔写真の〕左から観音菩薩坐像、阿弥陀如来坐像、勢至菩薩坐像」 →▼文化財|住田町 http://www.town.sumita.iwate.jp/kanko/bunkazai.html 次のブログ記事に光勝寺の写真を載せる。 →▼貴宝山光勝寺〔2006年04月06日〕|もさばSUMITA好いネット管理人の日記 http://sumitayoi.seesaa.net/article/16228853.html また、次のWebページも参照。「第12番札所・貴寶山 光勝寺/ 岩手県気仙郡住田町世田米字鉢ヶ森26/ ■本尊・阿弥陀三尊 霊場本尊・聖観世音菩薩/ 真言宗智山派。/ 伝承によると,真言宗金剛寺の末寺であるが明確な記録はない。承安年中(1171-74),藤原秀衝のとき,近くに野尻金山があって,ここの掘り子たちのために藤原氏は高山の麓に「阿弥陀堂」を建立したのが始まりと伝えられている。金山の閉鎖ととも堂宇は経営困難となり無住に。慶長元年(1596),有慶法印はこの地を捨て広池に寺を再建したが,洪水のため流失。住職不在・移転・流失・火災など幾度かの災難に遭ったが,本尊の阿弥陀三山だけは奇跡的に残った。」 →▼第12番札所・貴寶山 光勝寺|古寺巡礼(東北):岩手33観音|Shoji's HomePage〔荒川昇治〕 http://www.s-arakawa.jp/trip/tohoku/iwate/sumitacho/koshoji.htm トップページは次のURI。 →▼Shoji's HomePage http://www.s-arakawa.jp/

*92:柿内沢をさかのぼり大畑に至り盛街道に合流」。大畑峠の北側(東峰山北麓)の出口を下有住十文字ではなく、下有住大畑とする。

*93:「新切(ニイギリ)に下有住番所」。新切番所(にいぎり-ばんしょ)。仙台藩盛岡藩との境目番所として下有住村新切、母衣下山の西麓に置いた番所。住田町ホームページに紹介がある; 「■新切御番所跡/にいぎりごばんしょあと/ 住田町にはかつての南部藩と伊達藩の藩境が通り、慶長3年〔1598年〕の伊達領27ヶ所の番所設置の際、町内に「新切番所」「二度成木番所〔ふたなぎ-ばんしょ〕」「小股番所〔こまた-ばんしょ〕」が置かれました。「新切番所」には今泉奉行所から役人2名が90日交代で派遣されていました。」 →▼史跡・名勝:新切御番所跡|住田町 http://www.town.sumita.iwate.jp/kanko/siseki.html 位置は次のページ参照。→▼史跡・名勝マップ:新切御番所跡|住田町 http://www.town.sumita.iwate.jp/kanko/siseki_map.html なお、『住田風土記』(根来功範, 1971年)pp.19-20に「御境目番所」立項あり。

*94:「気仙風土記」。相原友直の著書で「気仙郡内二十四ヶ村の詳細な風土記」という。Web上に次の紹介がある; 「■はじめに/ 今から三百年程前に、奥州に相原友直という人物がいた。私はこの人物の名をその著書(平泉の歴史に関する本)から知った。素晴らしい本である。読み込むと、この本を書いた人物のことが、無性に知りたくなった。しかし現在市販されているものに、彼の生涯を記述しているものはない。そこで平泉郷土館主事千葉氏に電話をして、この人物の生涯を断片的に知ることができた。/〔※略〕/ 【平泉三部作の作者・相原友直】 平泉三部作(「平泉実記」、「平泉旧蹟志」、「平泉雑記」)を書いた相原友直は、元禄十六年(1703)気仙郡高田村に、医師相原友常の長男として生まれた。父友常は、友直が幼き頃より、医術の素養だけではなく、漢文や書の手ほどきも含め、人間の幅を拡げるような英才教育を施した。又それに応えるように少年期の友直は、気仙郡今泉村金剛寺の宥譽法印より仏典及び儒学を学ぶなど、溢れるような向学心で勉学に励んだと伝えられる。/〔※略〕/ 【友直の仕事】 こうして友直は、医の道だけではなく、自らの心の赴くままに生き、旅をして、自らの文筆の才を開花させていった。享保四年(1747)友直四十五才の時、「塩釜巡覧記」(仙台叢書第二巻収録)を書き上げた。寛延四年(1751)四十八才にして、代表作となる「平泉実記」全五巻を完成。宝暦八年(1758)、五十五才の時、「松島巡覧記」(仙台叢書第二巻収録)を書き始め、この書は安永七年(1778)、二十年後に上製した。五十八才宝暦十年に、「平泉旧蹟志」(仙台叢書第一巻収録)を記す。翌年宝暦十一年〔1761年〕、五十九才の時気仙郡内二十四ヶ村の詳細な風土記、書名「気仙風土記」((仙台叢書第四巻収録)を書き上げた。/〔※略〕」 →▼相原友直小伝|義経伝説 http://www.st.rim.or.jp/~success/aihara_syoden.html なお、同題で金野静一の著、気仙風土記編集発行委員会・発行(全5集)もある。 →▼Twitter:2010年5月21日14:47 https://twitter.com/takatakappan/status/14410040852

*95:「小松峠」。次の記事(「高森山」セクション)参照。 →▼住田町の「山」(その4):北東部〜東部地域:高森山 - atimus's blog http://atimus.hatenablog.jp/entry/2016/09/13/040000#takamoriyama

*96:「白石峠」。

*97:「葉山番所」。不詳。

*98:「貞任が出陣し天岳から攻め下り」。天岳、不詳。